第10話
バルトルードは川沿いの道を案内した。粉挽き屋や鍛冶屋など、水車を利用する業者が軒を連ねる区画だ。
「こんな良い場所に済んでいるのか?」
「ええ、それだけ稼ぎのある傭兵ということです……まあ実際は、ひどくズボラなだけなのですが」
「どういうことだ?」
「パンを買いに行くのが面倒だから、という理由だけでこの辺りを選んだそうで」
「なんとまぁ」
パン屋は粉挽き屋の近くにあるので、確かに川に近い場所に家があればパンを買いに行く手間は少なくて済むというわけだ。
「グラシアは引退気味とか言っていたが、それとは関係あるのか? とうとう戦場に出るのすら面倒になったのか?」
「そうであれば、ハッパをかけるのはもう少し楽だったのですが。彼女はそう……
そう言って、バルトルードは川沿いの道から1本外れた路地に入った。グラシアの家はすぐそこだった。さほど横幅は広くはないが3階建てで、各階の天井は高そうに見えた。バルトルードが扉をノックする。
「やあグラシア。バルトルードだ」
ほどなくして扉が開き――大女が姿を現した。
ドワーフなら「1.6
目を見張ったのは身長に対してだけではない、その肩幅の広さや
顔立ちは野性味のある美女といった感じだが……彼女は柔和な笑みでバルトルードを、それから私とヘルマンを見た。
「この方たちは?」
「お前さんに話があるというから、連れてきたのさ。……では旦那様、私はこれで」
そう言ってバルトルードは子犬を預かり、そそくさと去ってしまったので、私はグラシアの前に出て微笑みを作る。
「急な訪問をお詫びしよう。私はアレクシアレスが長子、ディオスだ。こちらは従士のヘルマン。仕事の話を持ってきた」
「仕事?」
瞬間、グラシアの目が鋭くなった……だがそれも一瞬のこと、すぐに柔らかい雰囲気に戻った。
「……せっかくです、昼食を食べながら話しましょうか。どうぞ」
そう言って彼女は私達を家の中へと招き入れてくれたが……私は、バルトルードが「腑抜けた」と言っていた意味がわかりつつあった。
――身体こそ立派だが、覇気がないのだ! 先ほど一瞬だけ鋭くなったが、瞳はまるで子どもたちを見つめる母親のような優しさをたたえているし、刀傷の目立つ頬も、やはり平和に緩みきっている。とても人を殺せるような雰囲気ではないのだ。それどころか、彼女が蝶の死骸を見て落涙していたとしても、私はきっと驚かないだろう。
「エッボ、お客人だ。皿を2つ追加しておくれ。酒杯もね」
「……うん、わかった。ようこそ、お客様」
エッボと呼ばれた男は優雅に一礼し、食器を取りに行った。頭髪は癖っ毛の赤。幼くも整った顔立ちで、立ち振舞いに品のある男だ。体つきは細く、グラシアと比べれば小枝のようにすら見える。
「彼は?」
そう聞いてみると、グラシアは照れくさそうに微笑んだ。
「恋人です」
ああ……読めてきたぞ。ヘルマンが小さく「なんだと」と漏らしたのを、脇腹を小突いて黙らせる。
グラシアに勧められるまま椅子に腰掛ける。エッボが皿とエール入りの酒杯を持ってきて、食事が始まった。暫く無言で食事をしながら、私は周囲に視線を走らせていた――壁にはグラシアの身の丈をも超える大剣が立てかけてあるが、鎧の類は見当たらない。護身用にと剣だけ手元に置いてあるのだろう。
食器棚を見れば、金銀の食器がずらりと並んでいた。北方エルフ様式、中西部ドワーフ様式、中部平原様式……デザインはてんでバラバラ。私たちに出された皿や酒杯にしてもそうで、統一感はない。
「見事な食器だ。戦利品か?」
「ええ。どれをどこで手に入れたのかも思い出せませんが」
「随分と多くの戦場を渡り歩いたのだな」
「山賊退治や一揆鎮圧、東部での魔族との小競り合い……王国中を飛び回ったものです」
ここから武勇伝を始めてもよさそうなものだが……グラシアはそれらを語らず、エールで喉を潤してから私を見た。
「それで、お仕事の話というのは?」
「私は今、軍を編成している。魔族領域に斬り込み、魔将を討伐するためだ。手始めに下士官を集めている」
「それは……ご立派なことですね。ですが、ご協力出来そうにありません」
「理由はなんとなく察するが……愛のため、か?」
「ええ」
グラシアはうっとりとした目でエッボを見つめた。
「アタシは……愛を知ってしまいました。敵を斬り殺し、金銀財宝を奪うよりも……」
「心安らぐ?」
「そう、心が……満たされるとはこういうことなのだと、やっとわかったのです」
「素晴らしいことだ、グラシア。だが引退を決め込むのはまだ早くないか?」
私は食器類の売却益を大雑把に計算し、「2人ならせいぜい10年で食いつぶすだろうな」と察していた。好立地の家に済んでいるとなれば、なおさらだ。他にもまだ略奪品はあるのだろうが、それでも27歳という若さで、後の人生を悠々と暮らせるだけ稼げたとは思えない。
「私はきみを、年俸にして大金貨8枚で雇おうと思っている。8人
だがグラシアは首を横に振る。
「小隊長に任じ、大金貨10枚で雇っても良い」
やはりグラシアは首を横に振る。だが、エッボがグラシアの腕に
「ねえグラシア、受けても良いんじゃないかな。蓄えだってそこまであるわけじゃないんだし」
「アタシは嫌だよエッボ。アンタと離れ離れになって過ごすなんて、考えたくもない。お金の問題は……きっとなんとかなるさ。アンタだって働いてくれるんだろう?」
「それは……そうだけど……」
エッボの表情が曇った。「働く」という単語を聞いた瞬間に、だ。ふむ?
「グラシアさん。エッボさんは専業主夫なので?」
「ええ。本当によくやってくれていますよ、掃除に洗濯……それに、この料理だって彼が作ったものです」
「なんとまぁ」
エッボは完全なヒモというわけではないようだが、珍しいなと思った。男が家事をするなど、普通は「女々しい」と
微妙な矛盾を感じる。もう少し掘れば突破口が見つかるだろうか、と思っていると、ヘルマンが立ち上がった。
「グラシアさん、俺は感動した! エッボさんは素晴らしい男性だ! 全力で貴方を支えている!」
「そうでしょう。自慢の……未来の夫です」
「ぐっ……だがよぉグラシアさん、ならばもっと彼に楽をさせてやろう、とは思わないか? ここらで一発稼いでおけば、数年は2人で遊んで暮らせるんだぜ?」
「うーん……」
「それによぉ、ものは考えようだ。ちっとばかし離れたほうが、こう……恋しさみたいのが募って、もっと愛情が深まるかもしれねえ」
お前は2人が離れたスキにグラシアを口説きたいだけだろう、ヘルマン。そう思いながらも、加勢してやる。
「彼の言う事も
荘園の老夫婦が言っていたことの受け売りだ。2人とも不倫していたが。
だがグラシアは、やはり首を横に振る。
「ご忠告どうも、王子様。でもそれはアタシたちには当てはまらないですね、だってアタシとエッボは」
そう言って彼女は、豊満極まりない胸にエッボの頭を抱き寄せ、彼の赤毛を愛おしげに撫でた。
「心も身体も通じ合ってるんです。会話なんてなくてもいい……」
あ、こいつら婚前交渉してるな! ダメだこりゃ、今まさに彼女たちは愛の炎に身を包まれているのだろう……不純だと咎めても良いが、さらに燃え上がるのは目に見えている。荘園の老婆(駆け落ち経験者)から聞いた。
ヘルマンが「エロすぎる……」と股間を抑えているのを無視し、私は立ち上がった。
「なるほど、よくわかった。私とて良識ある人間だ、これ以上2人の愛の巣を汚そうとは思わない。そろそろ失礼するよ」
「申し訳ありません、王子様」
「だが気が変わったら、ぜひ『金の鹿亭』に来てくれ。優秀な戦士のために、いつでも隊に枠は空けておこう」
グラシアは控えめに礼をして、私と前かがみになって歩くヘルマンを見送ってくれた。
扉を締めると、子犬を連れたバルトルードがやってきた。
「首尾は……その表情を見るに、芳しくはなかったようですな?」
「ご明察だ」
グラシアの勧誘失敗はすなわち、王都での傭兵募集が望み薄だということを意味する。これはもういっそ早めに王都を発ち、別の街や村で募集したほうが良いのではないかとすら思える。
だがヘルマンは意気揚々としている。
「お、俺は真実の愛を見つけてしまった……なんとしてでも口説き落としてぇ……」
股間が膨らんでいるぞヘルマン。
「真実の愛が股間のテントの中にあるとは知らなかった。で、あれをどう切り崩すつもりだ」
「それは……わかんねぇ。でもなんかあるだろ、きっと。愛は道を切り開くもんだ」
「先にお前のズボンが切り開かれないか心配だよ。率直に言えば、私は無理だと思うぞ」
バルトルードが声をかけてきた。
「妙案が浮かばぬ時は、散歩が一番ですよ旦那様。私も良い詩が思い浮かばない時はそうするものです」
「まあ、人の家の前で話し込むよりはマシだな」
こうして私たちは、ぶらぶらと王都を歩き始めた。
「ところでバルトルード。この案の発起人としては、何か打開策はないのか?」
「おお旦那様、よくぞお聞きになられました! グラシアを落とすための障害は、彼女の恋人たるエッボだということはご理解頂きましたよね?」
「ああ」
「ようはあの2人を仲違いさせるか、エッボ以上に魅力的な男になってグラシアを寝取れば良いわけです」
「どちらも道徳的とは言えないな!」
「ですが他にどんな方法が?」
困ったことに、それが思いつかないのだ。黙り込んでいると、ヘルマンが手をあげた。
「はいはい! 俺がグラシアを寝取る!! バルトルード、グラシアの男の好みを教えてくれ!」
「手をあげる前に股間を下げてくださいませ。……よし。お答えしますと、彼女の好みはまさにエッボのような男でございます。女と見紛うような優しい顔立ちに柳のような細い身体、奴隷のように従順、執事のように家事全般をこなす」
少なくとも容姿に関しては、ヘルマンはその対局にあるような男だ。脈なしだろう。だが彼は諦めない。
「……数日絶食しながら、家事覚えるか」
「7日絶食した程度でお前があれだけ細身になれるとは思わんし、筋肉が落ちたら戦えないだろうが!」
「これは愛のための戦いだ!」
「なら骨格の時点で負けてるんだよ!」
バルトルードが咳払いした。
「えー、まあ、容姿に関しては正直ヘルマン様より、ディオス様のほうがよほど……というかかなり、グラシアの好みに近いと思いますよ」
「母親に似て良かったよ」
「つまりあとは、家事全般を覚えて……従順に振る舞えば!」
「なるほど妙案だ……とでも言うと思ったか!? 家事に強くて従順な、つまり執事か家政婦のごとき男に誰がついてくる!? グラシアを落とせたとしても、他の兵にナメられるだろうが!」
「しかしグラシアを落とさねば、そもそも他の兵なぞついてきません」
「ぐっ……」
本当に……これは本当に、やらねばならないのか? 私が? 今から洗濯や料理に皿洗い、掃除や裁縫を覚えねばならないのか? 王都最強の女傭兵を雇うためとはいえ?
「ちょっと考えさせてくれ」
ヘルマンは「まさかお前が恋敵になるとはな」と言いながら私を睨んでいる。無視。バルトルードは「やるしかありますまい。花嫁修行を」と至極真面目な顔を……いや貴様、今一瞬笑ったな? ぶち殺してやろうか。
バルトルードを睨みつけていると、彼の背後に人の列が出来ているのが目に入った。
「おい、どいてやれ」
バルトルードをどけると、列の先頭にいた中年の男性が控えめに頭を下げた……喪服を着ている。その後に続く者たちも皆だ。彼らのうち4人は、棺を抱えていた。
「葬列でございますな」とバルトルードが言う。彼らが私たちの横を通り過ぎるのを待ちながら、白百合がぎっしりと敷き詰められた棺の中に収められた遺体を見る……赤毛の少年であった。
「若いのに、可哀想にな」
私はそう言いながら、黒銀貨を1枚棺の中に放り込んでやった。葬列の参加者たちが会釈を返す……と、その時。聞き覚えのある女の声が響いてきた。
「ちょーっと待った!」
全員が声の方向を見る。そこには、あの口が悪いド貧乳女神官マリーがいた。
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