第二章:カネと下士官を用立てる

第7話

 王宮を出ると、王都ニケアの街並みが視界を埋め尽くす。王宮は小高い丘の上に建っているので、こうして王都全景が見渡せるというわけだ。


 ニケアは2本の川に東西を挟まれており、これが王都たる所以であった。すなわち戦時にあってはこの川は天然の水濠すいごうとなり、難攻不落の要塞として街を守る。そして平時にあっては川を走る船たちが富を運んでくる、というわけだ。


 今の季節は、春の雪解け水で増水した川の上を無数の商船が行き来している――川船団や隊商の護衛として、傭兵も大量に付随しているはずだ。これを雇えば、即席の軍隊が出来上がるという寸法だ。


 単身魔族領域に乗り込むのは自殺行為であるし、東部諸侯に「軍隊貸して」と頼むのは……ある事情から、これも自殺行為になりかねない。交渉材料として、自前の軍隊を引き連れて行かねばならない。


 そういうわけで、傭兵たちに声をかけるのが最初の仕事になるはずなのだが……。

「先立つものがなければ話にならん」


 まずは荘園を売り払い、現金を手に入れる必要がある。私は市街地へと降りてゆき、商会が軒を連ねる街区へと向かった。


 門を叩いたのは、『アンデルセン商会』と看板がかかった建物であった。王国では2番手の規模を誇る商会である。出迎えてくれた品の良い丁稚に要件を告げると、ほとんど待つことなく商会長室へと通された。


 控えめな装飾が施された、しかし仕立ての良い服を着た中年の男が、片膝をついて出迎えた。


「ようこそアンデルセン商会へ、ディオス殿下。商会長のアドルフでございます」


「楽にして欲しい、アドルフさん」


「お言葉に甘えさせて頂きます。殿下もどうぞお掛けになってください」


 私とアドルフは商談用のローテーブルを挟んで椅子に腰掛けた。アドルフは人好きのする微笑みを浮かべながら、話を切り出した。



 おや?


噂の神オサはずいぶんと脚が速いようだな」


「かの神も我が商会の情報網には敵わないようですね。……おっと、これは殿に不敬でしょうか」


「いいや、別に彼女とは特別な関係にあるわけではないからね。気にしなくて良い」


 そう言いながら、私は舌を巻いていた。私は判決が下ってから、マリーとヘルマンと雑談した以外は時間を潰していないのだ。だというのにこのアドルフという男は、既に判決内容を知っているようだ。王宮内に協力者がいるのだろうか? 2番手とはいえ、大商会というのは侮れないものだ。


 私は控えめに口角を釣り上げてみせる。


「その優れた情報網は、当然ながら人に物を売りつけるためのものだろう。人脈にも期待してよろしいのかな?」


「勿論でございます、殿下。荘園の買い手を見つけるのは苦もないことでございます。それどころか、今日この場で私どもが荘園を買い取ることも可能でございます」


 当意即妙とはこういうことを言うのだろう。心地よい会話に、私の荒んだ心は慰めを得た。


 王が私に与えた出立猶予は7日間だ。小さな荘園の売買とはいえ大金が動くことであるし、まず買い手を見つけるところから始めるとなると、通常は7日で商談をまとめ上げるのは困難だ。ゆえに私は商会を噛ませることにしたのである。


 アドルフは「概算になりますが」と前置きした上で、紙にペンを走らせた。


「この金額で如何でしょう」


 紙には「大金貨500枚」と書かれていた。大金貨1枚は1年分の食費に相当する。傭兵1人あたま大金貨4枚で1年間雇うとすれば、100人……やや小さめの1個中隊は雇える。下士官には倍払うとしても、500枚あればなんとかなる。だが。


「もう少し高くても良いのではないか? なんせ王都から徒歩1日の距離だし、水路にも接続している」


 格安の輸送費で王都に作物を納入できるのだ、と我が荘園の価値を説明してやる。実際、大金貨700枚でも欲しがる者は出てくるだろう。上手く経営すれば、30年とかからず元が取れるはずだ。


 だがアドルフは首を横に振る。


「申し訳ありませんが殿下、手数料諸々を考えますと、これ以上高値で買い取ることは難しく。しかし代わりと申してはなんですが、貴方様が率いることになる部隊に、我が商会の隊商を派遣しましょう。道中補給に困ることはないと保証できます」


「従軍商人なぞ、呼ばなくとも勝手に着いてくるものだろう? 話にならんよ。問題にしているのは荘園それ自体の値段だ。今この場で見せられないのが残念だが、私は荘園からの収入をほとんど荘園に還元している。治水工事や貸与用の農機具の購入にだ」


「存じ上げております。貴方様の荘園は豊かで、災害にも強い。規模の割に大きな収入が見込めるでしょうね」


「なら」


「ですが、大金貨500枚が限度です」


 ……おかしい。普通商談というものは、多少の譲歩を見せてやり、金額には納得しきれずとも「まあ相手も譲歩していることだし……」と感情的に納得させてやるものだ。


 王国2番手の大商会がそのセオリーを外してくるのは、意外なことであった。アドルフは、あまりにも……かたくなだ。そう、異様に頑ななのだ。かといって足元を見ているふうでもない。何かがおかしい。


「……アドルフさん。私がアンデルセン商会を選んだのはな、1番手……すなわち王家御用商会たるギルベルト商会では、アレクシアレス王やアイアス王太子の妨害が入ると思ったからだ」


慧眼けいがんでございます」


 アドルフは微笑みを崩さない。だが瞳の奥に、興味の色が見えた気がした。


「そしてこの値段を突きつけられた今、憤慨して3番手4番手を回っていく……私がそういう選択肢を取り得ることも、貴方ほどの商人なら理解しているな?」


「勿論でございます」


 アドルフはそう言ったきり、商人としての笑みを貼り付けたまま黙ってしまった。 つまり「それでも構わない」ということだ! 荘園の売買なぞ、右から左に証書を流すだけで手数料が稼げるし、自分で経営しても儲かる美味しい仕事だというのに、それをフイにしても構わないというのか?


 ……否、フイにしても構わないのではない。相手は商人なのだ、、という思考なのだろう。だが何故?


「……政治か」


 アドルフは表情も崩さず、無言。だがその無言は、私の推測の正しさを肯定しているように思えた。政治……王宮の関与?


「アドルフさん。思えば、貴方が私に下された判決をいち早く知っていたのはおかしいな」


「ほう?」


「なんせ判決が下されてから、私は殆ど時間を無駄にしていない。謁見の間に居合わせた衛兵や法務官たちが、職務を放りだして貴商会の間者に告げ口する猶予があったとも思えないし、だいいち彼らはそこまで怠慢ではなかろうよ」


 あるいは先に王宮を出たマリーやヘルマンが吹聴して回った可能性も無くはないが……あの口の悪い神官と粗忽そこつ者の我が従士ならやりかねないと思わなくもないが……私は善人なので、彼らの善性を信じることにしよう。


「つまり時間的に、王が意図的に伝令吏を走らせない限り、貴方は判決内容を知っているはずがない」


 アドルフは無言。いや、商人として貼り付けた微笑の裏には、心からこのやり取りを楽しんでいるような雰囲気が感じられた。


 王が大商会に、判決内容を知らせたことは確定と見てよい。だが何故? アドルフの視線を受けながら考える。


「……知らせたのは判決内容だけではないな? 荘園の売却価格を制限するよう命じた?」


 ここに来て、やっとアドルフは口を開いた。


「何故そうお考えに?」


「私が編成する軍の規模も、自ずと制限されるからだ。なるほど100人程度では王宮の占拠なぞ出来るはずもない」


「私は商人ゆえ、そういった軍事的な推測にはコメントしづらいですね」


「なら貴方の領分のことも話そう、貴方は我が隊に隊商を派遣すると言ったな。これはつまり、アンデルセン商会が我が隊の動向と財務状況を監視し続けると同義だな」


「そのような情報、誰が欲するというのです?」


「とぼけるなよ、アレクシアレス王その人だ」


 財務状況がわかれば、どれだけ兵を増やせるか、どれだけの期間軍を維持できるかがわかる。私が魔族領域に向かうと見せかけて道中で支援者を募り、軍を膨らませて王都を急襲する――アレクシアレス王はそれを警戒しているに違いない。


「まさかあの武人王がこんな芸当をやってのけるとはね……いや、優秀な廷臣が居るのか? あるいはまさか、アイアスか?」


「アイアス王太子は論外です、あれはまさしく愚物ですので。さりとて廷臣もそこまで優秀ではありませんよ。優秀な輩は概ね大反乱に加担し、殺されましたので」


「ではアレクシアレスがこんな奸智かんちを巡らせたわけか」


「まさしく。そもそも武力だけで20年も玉座を維持出来るわけがないのです……家臣に頼らず、全て自身の能力で片付けてしまうあたり、まさしく神の如き王ですな」


「チッ……」


 いずれにせよ、クーデターの難易度は想像以上に高いことがわかった。否、ほとんど不可能と言っても過言ではないだろう。どの商会をも噛ませず、自力で荘園を売却したとしても、勝手にひっついてくる従軍商人の中に、王の息がかかったものが紛れ込むだろう。


 かといって従軍商人を無理やりに追い払うことは出来ない。そんなことをすれば補給がままならぬし、さりとて自分で輸送部隊を編成するだけのカネもない。


 ――結局は王の手中で弄ばれることを受け入れるしかない、か。畜生。


 悔しさに歯噛みしていると、アドルフが笑い出した。


「ふふ、ははははは!」


「……見えない鎖に繋がれている愚者を見るのは、さぞ楽しいだろうな?」


「ああ、いや、これは失礼。そういう意図ではないのです……御無礼を承知で申し上げれば、貴方様が想定以上に賢明であらせられた事が心地良いのですよ、ディオス王子」


「ならそれに免じて、多少荘園を高値で買ってくれても良いのではないか?」


「それは無理というものです、王子殿下。誰だって神の如きアレクシアレス王に睨まれたくない!」


「そうだろうとも。……これ以上の雑談は無用だな」


 とっととこのくだらない茶番を終わらせよう。そう言おうとしたが――私は、アドルフの表情に「期待」の色を見た。この男は、私にまだ何かを望んでいる?


 何だ? 何を望んでいる? いや、私は何を見落としている?


「……アドルフさん。思えば貴方は、わざわざ先手を打って自らの情報網を誇示する必要はなかったな?」


 あれがなければ、私は王が張り巡らせた策略に気づくこともなかったろうに。気づかせて、何がしたい? まさか私を弄んで楽しんでいるワケではあるまい。相手は商人だ、その先に何か利益を見ているはずなのだ。


「王の策略に気づかせ……慎重に振る舞わせるため? 慎重に、力を蓄えさせるため?」


「なんのために?」


「ギルベルト商会は王家御用商人として確固たる地位を築いている。多分これは我が王家が続く限り変わらないだろうな。つまりアンデルセン商会は永遠の2番手ということになる」


 アドルフは目を細めた。


「だがどうだろう、アンデルセン商会と懇意にしているディオス王子が王位を簒奪さんだつしたなら? 次代の御用商人は」


「……本当に聡明なお方だ、ディオス王子」


「随分とヒントを貰った気がするが……貴方こそ随分と野心家だ」


「売却益で儲けるのは三流商人でも出来ますが、一流は利殖で儲ける。そういうものです」


「……具体的な話を聞かせてくれ」


「具体的? ああ、残念ながらさほど壮大で綿密な計画があるわけではありません……なにせ急な話でしたからね。それに率直に言えば、今のところ貴方様は我が商会にとって苗木の1つに過ぎません。間引くか肥料を与えるかは、成長次第といったところです」


「ここ最近、私は率直な物言いをする者との出会いに恵まれているようだ」


「気分を害したのなら謝罪しましょう。ですが、ええ、確実に言えるのは、その価値があるなら私どもは投資することをいといません、ということです」


 気に食わない言い回しだが……この段階でパトロン候補を得られるのは、大きい。ここでしっかりと掴んでおきたい。


「嬉しく思うが、口先だけならなんとでも言えるものだ」


「ごもっともなお考えです。私が貴方様を王に売ったなら、少しばかり王の歓心と金貨が手に入るのは確かなのですからね。信用の証が必要でしょう……ローザ、こちらへ」


 彼が扉の外へそう呼びかけると、1人の少女が入室してきた。可愛らしい顔立ちをしている。おそらくは15か16歳。栗色の巻き髪と、眠そう……というよりは自信なさげな目が印象的だ。


 アドルフが紹介を始める。


「私の1人娘、ローザです。商人としてはまだまだ未熟ですが、算術と財務管理の腕は一人前です。彼女を隊商のうちに加えましょう。窓口として、あるいは財務官としてお使いくだれば幸いですが……ようは人質です」


「物言いが率直すぎる!」


 実の娘にそれを言うか!? アドルフを睨みつけるが、彼はどこ吹く風だ。


 ローザは傷ついたように小さく肩を震わせつつ、「よろしくお願いします」と頭を下げた。私はローザには微笑んで会釈を返したが、憤慨も露わにアドルフへと視線を戻す。


「あまり気持ちの良いやり方ではないな」


「では公証人の前で宣誓と証書でも交わしますか? 『謀反計画を漏らしません』と? 無理でしょう?」


「それはそうだが! これでは、まるで……」


 私と同じではないか! ローザは今、己の意思は関係なく、親の命令で死地におもむかされようとしているのだ。なればそれを命じたアドルフは、アレクシアレスと同類だ。


 アドルフは小首をかしげながら、無表情で私を見つめてきた。


「では、人質は不要と?」


 それはつまり、無条件でアドルフを信用し続けることになる。


 何のくさびも打ち込まず、この危険な取引をするのは……あまりにも恐ろしいことに思えた。アドルフがアレクシアレス王に告げ口した瞬間、私は破滅する。だがローザがいれば、アドルフの告げ口を阻止できる。


 私は、己の拳が真っ白になるほどに握り込まれていたことに気づいた。こんな行いはするべきではない。だが、しなければ我が身に危険が及ぶ。


 アドルフは目を細めた。


「勘違いなさらないでくださいませ、ディオス様。ローザはアレクシアレス王に対しての人質でもあるのです」


「なに?」


「最も信頼できる実の娘を送り込み、真面目に監視しているのだというアピールですよ。なれば王も、野良の従軍商人の中に間諜を紛れ込ませる手間を省くかもしれませんね?」


「代わりに貴方が手間賃で儲かるのだろうな」


「貴方様に還元しますとも」


 畜生。ローザはあらゆる面で、人質として有用だ。子を道具としか見ていないような親の論理を、理解してしまった。こんなことは正しくない、正しくないが……私に利益をもたらしてくれる。


 アドルフは心底楽しげに笑いながら、右手を差し伸べてきた。


「大人の世界にようこそ、王子殿下」


「ッ……!」


 大きく息を吸って、吐いて、立ち上がる。強張った拳を開き、差し出す……アドルフではなく、ローザへと。


「申し訳ないが宜しく頼む、ローザ。辛い役目を担わせるが、きみのことは全霊を以て守ると誓う。どうか今はこれで……許して欲しい」


「……はい、ディオス様。私の運命を貴方様に委ねます」


 ローザは震える手で私の手を握り返した。うつむいた彼女の瞳から、涙がこぼれ落ちた。いたたまれなくなった私はそっとローザの手を離し、退室しようとした。アドルフが声をかけてくる。


「では商談成立ということで。荘園の売買契約書は後日ローザに届けさせます。その時は一緒に公証人役場で……」


「わかっている!」


「これは失礼。……ああ、最後に忠言を。どうか、外ではもう少し……愚鈍に振る舞うことです。貴方様の聡明さが知れ渡れば、王も廷臣も警戒するでしょうから」


「聡明なら謀反など企ててはおるまいよ」


 そう言い残し、私はアンデルセン商会を後にした。

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