第5話

 王がいなくなるや、謁見の間の空気が軽くなった。衛兵ですら小さくため息を漏らしている。私もまた一息つき、マリーとヘルマンに向き直った。


「ありがとう、2人とも。君たちのお陰で多少の……いや、大きな希望が見えた」


 マリーはまだほのかに顔を青ざめさせていたが、徐々に昨晩のような高飛車な様子を取り戻しながら、私を睨んだ。


「あのままじゃ目覚めが悪くなると思ったからやったまでよ、王子」


「だとしても、あの王に直訴じきそするのは並大抵の勇気では不可能だ。何か埋め合わせを……」


「私個人に? そんなのいらないわ……でもそうね。もし恩義を感じてくれるなら、誰か困っている人を助けてあげて頂戴」


 そう言う彼女の青い瞳には慈愛と、神官としての確かな誇りが宿っていた。それは彼女の姿形よりも眩く見えた。


「……美しいのは容姿ばかりだと思っていたが、とんだ思い違いだったようだ」


「ねえ、神官を口説くのは王家のお家芸なのかしら?」


 ……それを王宮で言い放つのは中々勇気があることだな! 凍りついた空気を察したのか、マリーは「やば」と再び顔を青くした。この女、容姿と反比例するように口が悪いな!


 まあ良い、恩人であることには変わりないのだし、フォローを入れてやる。


「いいや、これはの悪癖かつ罪だよ。抱く気もない女にコナをかけるという大罪だ……おっと、王は抱いてはいけない女にもコナをかけたのだったな。そこまでいくといっそ畏敬の念すら覚えるな」


 なあ? と衛兵や法務官たちに同意を求めると、彼らは苦笑いを浮かべた……全員が笑ったのを確認して、私は満足げに頷いた。よし貴様ら全員王族ジョークで笑ったな。告げ口してみろ、その首が飛ぶぞ。


「……さて、流刑者があまり長く王宮に留まるのも良くない。私は宿に帰るとするが、君は?」


「わ、私も仕事があるからこれで……おほほ」


 マリーはそう言って、そそくさと退室していった。


 ヘルマンが私の肩に手を置いた。


「早速人助けしちまったなぁ?」


「そのようだ。……ああヘルマン、お前にも世話になったな」


「良いってことよ」


「本当に感謝している。今日この日だけではなく、今日この日までの全てにだ」


「お、おう……?」


 彼は流刑を共にするか尋ねられて「嫌」と言っていた。当然である、魔族の襲撃を絶えず受ける東部辺境に飛ばされるのはもとより、あろうことか魔将討伐という死出の旅に付き合わされるのは誰だって嫌に決まっている。私だって彼の立場ならお断りする。


 ならば彼との従士契約も、ここまでだ。


「功に報いるには少ないと感じるやもしれないが、後日お前の家に感謝の印を届けよう」


「……??」


「ツテはあまりないが、次の就職先を……おいヘルマン、その顔はなんだ?」


 ヘルマンは怪訝そうな顔をしていた。


「いや、だってよぉ……なんで俺解雇される流れになってるわけ?」


「流刑を共にするのは嫌なのだろう? もちろん私は咎める気もない、むしろお前の新たな人生を祝福するつもりでいる」


「あー……まあ、そうだな。確かに流刑に付き合わせられるのは嫌だよ」


「そうだろうな。だから……」


「だがよぉ、ダチを見捨てるのは気が引けるだろ。あのバカ神官じゃねえが……目覚めが悪いってーの?」


 ヘルマン。熱いものが胸にこみ上げてくるが……私はこれを振り切らねばならない。友なればこそ、だ。


「友情には感謝するが、目覚めが悪くなるのは私も同じなんだ。死出の旅に付き合わせたくはない。一時いっときの情に振り回されず、冷静に判断してくれ……これは友として、真摯しんしな忠告だ」


 ヘルマンの顔が怒りに歪んだ。


「一時の情だと? ふざけるなよ、6年だぞ! どっちが先にチン毛生えるか競い合ってた頃からの付き合いが、一時だってのか!?」


 ヘルマン。友情エピソードは他に何かなかったのか? それにここは王宮だぞ。たしなめるように、ヘルマンの肩に手を置く。


「私が先だったな、ヘルマン」


「そうだよ畜生! ……とにかくよ、そんな奴が魔将ブッ殺しに行くとか、望みがあるんだか無いんだかわかんねぇ旅に出ようとしてんだ。ここで着いていかねぇ奴はダチでもねぇし男でもねぇよ」


「ヘルマン……!」


 ああ、私は良い友を持った。彼と過ごした日々は、私の甲斐性に応じて、決して裕福といえるものではなかった……だが今は、その思い出がどんな宮殿より輝いて見えた。


 涙よこぼれてくれるな、と祈りながらヘルマンの手を取り、目を見る――彼は恥ずかしそうに笑い……一瞬目を逸らした。


 輝かしい思い出の宮殿が、急速にほこりを被った。6年の付き合いは友情を育んだが、それに付随して彼の癖への知識もまた育んだ。ヘルマンが目をそらす時は、何かろくでもないことを考えている時だ。


「ヘルマン。本音を言え」


「……全部言ったさ」


 では何故目を合わせない。


「主人として命令すべきか、友として懇願こんがんすべきか迷っている」


「……。……東部辺境までの道のりって長いじゃん?」


「徒歩ならゆうに二月ふたつきはかかるだろうな」


「色んな村に立ち寄るじゃん?」


「そうなるだろうな」


「つまり……色んな女に会えるじゃん? しかもほら、魔将狩って大英雄になれば……モテモテじゃん?」


 ヘルマンは女好きである。彼が13歳の頃に、当時25歳であった人妻の授乳シーンを覗いてしまってからというものの、歳上で背が高くて胸が大きい女に目がなくなってしまった。ただ悲しいかな、ヘルマンの粗暴さは、歳上女性に好まれない。好みの女には決して、モテないのだ。


 まあこれは、適切な嫁を手配してやれなかった私の甲斐性なしにも原因がある。


「……よろしい」


 私は財布をさぐり、黒ずんだ銀貨――娼婦への支払いに使うような低額貨幣――を数枚取り出し、ヘルマンに差し出した。


「すっきりしてなお答えが変わってなければ、2時間後に『金の鹿亭』……昨日使った酒場に来てくれ」


「配慮に感謝するぜ、友よ」


 ヘルマンは黒銀貨を掴み、謁見の間を飛び出していった。娼館に直行だろう。これで良いのだ、一発ヤッた後のヘルマンは比較的聡明になるのだから。改めて答えを聞くのはその時でよい。


 さて、と私も謁見の間を後にする。一瞬だけ、空席になった2つの玉座を睨む――やってやるさ。私を呪った不滅の神々も、呪いの原因を作ったアレクシアレスも、絶対に見返してやる。

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