第4話
一瞬、時が止まったように思えた。誰もが呼吸を忘れ、謁見の間をまったき無音が支配した。
誰もが、その言葉を理解出来なかった。私もだ。
流刑? 流刑だと? 南の孤島か東の辺境に追いやられ、そこで一生を終えるという、あの流刑?
誰がどう考えても正当防衛だというのに? あり得ない。あり得ない不当判決である。法務官が言っていた通り、あっても罰金刑が関の山だというのに――ああ、そうか。父王はそれほどまでに。
法務官が何事か言おうとしたのを遮って、私はアレクシアレス王に語りかけた。口の中が苦いな、と思いながら。
「王よ。なれば貴方はこれより正義を旨とせず、不正を正となし、公平を憎む暴虐の王として振る舞われるがよかろう」
「……ほざいたな。不満があるなら
ほう、と私は
「ならば申しましょう……これは明らかに不当な判決です。流刑……流刑ですと? 誰の目にも、私が我が身と淑女の身を守ろうとしたことが明らかだというのに!? 率直に申せば、私は貴方が
「私怨だと?」
「ええそうですとも、貴方は私を疎んでいるのでしょう。神々に呪われたこの私をね! ……それもこれも、貴方が禁を犯したが故の神罰だというのに!」
「神罰か、懐かしい言葉だな。そう
神官は純潔を守らねばならない。その禁を犯したアレクシアレス王に対し、諸侯や神殿はこれ幸いと反旗を
かくして大反乱が起きたが――アレクシアレス王は、戦が強かった。本当に強かった。兵力差2倍の相手に野戦で圧勝するのは当たり前、3倍でも負けなし。しかもこれを攻城戦の片手間にやっていたのだ。
1度だけ兵力差5倍の敵に負けたことがあるが、その撤退戦のさなかに敵本営に斬り込んで反乱首脳部の半数を殺し、自身は無傷で帰還したらしい。化け物である。
こうして大陸全土を駆け回って城を落とし野戦軍を壊滅させ、敵対する者全てを
「――実にくだらぬ。神罰だと? 予は全てはね退けてみせたぞ」
「母と息子に降り掛かった神罰までは、はね退けられなかったようですがね」
母は
「貴様の母は実に惰弱な女であったことよ。それに貴様もだ。人は産みの親を選べぬし、また親も子を選べぬ。同様に、生まれ持つ資質を選ぶことは誰にも出来ぬ。それに対しぐちぐちと不平を漏らすとは、なんたる惰弱か」
惰弱。惰弱だと? あまりの怒りに、視界が一瞬にして赤く染まる。
「――ふざけるな、クソ親父! 私はずっと、貴方が賜った不公平に耐え、誰にも後ろ指差されぬようにと努力してきた! 剣も魔法も学も!! それを惰弱と吐き捨てたか!!」
「いかにも、いかにも。なるほど貴様は努力してきたのやもしれぬ。だがな」
アレクシアレス王は嘲笑を浮かべ、目の前にいる愚か者を民衆に紹介するが如く、両手を広げた。
「――その結果がこれか、バカ息子めが!!」
凄まじい大音声が謁見の間を満たした。頬がびりびりと揺れるようだった。父王は凄まじい形相で私を睨みながら言葉を続けた。
「何故貴様は証人がおらぬ場で人を殺した! 『忌み子が夜陰に紛れて
「それ、は……!」
酔っていたところに、怒ったマリーが「殺せ」と言ったから――などとは明かせなかった。判断力が鈍るまで飲んだ時点で「酒に呑まれるなぞ惰弱」と罵られるであろうし、「何も考えずに他者の言葉に従うのもまた惰弱」と言われるであろう……実際、これは私の落ち度である。反論しようがない。
「だんまりか? ……確かに人気のない夜道で、怪しからぬ輩に襲われることもあろう。戦い方も知らぬ平民であれば、反撃の勢いで相手を殺めてしまうこともあろう。――だが貴様は確か、剣と魔法において涙ぐましい努力をしていたのであったな? 一流の戦士気取りというわけだ」
「……」
「その沈黙は実に愉快である。理解しておるのだな? 真の戦士であれば、此度はどう振る舞えば良かったのかを?」
「……」
「言え!」
「……生きたまま捕らえ、衛兵に引き渡す。私にはそれが出来るだけの実力があるのだから」
「ぬるいわ! 王族がナメられるであろうが!」
「……大通りに引きずり出して衆目に
「正解だクソバカめが!!」
――反論のしようがなかった。この国は……否、少なくともこのアレクシアレス王はそういう論理で動いていて、30年以上玉座を護り続けているのだ。この実績の前には、私という青二才が何を言っても通じぬであろう。
強すぎるのだ、この王は。――故に、力の論理を身内に押し付ける。
アレクシアレス王はつまらなそうに頬杖をついた。
「流刑の理由はわかったな。王族にあるまじき惰弱、それが罪状である。貴様は王家に不要というわけだ。不服はあるか」
大いにある。だが、呪われた身に生まれたことの苦しみなぞ理解出来ぬであろうし、する気もない。全てを「惰弱」の一言で切り捨てる気なのだ。この王に対して何を言っても無駄だろう。
そう思ったのだが、マリーが震える声で異議を唱えた。
「お、王よ。不服ならございます」
「ほぉう。申してみよ」
「私を無力な婦女子と誤認しての上とはいえ、此度の仕儀へとディオス王子を突き動かしていたのは、彼の心に宿る良心であると理解しております! その良心の結果が流刑では、あまりにも……あまりにも……!」
彼女の顔は隠しきれぬ恐怖に歪み、涙を浮かべていた。私はひどく驚いた。「此度の仕儀はディオス王子が思い上がった末、自滅しただけである」と切り捨てても良いはずなのに――否、昨晩の高飛車な態度からすれば、そうするものと思っていたのに。
一時の気の迷いであろうか。だとすれば、それで彼女が王の不興を買うのは、いよいよやるせない。私は「やめろ、マリー」と小さく声をかけたが、彼女は私をひと睨みすると、王へと視線を戻した。あくまで我を……彼女の信じる正義を通す気なのか?
王とマリーの睨み合いは、しばしの沈黙をもたらしたが……その沈黙を破ったのは、ヘルマンであった。
「お、俺にも不服があります、王様。ディオス王子にその……なんかいい感じの助言が出来なかった俺にも、責任があるはずです」
ヘルマン、お前という奴は。
王はヘルマンを憮然と見やった。
「では貴様も責任を取り、共に流刑になりたいと?」
「あ、いえ、それは嫌ッすけど……」
ヘルマン、お前という奴は……!
「せ、せめて、俺の責任のぶんだけ……げ、減刑とか出来ないスかねぇ……?」
ここにマリーが加勢した。
「あるいは
「…………」
王はしばし、マリーとヘルマンを
「王が下した判決を覆すことは出来ぬ」
まあ、そうだろうな。言葉を翻すことすら惰弱と思っているのだろう。
「……だが条件を付け加えることは出来る。良かろう、そこな従士と神官の言い分も
謁見の間がざわついた。これは……思ってもみなかった譲歩だ。このアレクシアレスという王にも人の心があり、マリーとヘルマンの姿に情が働いたのであろうか?
「――魔将を5人討伐せよ。さすれば帰還を許す」
「なっ……」
――ああ、期待した私がバカだった。
魔将とは、東部辺境領のさらに東にある魔族領域――そこで一軍を率いている者たちのことだ。人類は300年前に魔王を討ったが、配下たる魔将たちはその後も頑強に抵抗を続け、それを討てた者は数少ない。300年の間ずっとだ! ――その魔将を5人も討てというのだ、アレクシアレス王は。
王に問う。
「念の為確認します、王よ。兵は貸して頂けるので?」
「貴様のような半端者に、誰が兵を貸すと思うてか。自分の荘園を売り払って得たカネで軍を編成するが良い。あるいは」
「……死にたければ1人で
「左様」
なるほど、なるほど。
やはりアレクシアレス王は暴虐の人である。譲歩したように見せかけ、死地へと誘う。全てを取り上げるのではなく、自分から捨てるように仕向ける。弱者をいたぶるのはさぞ気持ち良かろうな。
――弱者、か。
私は、自分を弱者と認めたことが、どうにも我慢出来なくなってきた。確かに私はアレクシアレス王よりは弱かろう。だがそれは、今の話だ。
いずれ越えられないと、誰が断言出来ようか? 否、越えてやろうではないか。
私の脳裏に浮かんだのは「
大それた野望だとは思う。軍神が如きアレクシアレスを相手取るのに、どれだけの準備が必要か検討すらつかない。だが流刑地でいじけたまま虚しく朽ち果てるよりは、よほど夢がある。
「……受けましょう、王よ」
「よかろう。出立までの猶予は7日間やる」
「ありがたき幸せ。ですが私からも1点、条件を付け加えさせて頂きたい」
「申してみよ」
「荘園を売り払って軍を編成するのは妥当ですが、それでは帰還してから食うのに困ります。ですので帰還した折には、代替の荘園を賜りたい」
これは挑発である。それと同時に、大義名分を作るための一手でもある。どうか上手くいってくれと願いながら、王の反応を待つ。
果たして王は、嘲りも露わに笑みを浮かべた。
「ほざいたな半端者めが、もう帰還後の心配をするとはな! ……だが面白い、受け入れよう。貴様が正しく帰還を果たした折には、望む領地をくれてやろう」
「……!」
最高だ。最高の回答だよ、アレクシアレス王。私には到底出来ぬと侮ってのことであろう。だが貴様は今、最悪のミスを犯したぞ。
「なれば王よ、今の我々の言葉が嘘偽りなく実行されるように、神々に誓いを立てて頂きたい」
「よかろう。……神官マリー、貴様が仲介せよ」
呼ばれたマリーは驚きながらも、流石本職と言うべきか、即座に私とアレクシアレス王の間に立って宣誓式を始めた。
「ゼウス並びにオリュンポスにまします不滅の神々よ、これより2人の男が誓いを立てます。どうかお聞き届け願います」
私が続く。
「私、ディオスは誓います。私はアレクシアレス王に課せられた刑罰を受け入れ、過不足なく服します」
続いてアレクシアレス王。
「予、アレクシアレスは誓う。我が第一子ディオスを東部辺境への流刑に処する。ただし彼が魔将を5人討った場合には帰還を許可し、彼が望む領地を彼に与えるものとする」
マリーが頷き、形式通りに宣誓式を締める。
「――以上の宣誓はこれより、アレクシアレスならびにディオス両人を拘束します。ただし『与える者』アレクシアレスが死去した場合、この宣誓はその嫡男が相続するものとします。さらに、彼に嫡男ないし適切な相続人が存在しない場合は――不滅の神々が、代替に足るものを『受ける者』ディオスに賜りますことを、願い請います」
ようは私が魔将5人を討つ前にアレクシアレスが死んでも、彼の嫡男――王太子たる弟に、私は『望む領地』を請求できるということだ。保険である。
かくして宣誓式は終わり、王は退室する……その中途で、「おお」と言って立ち止まった。
「あれを持て」
そう命じられた衛兵が、鞘に収められた一振りの剣を王に差し出した。何事かと思っているうちに、王は私を手招きした。困惑しながら近づいてみると、王は鞘の中程を持って私に剣を突き出した。
「
そう言われては否応もない、表面的に恭しく振る舞いながら受け取る――素早く剣に目を走らせてみれば、鞘は簡素な装飾と王家の紋章が彫り込まれた銀板が貼り付けられており、それなりの品だとわかったが……柄に巻かれた革はひどく古びていた。刃渡りは片手剣サイズだが、柄はやや長く、長剣サイズ。
「先祖伝来の品でしょうか」
そう尋ねてみれば、王は興味なさげに鼻を鳴らした。
「知らぬ。宝物庫の奥で眠っていたものを適当に掴んできただけだ」
なら、贈答用に作っておいたが贈る相手がおらず、時代遅れになってしまった品なのだろうなと思った。というのも、この剣は刃がいくらか分厚すぎるように見えた。現代の技術ならもっと薄く作れるものだ。
……こんな骨董品が、餞別?
ああ。
合点がいった。下級裁判をすっ飛ばして国王裁判に招いた理由がようやっとわかった。王はどうやら、事前にこの剣を用意した上でこの裁判に臨んでいたようである。おそらくは事前に訴訟内容は聞いており、判決もまた事前に決めて、この剣を用意していたのであろう。
つまりこの剣は「帰還条件なしの流刑」に対する餞別なのだ。だとすれば、これは。
「自決用、ということでしょうか?」
そう問うてみるが、王は何も言わずに私に背を向けた。
図星か。つまり――この裁判は、忌み子たる私を排除するために仕組んだものと確定したわけだ。『王族にあるまじき惰弱、それが罪状』だと? とんだ茶番劇だ……許しがたい。今すぐこの剣を抜き放ち、その背を斬りつけてやろうか――柄に右手を伸ばそうとするが――やめた。
否、出来なかったのだ。この状態からでも、王には手傷ひとつ負わせることが出来ない――戦士としての私が、そう警告していた。
認めたくないが、認めねばなるまい。私はまだ、アレクシアレスの足元にも及ばない。
「お達者で、父上」
苦し紛れにそう言ってみせたが、王は何も返事せずに退室していった。――お達者で。再会してぶち殺す、その日まで。
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