第2話


 ……そう、そうだ。そういう顛末てんまつだった。私とヘルマンは腰に剣を帯びていたが、狭い路地裏で振り回すのは得策でないと考え、素手のまま悪漢たちに立ち向かい――一瞬でナイフを奪い――私は悪漢Aの首筋をかき切り、ヘルマンは悪漢Bの頭を掴んで敷石しきいしにぶつけ、額と頚椎を割った。


 訓練通りの動きであった。きっと師匠もニコニコ笑顔で拍手しながら褒めてくれるであろう、鮮やかな手際であったが……今考えれば殺さず、腕の1本や2本折って捕縛する程度で済ませれば良かったかもしれないな。どうして殺したんだっけ……?


「そう、そうだ。貴女が殺せと言ったから……」


 フードを被った女を指差す。


「わ、私のせい!? 普通は本当に殺すなんて思わないでしょう!?」


「そうかな? だがまあ、正当防衛だろうこれは。無問題だ」


 確かに私は酔った勢いで人を殺した。だが相手は友人ではないし、非は十割相手方にある。つまりこれは悪行ではない。私は善人のままだ。そうだよな?


 女も得心したようで、こくりと頷いた。


「それもそうね」


 そうだよな!


「……いや」


 彼女は周囲をきょろきょろと見回した。私たち以外にこの路地裏には誰もいないし、空き家なのか厄介事には関わらない主義で顔を出さないのか、ともかく人気はない。


「……やっぱりまずいわよこれは。目撃者がいない」


「あー……? あっ」


 頭から血の気と酔いが抜けていくのがわかった。


 だがヘルマンはことの重大性がわからぬのか、小首を傾げている。


「何がまずいんだ? だってどー考えても正当防衛だろ。先にナイフ抜いて襲いかかってきたのは、このバカどもなんだしさぁ」


 ヘルマンはバカどもを蹴り転がし、バカな死に顔を天に向けた。


「ヘルマン、それを証明する手立てがないんだ」


「あのお嬢さんじゃダメなのか?」


「王国法では、当事者を除いた2人以上の目撃者が証言して、宣誓しなければ証拠にはならないんだ」


 現状、目撃者はあの女1人しかいない。いや、彼女も当事者と考えれば目撃者はいないということになる。


「マジかよ。……じゃあアレだよ、適当な奴にカネ握らせて証言させようぜ?」


 ヘルマンがそう言うと、女が「ダメに決まってるでしょ!」と叫んだ。


「偽証は罪よ!」


「なんだよ、別に誰が損するでもないんだから良いだろ?」


「そうだとしても神々に対して破廉恥はれんちと思わないわけ!?」


「おいおいディオス、面倒くさい女助けちまったんじゃねえか? こいつ神官みてぇに小うるせえ」


「――いかにも、私は神官ですけど?」


 女はそう言い、フードを脱ぎながらこちらに近づいてきた。月光が、彼女の容貌ようぼうを照らし出した。


 長い金髪。長いまつ毛に縁取られた、意志の強そうな青い瞳。すっきりした鼻梁びりょうに、細くも瑞々みずみずしい唇。滑らかな白肌に薄薔薇ばら色の頬。


 低い背丈のせいで私よりも1つか2つ幼いようにも感じるが、色香をたたえたあでやかな首筋は、1つか2つ歳上のようにも感じさせる。


 神々は心根正しき者、技芸優れたる者、そして容姿美しき者を寵愛ちょうあいするので、得てして神官は美形の者が多いが――彼女は飛び抜けて美しい。私はしばしその美貌に見とれていたが、なんとか言葉を絞り出すことに成功した。


「これは……これは、美しい神官殿。お名前をお聞きしても?」


「マリー。不滅の神々にお仕えし、聖なる秘技をたまわった者よ」


 聖なる秘技――神聖魔術! 癒やしと護り、助力の魔術だ。神職であっても、これを神々から賜る者は多くない。なるほど、彼女が悪漢に襲われても「大丈夫」と言っていた根拠はこれか。


 マリーは、薄い胸に手を当てながらまっすぐこちらを見つめてきた。


「そちらのお名前もお聞きしてよろしいかしら?」


「ああ、私はディオス。こちらは従士のヘルマン」


「じゅ、従士? ……失礼致しました、従士殿に過分な物言いをしたことをお許しください、血筋尊きお方」


「ああ、そう固くならなくて良いよ神官殿。人目のある場所でもない、平民と話すように接して欲しい。私はその方が気が楽だ」


 マリーが「本当に?」と伺うように小首を傾げたので、笑って頷いてやる。私は公の場でない限り、敬語を省略することを許可している。その方が気が楽だというのは本心であるし、何より……尊い血筋と呼ばれるには、はばかられる事情があるからだ。


 マリーは受け入れてくれたのか、にっこりと笑った。


「わかったわ。……じゃあ言うけどね、サラッと偽証を提案するなんて貴方の部下の教育はどうなってるわけ? 拳の振るい方の前に神々と法への敬意を教え込むのが筋ってものでなくて? だいいち、危険なことしないでって言ったのにノコノコ出てくるんじゃないわよ。怪我でもされたらこっちの目覚めが悪くなるでしょ!」


「……おっとぉ?」


 驚いた。確かに平民と話すように接して欲しいとは言ったが……これはちょっと、かなり、予想外だ。なるほどい女だ。だいぶ、相当、気に入った。


 笑顔のまま爪先で地面をコツコツとこづいてやると、彼女は肩をすくめた。


「冗談よ」


 良い神経してるなこの女。


「神殿ジョークは中々過激なのだなぁ? 少し驚いてしまったよ。だがマリー、きみの言い分はわかった」


「聡明ね」


「特に謝る気はないがね。だが、ここは素直に衛兵にありのままを話すのが得策だと思う」


「それが良いでしょうね、ディオス様」


「ああ。おそらく裁判になるとは思うが、神官の証言なら二人力だろうからな。もちろん証言してもらえるね?」


 神官の社会的地位は、ただの平民より遥かに高い。そして私の身分も平民に比べればそこそこ高いので、ちゃんと証言すれば裁判は安泰だろう。


 だがマリーは悩むように目をぐるりと回し、顔をしかめた。


「正直あまり時間を取られたくないのだけど……」


 この女。


 私は人差し指でベルトをこつこつと叩いてみせた。ベルトには剣が吊ってある。街中で武装が許されるのは、衛兵を除けば貴族とその従士のみである。私の身分を思い出したのか、マリーは肩をすくめた。


「……冗談よ冗談、証言するわ」


「ありがとう。ところで、神官ともあろう者がこんな夜中に一体何をしていたんだ?」


「あー……」


 マリーはぐるりと視線を彷徨わせたが、「まあお貴族様相手なら言っていいか」と言葉を続けた。


「幽霊の調査をしていたのよ」


「幽霊?」


「そう。夜中に死んだはずの友人が歩いているのを見ただとか、最近王都ではその手の噂が流れていてね。真実なら死霊術の使い手が王都に紛れ込んでいるってことでしょ? その真偽を確かめに来たってわけ」


「事実なら大事だし、騒動を避けるため秘密裏に調査すべきことだというのはわかる。だがよくある与太話に思えるのも事実だ。勤勉なことだな」


 神殿の司祭――神職ではあるが神聖魔術を授かっておらず、もっぱら神殿の経営に携わる者のことだ――なら見向きもしない話だろうな。奴らは保身と金儲けにしか興味がない。


 マリーの憮然ぶぜんとした表情を見るに、彼女はそういった司祭連中に反感を覚えている質なのだろう。司祭と神官の対立。よくある話だ。


「だがそれにしても、1人で出歩くのは感心しないな」


「あら、気遣ってくれるの?」


「そうだとも。きみ、私たちが来なくともこのバカども2人をノす自信があったようだが、その後のことは考えていたのか?」


「その後?」


「私とヘルマンが今おちいっている状況だ」


「あ……」


 マリーが顔を青くした。証人がいないことのマズさに気づいたようだ。「性悪ド貧乳神官、夜道で無辜むこの市民を襲撃!」などと吟遊ぎんゆう詩人に歌われてはたまったものではないだろうからな。


 彼女は「あー」とか「うー」とか言いながら、戦慄と羞恥の間でくるくると表情を変えていた。可愛らしい百面相である。まあ、数々の無礼はこれくらいのお楽しみで許してやるとしよう。


「まあお互い青かったということで1つ。では衛兵を呼びに行こうか」


「うん……」


 しょぼくれたマリーを連れて、私たちは衛兵を呼びに行った。彼らは個別に簡単な取り調べをした後、すぐに帰してくれた。沙汰は日が登ってから通達する、とのことだ。


 ――翌早朝、すぐにその沙汰はやってきた。


 私たちは王宮に招聘しょうへいされることになった。王都市参事会の下級裁判をすっ飛ばし、いきなり王が裁くというのである。

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