神罰王子と神官乙女のアナバシス

しげ・フォン・ニーダーサイタマ

第一部:アナバシスのはじまり

第一章:流刑に至る仕儀

第1話

 私は善人だ。なんせ、酔った勢いで友人を殺したことがないのだから。


 だというのに一体どういうことなのか、この状況は!


 私の手にはナイフが握られている。この寂れた路地裏に差し込む僅かな月光が、鮮血に濡れたナイフを照らしていた。そして私の足元には1人の男の死体がある。頸動脈がばっさり斬られている。


 胸のあたりがべたついて不快なのは、この死体から吹き出した返り血のせいか、冷や汗のせいか。あるいはその両方のせいか。


「楽勝だったなぁ、ディオス」


 隣に立つ、無二の親友ヘルマンが私の名を呼びながら笑った。彼の足元にもまた、男が1人倒れていた。額を砕かれている。まあ、生きてはおるまい。


 どうしてこうなった? 酒でふわふわと漂う思考をなんとかまとめ上げ、記憶を掘り起こす――。



 私とヘルマンは荘園の必要物資を買い付けるために、ここ王都ニケアにやってきた。


 人間の歴史が「剣と魔法の時代」に移行して千年以上経つらしいが、今回の旅路ではどちらも使わずに済んだのは、幸いなことだろう。


 手早く買い物を終えた私たちは、ならば後はお楽しみタイムだ、と酒場へと洒落込んだ。私とヘルマンはともに18歳、もう6年の付き合いともなれば会話も弾むし酒も弾む。それに、ここは王都の酒場である。酔っ払って雑に会話に混じってくる相手にも、サイコロ遊びの相手にも困らない――酌をしてくれる美しい酒姫サーキィだっている! 私たちは大いに飲み、楽しんだ。


 ――もう1、2杯もエールを流し込めば目が回ってくるぞ、という段になり、私たちは宿に帰ることにした――そうだ、事件はその道中で起きたのだ。


 太陽はとうに天蓋てんがいから転がり落ち、夜闇に覆われた王都を、私とヘルマンはふらふらと歩いていた。ふと、ヘルマンがぼやいた。


「あれ、道間違えたかもしんねぇ」


「おいおい頼むよ、私はお前ほど、王都の下道に詳しくないんだからな」


「わーってる、任せとけって……多分こっちだ」


「本当かぁ?」


 先導するヘルマンの、大柄な背中について行く。町並みがレンガ作りから木造になり、道もどんどん狭くなっていく。まあ十中八九さらに迷っているのだろうなと思いつつも、特にとがめようとは思わなかった。こうして散歩しながら酔いを冷ますのも一興だ。


 そんなことを考えていると、ヘルマンが立ち止まり、細い裏路地を指さした。


「どうした、ヘルマン」


 そう言いながら彼の指差す方向を見てみれば、その裏路地には3つの人影が見えた。月が薄雲に覆われているせいで、ぼんやりとした輪郭しか見えないが……2人の大柄な男と、1人の小柄な少年――少女? の姿が見えた。


 小柄なほうの人影はフードを被っているようなシルエットだが――その時ふと、月を覆っていた薄雲が晴れたのか、一筋の月光が差し込んできて小柄な人影を照らした。


 金髪。フードから溢れる、絹糸けんしのような金髪に目を奪われた。月光を受けて、燐光りんこうを発しているかのように見えたのだ。


 会話が聴こえてきた。


「よぉ嬢ちゃん、もう一度だけ言うぜ。カネと服、全部置いていきな。そうすりゃ、ヒヒ……あんたの身分に免じて命と純潔だけは奪わないでおいてやるからよぉ」


「嫌に決まっているでしょ。そちらこそ、痛い目に遭いたくなければそこを退きなさい」


 大柄な人影の手にはナイフが見えた。女のほうは気丈に振る舞ってはいるが、声が少し震えている。


 ほう、とヘルマンが面白がるように嘆息した。


「追い剥ぎみたいだぜ。王都もまだまだ治安悪いなぁ」


「王が悪いからさ。まあ、それはともあれヘルマン。いけるか?」


「10杯で戦えなくなる俺じゃねえ」


「11杯飲んでいたがな」


 そんな軽口を叩きながら、私たちは路地裏へと踏み込んだ。私もヘルマンも、腕に自信があった。それこそ、多少酔っている程度では並の男に負けない程度に。


 そして何より、私は善人を自負していた。追い剥ぎに遭っている婦女子を見過ごすような男ではない。悪漢たちに声をかける。


「それくらいにしておけ。立派な男がして良い行為じゃあるまいよ」


「誰だ!?」


 悪漢たちの憎悪がこちらに向いた。だが女は、私たちに向かって声をかけてきた。


「ッ、そこの人たち、衛兵を呼んできて頂戴!」


「衛兵が来るまので間に、そいつらが貴女を脱がすほうが早いでしょうよ。まあ、ここは任せておきたまえよ」


「でも……私は大丈夫だから、危険なことはしないで!」


 ふむ? あの女、腕に自信があるタチなのだろうか。だがこちらとしても、1度出てきてしまった以上は「ああそうですか、では」と踵を返して衛兵に泣きつくのは格好がつかない……などと思っていると、丁度よく悪漢たちが侮蔑もあらわに、こちらに向かってきた。


「良い身なりしてんじゃねえか、獲物が増えて嬉しいぜ……さぁてまずはお前たちを血みどろにしてやる、そうすりゃあの女もビビって大人しくなるだろうよ」


 悪漢Aがそう言えば、悪漢Bも追従する。


「ケヒャーッ、マジでツイてるぜーッ! なんせ胸の貧相な女脱がしても、タカが知れてるからなァーッ! カネ隠す谷間がないもんなーッ!」


 胸が貧相なのかぁ。


 その時、女がぞっとするような声を響かせた。


「そのクズどもを今すぐ殺しなさい」


「あ、はい」


 反射的にそう返事すると、悪漢たちが「やれるものかよーッ!」と叫びながら襲いかかってきた。

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