第1章
第1話 紡ぐ
カーテンの隙間から零れた光が、少女の顔を照らす。
朝の光に些か鬱陶しさを覚えながら、ゆっくりと目を開けた。
昨夜、端まで閉めたはずのカーテンがまた開いていた。おそらく下で寝ているあの子が蹴ったのだろう。
手だけを動かしてカーテンを閉めると、再び部屋は暗くなった。
――そういえば、何か夢を見ていたような……まあ、いいか。
思い出せず、夢のことは諦めて周囲の状況把握に転じる。
幾つか寝息が聞こえたため、まだ目覚ましは鳴っていないことを悟った。今起きると他の子も起きてしまうかもしれない。少女は静かに寝返りをうつと、もう一度目を瞑った……
ここは孤児院である。
正式名は児童養護施設『
仰々しく『施設』と言っても、ここで暮らす子供たちにとっては大切な唯一の居場所、家だ。
そして今日も
「おっきろー!!」
次に少女の目に飛び込んできたのは、満面の笑みを浮かべた男の子の顔。いつの間にかカーテンは全開で、部屋には光が満ちている。
「あれ……もしかしてしっかり2度寝しちゃった……?」
少女は眠い目をこすりながら、半身を起こした。馬乗り状態の男の子を宥めつつ、枕元にある時計を確認する。一人一つ貰える時計で、それぞれが好きな色のものを持っている。ちなみに少女のものは茶色だ。
「え、もう9時!?」
少女は数字を見て仰天した。見慣れた文字盤は何時もの起床時間を大幅にオーバーした時間を指している。
「
「あとは杏樹姉ちゃんだけだよ〜!!」
少女――否、杏樹の声を聞いてからか続々と下の子たちがベッドに登ってきた。
「朝ご飯冷めちゃうよ!」
「姉ちゃん、今日は僕と遊んでくれるんだよね!?」
「違うよ!あたしが昨日のおままごとの続きをするの!」
あーだこーだと論争を続ける子や、早く起きてと急き立てる子たちに囲まれて、杏樹はいよいよ動けなくなってくる。
「ちょ、ちょっと待って、とりあえず起きさせて!」
必死の叫びだったのだが、朝から元気な子供たちの声量にはかなわず掻き消されてしまった。どうしようか、と頭を抱えたその時――、
「ほーら!いつも言ってるでしょ!大勢で行くなって!」
凛と響くは少女の声。
腕を組み、エプロンをした少女がベッドの下から声をかけている。
琥珀色の髪は生まれつきだろうか、緩くサイドで結ばれている。瞳はこちらも珍しく赤茶色をしていた。
「
蓮、と呼ばれた少女は『全く……』と言いながら2段ベッドを登ってきた。実はこの蓮こそが杏樹のベッドの下で寝ており、毎夜カーテンを蹴る張本人である。
「はい、みんな降りる降りる!」
蓮が声をかけるも、子供たちは中々降りようとしない。痺れをきらしてか、いっそ大声で怒鳴ってしまおうかと思っていた蓮だったが、何かを閃いた様子だ。
開いた口から出たのは、大声ではなく低い、呟き。
「……あーあ、今日の朝ご飯はみんな大好きな"アレ"なのに……降りない子はあたしが全部食べようかな〜……」
先程の元気の良さは一気に朝ご飯へ向いた。子供たちは蓮をも押しのけてキッチンへ走って行ってしまった。
途端に静かになった寝室を見渡しながら蓮は溜息をつく。
「もう朝から元気なんだから……」
「おはよう、蓮。ごめん、しっかり寝ちゃってた」
ようやく起き上がることができた杏樹は2段ベッドの上段から蓮に声をかける。
「んーん、杏樹は昨日も沢山あの子たちと遊んで疲れてたんだよ。今日はあたしも参加するから!」
杏樹の分も朝ご飯できてるからね、と蓮は笑顔で続ける。
「うん!ありがとう、蓮」
「このくらい、どうってことないよ。この部屋じゃあたしが1番上だしね!」
得意げに蓮はふんぞり返った。その様子が1番年上というのに説得力がなくて、笑いそうになる杏樹。だが、ここは堪えて気になっていたことを問う。
「そういえば、みんな大好きな"アレ"って何?」
「ああ、"アレ"?適当に言っただけだよ。みんな好きなもんなんか違うわけだし、つられるかなーと思って」
予想外の返答に先程堪えた努力も虚しく、部屋は2人の笑い声で満ちた。
「何それ、またみんなに怒られるぞ〜?」
「いいの、いいの!口うるさいあたしは、どーせ嫌われ者だし!」
蓮は目元に手を持っていき、泣き真似をする。
「ま、とにかくなるべく早く来てね〜。みんな待ってるから」
そう言って蓮は部屋を去っていった。
「わかった〜!すぐ行く!」
杏樹はその背に手を振り、蓮を見送る。
――ああ、いいな、毎日平和で。
自分も身寄りの無い、一般的に言えば不幸な立場だけど。毎日こうして楽しく、元気に過ごすことが出来ればそれ以上多くは望まない。
だが、蓮の去っていく後ろ姿を見てふと、寂しくなる。
この施設で過ごすことが出来るのは18までだ。蓮は今年で16。あと2年あるとはいえ、施設卒業が迫っていた。
いや、引き取られることがあったらそれより早くここを去ることになるかもしれない。
――それに比べて自分は……
杏樹は自分の右目に触れた。そこには黒い眼帯がはめられている。この眼帯は杏樹がここに置き去りにされていた時からつけていたらしい。
らしい、というのも杏樹はかなり小さい頃この施設に置き去りにされた為、ほとんど覚えていないからである。おくるみに入っていたのは『アンジュ』と名前の書かれた紙だけ。他に身元がわかるものはなく、ここで引き取られることになったのだ。
杏樹は今年で13になるが、大抵は小さい時に引き取られるため、この部屋での歳上は蓮だけである。面倒見のいい蓮が出ていったら、今度は自分が1番上になる訳だが、果たして先程の蓮のように堂々とそれを誇れるだろうか。
下の子たちは次々と引き取り先が見つかるのに、一向に自分が引き取られる気配がしない。先生たちも焦らなくていいと言ってくれるが、そう言われて何年経ったか。
きっと、この眼帯がいけないんだ。
眼帯に隠されているのはほとんど見えない右目の、赤い瞳。光が入ると何故か痛くて今でも眼帯をつけている。左目は灰色なのでオッドアイ、ということになる。髪の色も灰色で、肌も白くて……自分は"誰"なのか、日本人かどうかも分からない。
――自分が……嫌いだ。
そこまで悶々と考えて、ベッドメイキングの手が止まっていることに初めて気づいた。最近は、暗いことばかり考えている気がする。杏樹は軽く頬を叩いて今日を生きる気合いを入れた。
(悲観的になっちゃだめ!とにかく朝ごはん食べに行こう!)
みんな待ってるし、と気持ちを切り替え、再び身支度に取りかかる杏樹であった……
こうして施設の子供たちは、家族が居ないを寂しさを互いで補いながら埋め、毎日を紡いでいた。
平和な毎日を繰り返せることが、決して当たり前でないことに気づくのは、この日の夜のことである。
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