ep11 ただ可愛いだけの美少女

 経過確認という名目で入院を続けつつ、何日か日を置いて精密検査を受け、俺は今その結果を待っていた。

 正直、別に痛むところがあるわけじゃないし金の無駄だから退院するという話をしたのだが、世界的にも症例の少ない病気だから経過観察させて欲しいと頼まれ、その間の費用は全て病院側で持つと言われたので大人しく従うことにした。


 ワンコはあれ以来、メッセージも送って来ないし見舞いにも来ていない。たぶん俺の方から連絡するのを待ってるんだろう。そりゃ、あんな別れ方をすればワンコの方から声はかけにくいよな。それはわかってるけど、正式な診断結果がわかるまではワンコとまともに話せそうもない。だから俺からも連絡はしていない。


 何もしないでいると嫌なことを考えてしまうため、スマホを弄りながら時間を潰しているとコンコンとドアがノックされた。


「どうぞ」

「失礼するよ。結果が出たからそれを伝えに来たんだけれど……」

「……ああ、もういいよ。そういうことなんだろ?」


 普段は気色悪いテンションで楽しそうに話す掛井が、歯切れ悪く喋り出した時点で全てを察してしまった。

 入院中徐々に能力が弱くなっていき、とうとう昨日使えなくなった時点で自分でもわかってたんだ。体内のオーラを動かすくらいのことなら出来るけど、それで使えるのなんて精々固有能力だけ。そんなものを使えたって何の意味もない。基本能力が使えたなら、適性能力が使えたなら、暇つぶしにスマホを弄ったりしない。どんな僅かな時間でもリハビリのために能力を使う。けど、今の俺にはそれすら出来ない。


 わかってたんだ、本当は……。

 だけどもしかしたら、どれだけ低い確率でも、そうじゃないのかもしれない。

 そんな淡い希望を抱いて、それよりも大きな胸が張り裂けそうなほどの不安を抱いて、待っていた。


 それも終わりだ。


「大空きららくん、君はオーラ不全だ。進行状況はすでに末期、回復する可能性は0に近い」


 沈痛な面持ちの掛井が、その後に何を言っていたのかほとんど覚えていない。

 病気の詳しい説明だとか、怪人につけられた紋様のこととか、これからのこととか、色々話していたような気がするけど、ちゃんと覚えているのは明日になったら退院するってことだけだ。

 末期まで進行したら病気の動きもないから用済みだってことだろう。いつの間にか病室から掛井はいなくなっていた。


 もう現実逃避は出来ない。目を逸らすことは出来ない。


 俺はもう、ユーザーじゃない。

 特別な人間じゃない。

 ワンコだって戦えない俺は用済みだろう。

 連絡だってないんだ、とっくに新しいチームメイトを見つけてるさ。


 俺は一人だ


「ああああああああっっ!! なんでっ! なんでっ! 俺ばっかりぃぃ!! せっかく特別になれたのにっ!! 一番になれたのにっ!! なんで俺だけこんな! こんなあああぁぁぁーー!! うわあああああぁぁぁっっ!!」


 錯乱して暴れ始めてから、いつの間にか記憶が途切れて気が付けば看護師に二人がかりで押さえつけられていた。

 迷惑をかけて申し訳ないと思うのと同時に、俺はこんな女性の細腕で簡単に押さえ込めるほど弱くなってしまったのだという事実に更にショックを受けて、もう暴れる気力もなくなってしまった。


 そんなことをしても何の意味もない。

 俺はもう何の力もないただ可愛いだけの美少女になってしまったんだ。

 それを受け入れて生きていくしかない。


 こんな、いつ怪人に襲われるかもわからない世の中で?

 ユーザーとしての力を失って、一般人にだって簡単に力負けするような身体で?

 妙な男に目を付けられて声をかけられやすい、この外見で?


 無理だ。

 俺はそんなに強くない。

 俺が好き勝手出来ていたのは、偉そうに振舞えていたのは、ユーザーとしての力があったからだ。

 俺が生きる希望を持てたのは、ユーザーになれたから、自分を特別な存在だと思えたから、ここにいていいのだと思えたから。


 もう、無理だ。

 耐えられない。


 明日、退院した後なら誰にも迷惑はかからない。

 行こう。俺の居場所はこの世界じゃない。

 大丈夫、次はきっとうまくいく。今回が何かの間違いだっただけだ。

 もう悩まなくていい、苦しまなくていい。







 夜、次に目が覚めた時には全てを終わらせられるという晴れやかな気持ちで眠りについたはずの俺は、何者かの悪意に反応して目が覚めた。

 目の前には、掛井がいた。いつの間にか布団が剥がされ、レンタルの入院着をはだけさせられていた。両手は頭の上で一まとめにされて片手で押さえ込まれ、慌てた様子でもう片方の手で目覚めた俺の口を塞ぐ。


「んー!! んんんーー!!」

「どうして目が覚めた……? 完全に熟睡していたはずだけれど?」

「んんー!!」


 獣のオーラだ。能力を使えなくなったと言ってもオーラがなくなったわけじゃない。獣のオーラの野生が掛井の悪意に反応して目が覚めたんだ! つまり今から掛井がやろうとしてることは治療でもなんでもない……!


 掛井の目的を、そしてその光景を実際に想像してぞわぞわと鳥肌が立った。

 自分の身体を使って男を誘惑したり揶揄ったりするのは楽しかったし好きだったけれど、それは何があっても俺が勝つという確信があったからだ。身の安全が保障されていたから、男を脅威に感じたことなんて一度もなかった。襲われて望まぬ行為をされるかもしれないなんて、本気で心配したことはなかった。


 だけど今は、細く白い腕は両腕の力を合わせても掛井の腕一本に敵わない。口を押える手を、お腹の上にまたがる掛井を押しのけることが出来ない。

 暗がりでもわかるほど掛井の目は血走り、息も荒く、ケダモノに襲われているのではないかと錯覚するほどの恐怖を感じる。この前ワンコに押し倒された時とは比較にならない。

 自然と目から涙が零れ落ち深緑の美しい髪を濡らす。


「ははっ、まあいいか。あぁ、なんて良い香りなんだ……! 最強の美少女ユーザー大空きららちゃんっ。一度でいいからこうしたいって思っていたんだ。くくっ、ファンクラブのやつらが嫉妬する顔が目に浮かぶよ」


 掛井は俺の首元に顔を近づけてすーっと大きく息を吸いながら徐々に上へ上へその顔を移動させていき、最後は頭頂部に顔をうずめてすーすーと深呼吸を始めた。生温かい息が当たり、加齢臭が鼻をつく。吐き気がするほど不愉快だった。


 きもちわるいっ……!

 なんだよこいつっ! なんなんだよぉ!


「ん? 震えているのかい? ふふ、最強のユーザーと言っても能力が使えなければ普通の女の子ってことかな」

「んんんー! んんんーっ!」

「いっつ!? このガキ!!」


 俺の耳元で囁くように気持ち悪いことを抜かす掛井の指に、俺は思いきりかみついてやった。

 ひるんだ掛井が手をはなした隙に、俺は目一杯息を吸って大声を出そうとした。


「誰かたす――いたっ!? ひっ!? やめっ!?」


 けれど、助けを呼ぶ前に勢いよく頬を張られ声が途中で止められる。怯んだ俺に掛井は続けて二発、三発と平手を打ち込んで来る。


「きららちゃん、大人しく言うことを聞きなさい。じゃなきゃ今度はこっちを振り下ろすことになるよ?」

「っぅ……、なんで……、なんでこんなこと…」


 掛井が握りこぶしを作って見せつけるように振り上げる。

 それだけで、俺はビクッと震えて助けを呼ぶことが出来なくなってしまい、弱弱しい声でそう呟いた。


 昔、幼いころにオーラの修行をしていた時はあんな平手よりも痛いことはたくさんあった。

 だけどそこに人の悪意はなかった。駄目なんだ。俺は、悪意を持って暴力をチラつかされると、怖くて……、苦しくて……。


 今まではそれに対抗する力があったから大丈夫だった。

 だけどそれがなければ、ユーザーじゃなければ、俺はまたあの頃の俺に戻ってしまう。


「なんでって、言っただろう? 私は君のファンなんだ。そんな君が自殺しようとなんてしてるから、だったら死ぬ前に一回くらい良いだろうと思ってね。眠ってる間に全部終わらせてあげるつもりだったのに……。叩かれたのは目を覚ました君が悪いんだよ?」

「じ、自殺するなんて……」

「ああ、聞いてはいないよ。でも、そうだろう? 職業柄、病気の種類こそ違えどきららちゃんみたいな子は良く見て来たからね。何となくわかるのさ」

「今までも、こんなことを……」

「まさか! こんなことをしておいてなんだけど、これまでは善良な人間のつもりだったんだ。それなのに、君が私を夢中にさせた。そのうえで私の元までやってきて、命を投げ出そうとしている。これが天啓じゃなくてなんだって言うんだい? 善良に生きて来た私に神様がご褒美をくれたんだ。大空きららちゃんの初めてという、ご褒美をね」


 狂ってる……

 そう言いそうになって咄嗟に口を噤んだ。

 これ以上掛井を刺激すると、何をしでかすかわからない。

 だから俺は、目に涙を浮かべながら無言で掛井を睨みつけることしか出来なかった。


「いいね、すごくいい! 今まで負けるはずもなかった男に、それも私のような高齢者に力負けして、押し倒された。怖いだろうに、不安だろうに、それでもそんな目が出来る。そういうところさ。私を狂わせた最強のユーザー。私は君のそんなところがたまらなく愛おしい! さあ、今夜限りの契りを交わそうじゃないか!」


 興奮した様子でゆっくりと顔を近づけてくる掛井を、拒むことができない。

 身体を腕力で押さえつけられ、心を暴力で押さえつけられて、こんなに嫌なのに逆らえない。


 ああ、この世界に女として生まれ変わって、今初めてわかった。

 女の子ってこんなに弱くて、男はこんなに強いんだ……。

 こんなの勝てるわけない……。ユーザーじゃなくなった俺が、どうやって勝てばいいんだ。


 いやだ……、こんなのいやだよ……

 

 誰か……、助けて……


「ぐぎゃぉあっ!!」


 逃れられないと悟って、せめて目に映らない内に全て終わって欲しいという思いでかたく目を瞑りその時を待ち構えたが、掛井と俺の口が重なることはなかった。

 それよりも早く何か奇妙な悲鳴が聞こえて思わず目を開くと、そこには頬を押さえて床に転がる掛井と、俺を守るように掛井との間に立つワンコの姿があった。


 なんで……? どうしてワンコがここに……?


「遅れてすみません、先輩。今日は忍び込むのに少し手間取りました」

「きょ、今日はって、もしかして毎日忍び込んでたのか……?」

「当たり前です。あの掛井とかいう男、明らかに先輩を変な目で見てましたから。俺はずっと警戒してたんです」

「え、ええ……、そうだったのか」

「ク、クソガキがぁ! 私ときららちゃんの愛を邪魔するなぁ!」


 助かってホッとするのと同時に、こいつはこいつで結構ヤバイことしてるんじゃないかと思ったが、ひとまず今は置いておく。

 頬を押さえながら痛い痛いと呻いていた掛井が立ち上がって、ワンコに掴みかかった。


 バカか。俺を押さえ込めたからってワンコにも勝てると思ったのか。

 確かにワンコは俺より弱かったけど、それは俺が能力を使えた時の話だ。

 ワンコは線が細いから一見してなよなよした弱っちい男に見えるかもしれないけど、一般人が喧嘩を売って万に一つも勝てるような相手じゃない。こう見えて頼りになる男なんだ。


 そこまで考えて、実際に掛井がワンコに殴り倒されてるのを見て、俺は自分がいつもの調子を取り戻せていることに気が付いた。

 さっきまであんなに怖くて不安で、鳥肌も身体の震えも止まらなかったのに、今は冷静に状況を見て思考できている。それはきっと、ワンコがいてくれるからなんだろう。当たり前すぎて自分では気づいていなかったけれど、いつの間にかワンコは俺の日常の一部になってたんだ。だからワンコが近くに居てくれると、安心して、落ち着く。


「ふ、ふざけるなよぉ! これは暴行だぞ! 警察に通報してやるからな!」

「どうぞご勝手に。あなたの強姦未遂に対する正当防衛を主張しますよ」

「ぐっ、な、なら! 大空きららがユーザーの力を失ったとリークしてやる! 恨みのある怪人やストーカーに付け狙われるぞ!」

「勝手にしろ」

「おい!?」


 勝手にされたら俺が困るんだけど!?

 思わず声を出してしまったが、続くワンコの言葉に目を見開いて二の句を告げなくなる。


「何があっても、誰が相手でも、俺が先輩を守る。一生かけてでも守り通す」

「んなぁっ!?」


 その驚きの声は、果たして掛井のものだったのか俺のものだったのか。

 こいつ、自分の言ってることの意味わかってんのか!? ほとんどプロポーズみたいなもんだぞ!?


「ただし、覚悟しろ。先輩を傷つけるようなことをしたら絶対に殺す」

「……ふん、どうせ死ぬつもりの女さ。精々助けたつもりになってればいい」


 苦し紛れの掛井の言葉を無視して、ワンコは半裸の俺を抱えて部屋の窓から飛び出した。


「わ、ワンコ、その……」

「家に着くまでは静かにしててください。俺も、少し冷静になる必要があります」

「う、うん……」


 俺の方を一瞥もせずにワンコはそう言って、建物の屋根伝いに夜の街を駆ける。

 そんなワンコのキリっとした横顔を見ていると、不思議と胸がキュ~っと締め付けられるような気がした。


 ワンコとこんな風に密着するのなんて、普段から揶揄ったりふざけてやることもあれば、戦闘中に身を寄せ合うようなこともあるっていうのに、今までにないくらい顔が熱くなって、俺の心臓は激しく音を鳴らしている。


 いや、いやいや、違うから。これはあれ、吊り橋効果的なやつだから。危機的な状況だったからそのドキドキだから。


 だってこんな、暴漢に襲われそうなところを直前で助けられて好きになっちゃいましたなんて、そんなのチョロイン過ぎるだろ! 少女漫画じゃないんだぞ!? そもそも俺の心はどっちかって言うと男よりのはずだし!! 大丈夫! 明日になったらいつも通り! これは勘違い! 勘違いだから大丈夫!!

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