視線にまつわる覚え書き
視線にまつわる覚え書き
人の目を見て話すのが苦手だ。どうにも、目を見るふりをして鎖骨や鼻の先や、人の後ろの景色を見てしまう。真正面から瞳を捉えると、まるで責められているような気持ちになってしまう。後ろめたいことがなくとも、警察署の前は通りたくないあの感覚に似ている。
神は見ている、とはよく聞く言い回しではあるが私はなんとなくその感覚を掴めないでいる。神という存在を実感するようなことはそうないし、昔の人が何かのよすがにするために作り出した偶像という認識が、どうしても拭えないでいる。悪いことをした時、誰かに見つからないか、きょろきょろと周囲を見回したあの時にも、私の後ろには神様がいらっしゃったのだろうか。その答えはわからないでいる。
何か大きな失敗をした時、失望されるのが怖い。誰かが失望する時の瞳は、あまりにも大きなうろであり、私はその向こう側にある穴にたどり着いてしまうのが恐ろしい。そこは、人の優しさがすり減って削れて、最後に露出する地層の核に似ていた。ざらついていて、時折足の裏が痛む。ちくちくと刺さる視線の、言葉はなくとも刃物より鋭い切れ味は、確実に私の心臓を刺すだろう。
人が、人を見下す瞬間の、張り付く薄い飴のようなべたついた視線が苦手だ。
こいつはどれだけ酷い扱いをしてもいい、丁重な扱いをするに値しないと判断した瞬間の人間の、残酷なまでの無関心さと傲慢さは、どこまでも人を傷つけることが出来る。そういう人間の瞳は、存外凪いでいるものだ。
安心している、自分を害さない存在を前に警戒する必要性はない。だから、その前提が覆された時に恐怖と怒りを覚える。
見る/観る/視る/
誰かを映すことは、誰かを見ないことだ。
視線から逃れて透明になりたいと感じることがあるのに、私は人と関わることをやめられない。視線が怖い、けれど誰かを感じていたい。我ながら傲慢な話だと思う。
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