あなたを傷つけてみたい

 大好きな小説の新装版が出た。私は迷うことなくそれを買い、そうして学生時代と同じように大好きな店の、あまり好きではない街並みを眺めながら、その本を読んだ。

 本の内容は一部改変され、抜粋され、そうして改訂されていた。前に別の出版社から出たバージョンとはタイトルも違うし、想定も大幅に異なっていた。元々収録されている作品と、新しく書き下ろされた作品と、削除された作品もあった。

 私はそれがなんだか無性に寂しい。

 

 彼女の文章は研ぎ澄まされて美しい。

 私は彼女の文章が大好きだ、短くて、適切で、ときおり心を抉られる。人を傷つけるような物語を書いてみたいと思うのは、間違い無く彼女の影響だった。私にこんなふうに、人の感情を揺さぶるような言葉は紡げない。私は彼女にはなれない。当たり前のことながら。

 

 自分が大変見栄っ張りで、虚栄に満ちた人間であることを隠すために、日々を生きている。たぶん、見る人が見れば一目でわかってしまうのだろうけど、それでも私は他者にとって空気のような、害のない人間でありたい。文章を書くというのは、それの裏返しみたいなものだ。誰にも言いたくないことも、誰かに言えば間違いなく眉を顰められることも、誰かには望んだ形で届かないことも、文章になれば一度整理がついて、思考がクリアになる。

 

 あの頃、同じように彼女の小説を買って、感銘を受けていた私は、果たして今の私と同じ私だろうか。生活環境は大きく変わったし、価値観もだいぶ変わったと思う。好きなものや嫌いなものは概ね変わらないが、受け入れられる範囲が大きく狭まり、柔軟性に欠けるな、と思うことも増えた。

 人間関係も、またそうだ。あの頃と変わらず仲良くしてくれる人もいれば、さまざまな理由でもう顔も見たくないというくらいに拗れてしまった人もいる。時折、人伝に聞く近況では元気にしているらしいので、それには安心する。

 誰かの人生に登場しても、ずっと出番をもらえるとは限らない。私はアンサブルキャストだし、時折準主役に近しい位置にいたりもしたのかもしれない。でももう、その位置には多分別の誰かがいる。あなたの人生は私がいなくても続いている。

 

 大好きな小説も同じように変わらずにはいられなかったのかもしれない。あの時より書き手の感覚も変わっただろうし、きっと彼女が削除したかった文章や継ぎ足したかった表現があったかもしれない。あの時よりもっといいものが書ける、と思ったのか、はたまた出版社の都合か。どちらにせよ私にその真意を知るすべはない。

 全ては少しずつ磨耗して、削れて、形を変えていく。それがいい方向に転じていればいいのだけれど。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る