第21話 貧困と救い
ケヴィンの大声は何度か繰り返された。
普段から変化のない暮らしをしてきた者が、首を180度回して自分を傀儡人形だと言っただけでも一大事。
それが更に神に作られた使いと言い出したのだから、大騒ぎになるのは仕方がない。
それもイングスが誤解されるような返事をしたというおまけつきだ。
そのイングスが真顔で住民達を静観している事に気付き、恐怖心が勝ったのか誰からともなく騒ぐのをやめ、数分で静寂が訪れた。
「皆さん、私の味方になって欲しいのです」
「味方って……何の?」
「神を信じずにいて欲しいのです」
「それだけか?」
「はい」
神を信じなければいい、たったそれだけの依頼に戸惑う住民達。イングスは躊躇う面々に説明が足りなかったと詫び、今までの経緯や懸念を補足した。
「信者の数が、すなわち神の力って事かよ」
「それが本当かどうか分かんないんだけどぉ、あたしが信じる事はないかなぁ。だってぇ、あたしらこんな感じじゃん? 町の奴らと不公平なのは変わんないしぃ」
「でもよ、啓示と称して信者を操るってのが怖いよな」
「つかよぉ、おめーも宗教っぽい奴なのか? 信者集めてるってわけか?」
残念ながら、スラムの者達に学はない。神に対抗する手段を共に考える事や、人しか知らない情報などは望めない。
イングスがこのスラムで望めるのは、信者ではない者を確実に増やし、神の力を削ぐこと。それだけでも十分だった。
「私は神を見限り、神の企みを阻止したいだけです。神が思い通りに操れる世界の危うさを知って頂ければ、それだけで神の力を削ぐ事ができますから」
「ふーん。でもなんだかなあ。信じても信じなくても、結局俺達の暮らしが良くなるわけでもねえんだよな。あんたの言う通りにした方がいいんだろうけどよ」
「目の前の暮らしもキツい現状、それを何とかしてくれるなら誰でもいいのさ。それが神でも悪魔でも」
スラムの住人の言葉に、イングスはもっともだと頷いた。
神を信じず、人が人の力で生きていくメリットを感じなければ、札束や食料を用意して配る信者には勝てない。
かといって、イングスには施しをする程の経済力もない。そう、スラムの住民はイングスの要請に応じる義務もなければ理由もないのだ。
誇りと意地で腹は満たされない。
「……私が、皆さんの問題を解決します」
「解決って、何をするんだよ」
「皆さんがここで不自由なく暮らせたら良いのです」
皆さんへのお願いは以上ですと告げ、イングスは誰よりも先に建物を出て行った。誰もがポカンと口を開けたまま、暫くその場を動く事が出来なかった。
* * * * * * * * *
「もう少し躍動感が欲しいわねえ。しゃがんで片手だけ地面につけて、今にも向って来そうな……そう! そのまま!」
「この人凄いわ、ピクリとも動かないもの。まるで人形みたい……ちょっと、人形みたいって言った途端動かないで!」
「デッサンのモデルとして、こんなにいい人材は他にいないと思う! 顔だけでも1作品出来るのに、体つきも理想の中の理想って感じ」
スラムを出てから2時間後、イングスは町で仕事を探していた。
この町で今必要とされている仕事は何か、それを聞いて回るためだ。
その中で、スラムの住民が出来そうなものがあり、継続的に仕事を出してくれるのならそれを商売にする事ができる。
「ジャガイモの取引が止まって値が高い、鉄が足りない、木材の貿易商が亡くなって輸入が止まった……スラムで出来そうなのはジャガイモだけだが…種芋が買えない」
需要の掘り起こしは、クラクスヴィークの商店の御用聞きから思いついた。
それと同じ事をやれば、必要なもの、必要ないものが分かる。
そんな時、イングスの見た目に惚れ込んだ芸術家が是非と頼み込んで来たのがモデルだった。
「若いイケメンの厚い筋肉……イイ……」
「もう、描くだけじゃ治まらないくらい美味しそうな筋肉! アタシがもう10歳若かったら食べちゃってたわ」
「私は食用ではありません」
「もう、そういう意味じゃないの! ほらポーズを続けて」
女である事を強調するかのような口調だが、どこからどうみても男。そんな芸術家とその友人2名がイングスにうっとりとしている中、イングスはパンツ1枚の姿でポーズを取り続ける。
1時間ほどで報酬の500ユクを受け取ると、イングスは何度も礼を言い、芸術家の家を後にした。
「僅か1時間で500ユクも稼げる仕事……スラムの皆にもできれば良いのですが」
生憎、イングスは人間の美醜に疎い。好意的に例えるなら、猫好きがどの猫を見ても可愛いと感じるようなものだ。
平たく言えばどれも一緒のようなもの、という認識になる。
個人の識別は出来ても、それが人間にとって美しいか醜いかの判断は出来ない。
そんなイングスがスラムに戻ると、ケヴィンや仲間達は騒然となった。
たった3時間ほどで500ユクを稼いで帰って来たのだから無理もない。10ユクでも1日の食事が出来ると喜ぶ生活で、500ユクは大金だ。
「イングスさん、どうやって稼いだんだ?」
「俺達もその仕事やりてえ」
「わたしにもできるー? ねえケヴィン兄ちゃん、わたしもやりたい!」
イングスはデッサンモデルになったと明かし、500ユクをケヴィンに渡した。同時に聞き込みで得た町の需要も伝え、出来そうなものを選ぶ。
「……イングスさんの顔が整っていて、もはやそれだけで金が稼げる、か。それに……イングスさん、ちょっと上着脱いで貰えるか」
イングスがケヴィンの言う通りに上着を脱ぐと、その場の皆から感嘆が漏れる。
「神様の趣味全開っつうか、まあこんな筋肉してりゃあ目の保養だろうな」
イングスの肉体美を暫く眺めながら、ケヴィンは「よし!」と何かを決めた。
「よし! みんな、筋トレするぞ」
「えっ?」
「いいか、顔は仕方ねえ。でも体は鍛えたらその分だけ成果が出る。鍛えたら力仕事も出来るし、筋肉好きな奴ってのはいるもんだ」
「でもモデルの仕事なんて、そう溢れてる訳じゃないっすよ」
「まあ損はないって程度だな。鍛えられた男が沢山いたら、気になる女は絶対寄ってくる。お前らも目の保養って言ったろ? ガキ共はモテる可能性が上がる。庶民と結婚出来る可能性も上がる」
「筋肉は正義……」
「えっ、やだなんか気持ち悪いもん」
「うるせえ。皆で鍛えて力仕事をする基礎にするんだ。この500ユクで種芋を買って、スラム裏の放棄された畑を本格的に使う」
「木材の商人が息をお引き取り、木材が不届き物だそうです。鉄やレンガも不届き物だそうですが、鉄やレンガも畑で育てますか」
「届かない事を不届き物とは言わねえよ。あと鉄もレンガも育てるものじゃなくて、材料から作るんだ」
「木材も鉄もレンガもブリキのトタンも、このスラムの廃墟にいっぱいあるじゃねえか。鉄筋レンガ造りの建物が10棟以上あるし」
「……もしかして、このスラムは宝の山だったのか。つくづく俺達は無知だったと思い知らされる」
ケヴィンや仲間達はイングスがくれた情報に希望を見出した。
学はなくとも、出来る事はたくさんあるのだ。
「よっしゃ! 大人達も集めて金策だ! まともに生きたい奴らがまともに生きられる最後の機会、逃すわけにはいかねえ」
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