第20話 ケヴィンの力

 


「なあ、イングスさん」


 ナターシャを取り戻し、特別だと言って風呂まで沸かしてやった後、イングスとケヴィンはソファで寝そべっていた。


 コンクリートの打ちっぱなし、窓ガラスすらない室内には照明もない。

 雲の切れ間にある月が辛うじて物の輪郭を認識させる宵闇の空間に、ケヴィンの小さな声が響く。


 虫の声を聞きながら眠りに入ろうとしていたイングスは、その声量に合わせて返事をした。


「はい」


「助けてくれて、有難うな」


「私はお手伝いをしただけです」


「その手伝いが助けになってくれただろ。俺1人だったら、多分追い返されて終わりだった」


 いつの間にか「あんた」から「イングスさん」に変わっている。ケヴィンにとって、イングスは数少ない信頼できる人物になっていた。


「何でも屋ってさ、何でもするけど出来るわけじゃねえんだ。結局俺はイングスさんに力を借りてばっかりだし」


「そうでしょうか。ケヴィンさんがきっかけを作らなければ、私はお手伝い出来ません。方法や誰がではなく何が出来たかが重要です」


 物事を知らないイングスにしては、珍しく的確な発言だった。


「かつて、師匠の弟子は不器用で、無愛想だったそうです」


「ん? 師匠って、人形技師の?」


「はい。けれど思いが伝わる、良いクラクス人形の職人だったと」


「何が言いたいんだ?」


「ケヴィンさんが上手く出来るからではなく、その思いが伝わるから皆が慕うのです」


「……人は必ずしも能力や金につくわけじゃないって事か」


 イングスの言葉で安心できるわけではない。ケヴィンの助けになってくれる者は少ないのだ。


「たいていの思春期の若者は、時に大人と子供、どちらの利点も使える。一人前を名乗りながらも、子供である事を理由に義務や責任を免除される。でもスラムでは……」


 日々の生活だけで精一杯な大人達、心意気だけではどうにもならない非力な子ども達。

 その狭間で揺れるケヴィンは、大人からはガキ扱いされ、子供達の前では大人を演じ、結果を求められる。


 勉強をするにも師はいない。小学校にも通った事がない。

 スラムで読み書き計算を習っただけのこんな子供が、大勢の孤児を守り、纏めてきたのだ。


 イングスに今必要なのは、そんなケヴィンが持つ力だった。


「私は20歳だそうです。つまり人でいう大人です。けれど私にはまだ人々を導く力も、慕われる理由もありません」


「神様が作ったって言っても、実際はまだ何ヶ月かしか生きてねえんだろ? 当たり前だ。何十年生きたってねえ奴ばっかりだよ」


「ケヴィンさんは子供達を導き、慕われています。私はケヴィンさんのような心を持ちたいと考えています」


「……俺は、そんな立派な人間じゃねえよ」


「立派でないなら、なればいいのです。人でナシな私が人になるよりは簡単な事です」





 * * * * * * * * *





「おーい、みんな! 中に入ってくれ!」


「ケヴィン、日曜の朝に何をしようってんだ。せっかくの休日だってのに」


「もしも教会に行かずに外をうろついているなんて噂されたら」


「あー、いいから早く入れ!」


 日曜日の朝、9時に教会の鐘が町に響き渡った。その鐘の合図としてスラムの住民がどこからともなく現れ、ケヴィンの事務所があるビルの1階に入って行く。


 イングスは皆が揃ったところで前に立つ。


 コンクリート打ちっぱなしながら、午前の柔らかい日差しが差し込む、ごく当たり前の空間。


 面倒臭そうに睨む者、欠伸する者、イングスの品定めをする者。最近スラムに来たばかりの青年に向けられる視線に、あまり好意的な物は多くない。


 イングスはそこで一礼しながら首を180°回転させた。


「ひっ……」


「きゃあああああ!」


「ば、化け物!」


 当然のごとく絶叫が響き、皆がパニックで外に出ようとする。ケヴィンはそんな大人達に動じる事なく扉を塞ぐ。


「黙れって」


「あ、あいつ首が、首が!」


「ああああ悪魔よ悪魔!」


「黙れってば」


 普段無気力でだらしなく、神など全く信じていないというのに、悪魔という言葉は出てくる。

 そんな大人達に笑いが込み上げつつ、ケヴィンは大きく息を吸い込んだ。


「黙れーっ!」


 声がよく響く空間で、とんでもない声量が皆の耳をつんざく。

 静まり帰った空間で、耳を抑える者達が短く悲鳴を上げる中、ケヴィンが腕組みで睨みを効かせた。


「いいから座ってろ、黙って聞け」


「あ、あいつ、あいつ」


「イングスさんだ。富豪共に物怖じしねえ俺らの味方だよ、俺に借りがある自覚あんなら黙って聞いてろ」


 スラムの住民は何か弱みを握られているのか、いつかの巨漢も含め全員が黙り込んだ。


「首を回せば傀儡だと分かって貰えると考えたのですが、傀儡であると明かす前に回してしまいました」


「まあ、明かした後でも状況は一緒だったと思うけどね」


「私は、イングス・クラクスヴィークという者です。お察しの通り人間ではありません」


「ば、化け物って事か?」


 イングスは、住民の質問に首を振る。化け物呼ばわりは受け入れ難いものだ。


「私は特に化けておりません、元からこの姿です」


「人の姿の、悪魔? 悪魔なんて作り話よ」


「私は神に造られた傀儡なのです。いつか人になりたいと願いつつ、協力者を求めています」


 首を回し、石のベンチを軽々と持ち上げ、天井に頭が付くほど飛び上がる。


 そうして少なくとも普通の人間ではない事を見せつけると、皆が動揺しながらもイングスの話を聞く気になった。


「皆様は神に対しどのようにお考えですか」


「はあ? 神って、別に」


「馬鹿が必死に祈ってるけどよ、なんか叶ったか? 病気の奴は直らねえし、俺達は金持ちになれねえし」


「だいたい、信じて真面目にやってりゃ救われるなんて嘘よ。強盗に殺された人はみーんな行いが悪かったわけ? あたしらは生まれながらに悪いってのかい」


 皆が口々に神への不信や不満を語り出す。イングス自身が神の正しさを信じていないとしても、こんなにも大勢の者が神を否定、もしくは崇めていないとは予想外だった。


「教会とか礼拝とか、趣味みたいなもんでしょ。勝手にやればいいのにさ、押し付けてくるのがほんと迷惑! しかも信じない奴は人間じゃないとか悪魔の手先だとか」


「おい皆静かにしろ! あ、あんた神の使いって事か? まさか俺達を……」


「その通りです」


 イングスの返答に、皆が短く悲鳴を上げる。息を吸い込みヒュッとなる子供にぎこちない微笑みを向けた直後、皆が慌て始めた事でイングスが首を傾げた。


「うわぁぁ! 助けてくれ!」


「わしらを処刑しに来たってのか!」


「おい落ち着け! イングスさん、その通りってどういう意味だよ! どうすんだこれ」


 ケヴィンが驚いて尋ねると、イングスは普段の表情に戻る。


「私に協力いただくにはこの上なく適している方々です。神を裁く仲間になっていただきたく」


「だーっ、こういう時にその通りですなんて言うんじゃねえよ! みんな悪い予想してんだって分からねえかなあ! おいみんな! 勘違いだ、黙れ、黙れって言ってんだろ!」

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