第19話 金だけ持ち
「てめえらがいくら名家で金と権力を握っていたとしても、警察がその驕り高い鼻をへし折る機会を逃すと思うか?」
「……」
権力者には容易に立ち向かえない。しかし、明らかな証拠があればどうだろうか。
その証拠と共に他の権力者の協力を得て、この家を潰そうとすれば叶う見込みはある。
屋敷の全員が嘘を告げても、召使いが本当の事を言い、実際にそこで目撃をすれば、警察が黙って立ち去るかは分からない。
当主らは一瞬押し黙る。劣勢を悟られぬよう、なおも強気を見せた。
「フン、入りたければご自由に。あたくし達がわざわざ扉を開けて差し上げる事はないけれど」
「有難うございます」
イングスは律儀に頭を下げ、礼を述べる。そしてその姿勢のまま首を180度回転させ、ケヴィンの方を向いた。
「ひいぃ!」
「な、なんだこいつは!」
廊下に悲鳴が響き渡った。
「お、お前……やっぱり本当に人形だったんだな」
「そのようにお伝えしたはずです。私は本当つきですから嘘などつきません。何かありましたか」
「ふ、普通の人間は首を真後ろまで回せたりしねえんだよ」
「なるほど、次からは傀儡であると伝える際、首を回して見せるようにします」
知っているケヴィンですら驚きで固まる程の衝撃だ。
首だけを後ろに向けたまま固定し、体が後を追うように回転する。当主夫人は泡を吹いて卒倒し、執事は壁にもたれかかった。
一緒にいた召使い数人は叫びながら逃げていき、当主は腰を抜かしてその場にへたり込んでいる。
「どうしたのでしょうか、まるで恐ろしいものでも見たかのようです」
「……恐ろしいものを見たんだよ、人間が出来ない動きをするのは」
「そうですか。ではあまりお見せしないようにいたします」
イングスはケヴィンに礼を言い、扉の前に立つ。部屋の中にいる男は、何があったのかと大声で問いかけ続けている。
そんな声を気にも留めず、イングスが扉に向かって声を放った。
「失礼しません」
その言葉に、一瞬その場が静まり返った。
「……え?」
「入れるのなら入って良いと許可を頂いたので、この場合失礼には当たらないと思ったのですが」
平静な声でそう言いながら、イングスは扉を足の裏で蹴り破った。
「すげえ」
扉は蝶番から外れ、部屋の内側へと倒れる。イングスはその上を気にする素振りなく歩き、ケヴィンが慌ててそれに続く。
「ナターシャ!」
「ケヴィン兄!」
泣き顔の少女がケヴィンに駆け寄り抱き着く。どうやら恐れていた危害は加えられていないようだ。ケヴィンはナターシャをしっかりと抱きかかえ、険しい顔で部屋を見回す。
扉が倒れた弾みで燭台の灯が消え、月明かりに頼った薄暗い部屋に静寂が漂う。ケヴィンがオイルライターで燭台の蝋燭を灯すが、人の気配はない。
「……ナターシャ、豚君はどうした」
「そこの人が立ってる扉の……下に」
ケヴィンとナターシャの視線がイングスの足元に向けられる。一方のイングスはそれを気にするでもなく、満足げな笑みを浮かべていた。
「どうした、蹴り破れたのが嬉しいのか?」
「いえ、人呼ばわりしていただきましたので」
「? それがどうしたんだ」
「私の事を人だと言っていただいた事が嬉しく、笑みを作りました」
「いや、今はそれどころじゃねえだろ……イングスさん。それより扉をどかしてくれないか」
イングスが扉を軽々と移動させると、そこには意識のない巨漢「ぼっちゃん」が倒れていた。
「これが豚……? まるで人のようですが」
「人だよ。例えとかあだ名とか、そういうの分かんねえかな」
「あだ名は分かります、理解しました。しかしちょっと残念です。豚であれば皆が美味しく召し上がる事も出来ると思っておりました。そういえば昼間にすれ違いましたね」
「他人の豚を勝手に食おうとすんな。そいつはどこに出してもちゃんと恥ずかしい人間だよ」
場の空気を読まないイングスのせいで、緊迫感がまるでない。
それでもイングスがいとも簡単にぼっちゃんを担ぎ上げるのを見て、屋敷の者達はとうとう抵抗を諦めた。
「あ、あなた達、何が望みなの」
「ナターシャを返してくれりゃ、文句はねえよ。金も払ってもらってる。でもよ」
ケヴィンがイングスに担がれたぼっちゃんを指し、不満そうに夫人を睨む。
「金で人買って、ふんぞり返って、んでこんな豚育てちまってさ。恥ずかしいとも申し訳ないとも、悪いとも思ってねえあんたらには不満だ」
ケヴィンは怒っている。
イングスは養豚場を思い浮かべ、養豚はとても素晴らしい仕事だと言いたくなったが、止めにした。空気は吸って吐くだけではなく、読むものでもあると学んでいるらしい。
「フン、謝れば気が済むとでも?」
「言葉だけで、反省してねえの丸分かりの謝罪なんか意味ねえって分かんねえのか。どうやらイングスさんが言った通りだ。学校に侵入しただけで、身に付かなかったんだろうな」
「なっ……」
「ケヴィンさん。この豚のぼっちゃんさんを如何いたしますか。豚呼ばわりしているとはいえ、豚肉のように人の肉を焼くわけにはいかないでしょう」
「警察に引き渡す。この町じゃ未成年を襲うのは犯罪だからな」
出来るものならやってみろと言ったところで、この2人なら本当に出来るだろう。名家と言えども富裕層同士で常にどこが上に立ち、どこを見下すかの戦いが繰り広げられている。
はした金を握らせて黙る庶民とは違い、富裕層を黙らせるには相応の出費と態度が必要だ。
それならばイングスとケヴィンに金を渡し、示談にする方がよほど簡単である。ただ、プライドが邪魔をし、どうしても貧民相手に頭は下げたくないようだ。
「……扉を壊した弁償も要らない、侵入についても目を瞑ってやろう。その子供に支払った給金の倍を渡してもいい。どうだ、それで満足だろう」
「それがあんたらの謝罪か? はっ、しょーもねえ」
「なんだと?」
「謝られる時にさ。お前も悪いけど金をやるから終わりにしてやろうなんて言われて、謝られたと思うか? てめえら、金なくなったら誰も助けてくれねえだろうな」
当主の手から金を奪うように受け取ると、ケヴィンは行こうとだけ言って外へ向かう。イングスは律儀に「お返しします」と言って、ぼっちゃんを当主の腕に返す。
もちろん、当主が気を失った巨漢を抱きかかえられるはずもない。
「良き人は、良き人に付くのです。私の師匠が言っていました。お金に付く人だけで良いのなら、今のあなた達のままで末永く不幸せにお過ごし下さい」
* * * * * * * * *
「警察に連れて行かなくて良かったのですか」
「まあ、あいつらの悪事はもう周囲にバレてっからな。あとは足の引っ張り合いに忙しい金持ち同士何とかしてくれるだろ」
ケヴィンの手には1万ユク。これだけあれば、数週間は子供達の食料を心配しなくて済む。
「ナターシャ、本当に何もされてねえな」
「うん、大丈夫」
「あの豚くんがいないのを条件にして、仕事を請け負ってた。もうあの屋敷の依頼は受けない」
「うん……でも、お金いっぱいくれる仕事がなくなったね」
「心配すんな。もうたっぷり貰ったさ」
ケヴィンはナターシャの頭をぽんぽんと叩き、1万ユク札を振る。
全部牛肉に使うと言うケヴィンに、「豚肉にしなさい」と笑うナターシャは、なかなかに逞しい。
きっと逞しくなければ生きていけなかったのだ。
イングスは自分はどうなのかを考えながら2人の後ろを歩いていた。
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