第18話 ナターシャの救出

 


 * * * * * * * * *





「……若旦那様を呼んで来ます」


 召使の女はケヴィンとイングスを屋敷のエントランスに待たせ、2階へと上がっていった。


『人としての良心よりも金を守りたいのなら、この後どうなろうと容赦しない』


『子供がどんな目に遭っても見過ごせる奴だと、後ろ指を刺されながら生きる覚悟はあるか』


 真剣な目で問われた召使いは、ついにため息と共に項垂れ、真実を語った。


『傀儡のようであってはならないのです。あなたは人なのだから、人でなしになる必要はありません』


 珍しく良い事を言ったイングスの言葉は、決定打となった。


「あの召使い、この期に及んで嘘ついてやがったらタダじゃおかねえぞ」


「代金をいただくのですか」


「その言葉をまんま受け取るの、時々こっちが分かんなくなる」


 召使い曰く、ナターシャは今日まで請負った屋敷清掃をしていたものの、昼過ぎに帰ってきた若旦那が気に入ってしまったという。


 そのため今日1日だけと大金をチラつかせ、「お世話」を頼んだのだ。


 召使い達にそれを咎めるだけの力はない。歯向かったなら解雇だけでなく、家族も嫌がらせを受け、この町を追い出されてしまう。


 ケヴィンは逆らえない事を咎めず、ただ抜け出すチャンスを与える事にした。


「気に入られたという事は、ナターシャの仕事ぶりが良かったという事でしょうか」


「お世話って言葉の意味、分かってねえな。欲望の捌け口にさせるって事」


「?」


「この世には悪人がいる。それも決して許されてはいけない類のクズがな」


 ケヴィン達は、この家の若旦那に良くない性癖がある事を知っていた。

 この町の住人の間でも噂になっていたくらいだ。


 それが理由なのか、この屋敷の仕事は周囲の豪邸に比べて人気がない。少なくともスラムの何でも屋に依頼する程には。

 そうでなければ召使いの代わりなど幾らでも応募が殺到するはずだった。


 ケヴィンも仕事の相談をされた時、若旦那が出先にいて屋敷にいない事を条件に許可したくらいだ。


 子供同士で誰を向かわせるかと話し合い、手を上げたのがナターシャで、彼女もそのつもりで屋敷に赴いている……はずだった。


「俺が12歳の頃、同じような目に遭ってる。体を売るつもりはなかったけど、それで金を貰えるならって我慢した」


「体を売る? お金を得ても体がなくては死んでしまうかと」


「性欲の捌け口っつったろ。裸にさせられて撫で回されたり」


「抱かれる、という事ですね。意味は理解していますが」


「男が好みならナターシャは大丈夫かと思ったんだけどな。子供ならどっちでも良かったか、あの豚め」


 ケヴィンはツラい過去を何でもないように言う。一方、イングスにはまだそれが「辱め」であるという認識がない。


「男は子を産めないと聞いております、無意味があるのでは」


「あ? 子作り目的じゃなくても行為自体は出来るだろ。気持ちいいから、やりたいから、それだけ」


「そうですか……確かに神もそう言った事があります。それは色欲だと」


「あんたそういうの興味なさそうだな。ま、合意がなけりゃ虐待だと覚えておきな」


 召使いが部屋に向かって2分。まだ戻っては来ない。何かあったのだと判断し、ケヴィンが階段を上り始めた。


「飯の時にはスラムにいたから、まだ屋敷に着いて間もないはず。キズモノにされる前に助け出す」


「傷に効く薬はここに」


「……その傷がつかないのが一番いいだろうが」


 廊下を駆け抜けながら、ケヴィンが「いつまで待たせる気だ」と叫ぶ。

 廊下の端の曲がり角を曲がった時、その前には放心状態の召使いが座り込んでいた。


「ここか?」


「ごめ、なさい……」


 召使いは涙を流しながら俯いている。何が起きているのか間近で感じて、ようやく事の重大さと残酷さに気づいたのだ。


 部屋の中からは物音がしない。


「鍵がかかってやがる……ナターシャ!」


 ケヴィンの大声によって、部屋の中で何かが床に落ち、男のじっとしてろという声が漏れる。


「ご、めんなさい、か、鍵は持たされていなくて」


「クッソ!」


 ケヴィンが強引にこじ開けようとするも、分厚い木製の扉はビクともしない。


『ケヴィン兄!』


 不意に部屋の中から女の子の声がした。


「ナターシャ! 無事か!」


『こ、怖い!』


「蹴破るには頑丈過ぎる、チッ」


 ケヴィンが回し蹴りや踵落としを繰り出しても、扉は大きな音を立てるだけ。

 そのうちとうとう屋敷の当主や夫人、召使い数人が来てしまった。


「何ですかあなた達!」


「何だこいつらは。卑しい乞食共が忍び込んだのか」


「強盗!? 誰か……」


「おーう警察でも近所でも呼べばいい。そうすりゃテメェの馬鹿息子が少女襲ってる所も知られるし」


 ケヴィンの言葉に、執事の眉がピクリと動く。当主の男も当主夫人も険しい顔を崩さない。どちらも息子の行いを知っているのだ。そして、特に悪いとも思っていない。


「ったく、だから下賤の餓鬼ではなく、それなりの女を充てがえと言っているだろうが」


「申し訳ございません。ぼっちゃまがどうしてもと」


「まったくもう、これだから粗野な貧民は嫌なのよ。ほら幾ら欲しいのかしら。千ユク? 二千ユク? まさか一万ユクも欲しがるつもり?」


 当主夫人が金を用意させようとする。金をやるから黙って帰れという事だ。


「ナターシャを返せ。ナターシャはテメエんとこの雄豚の餌じゃねえんだ」


「んまあ、なんて物言い」


「名家の子息の実態が、スラムの子供を慰みに使うクズだと知れ渡ったら」


「フン、馬鹿が。貴様のような卑しい乞食の言う事など誰が信じるものか」


 当主らは扉の鍵を開ける様子もなく、息子を咎めるどころか庇っている。しかもイングスとケヴィンを不審者として通報しようと言い出す始末。


 召使いの態度を見れば、他の者にどんなに真実を理解してもらっても、1人の少女に危険が迫っていようとも期待は出来ない。

 警察や近所の者達はこの屋敷の意向に従うしかないだろう。


 ケヴィンも、ここで下手をすればスラムや子供達に危害を加えられる可能性を考えていた。


「どうした、金と聞いてガキが幾らになるか勘定でも始めたか」


「……んなわけねえだろ! さっさと部屋の中に入らせろ」


「不法侵入の身分で何も理解していないようだな、これだから学校にも行ったことのない馬鹿は困る」


 勝手に入ってきたならず者。警察が捕まえるには十分な理由になる。

 しかしイングスは全く動じていない。


「不法侵入ではありません。召使いの方の許可を得たので、私達は合法侵入しております」


「あ?」


「確かに私は学校に侵入した事がありません。しかしそんな私でも、招かれた場合は合法だと分かります」


 誤解とトゲ混じりなイングスの言葉で招き入れたと知り、当主らの厳しい視線が召使いの女に突き刺さる。


 召使いの女が怯えに肩をビクリと跳ねさせたのを見て、ケヴィンは女に安心しろと優しく伝えた。


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