第17話 歪み




 * * * * * * * * *





「……騒がしい。何かあったのか」


 21時過ぎ、イングスはふと外の騒がしさに気が付いて目が覚めた。酔っ払いが騒いでいるのか、それとも荒んだ大人達の喧嘩か。


 イングスが窓の外を覗こうとすると、部屋の外で軽い足音が幾つも階段を駆け上がり、隣の部屋に滑り込んだ。


「ケヴィン兄!」


「どうした」


「ナターシャが帰って来てねえって……」


「夕方のメシの時はいたじゃねえか、網焼きの魚を頬張ってただろ」


「それが、その後は家に帰ってないみたいで……あいつの弟が俺のとこに相談に来た」


 どうやら孤児の1人が行方不明らしく、外が騒がしかったのも捜索していたからだった。イングスは当然のように起き上がり、部屋着のまま部屋の扉を開けた。


「探しに行きますか」


「あ、悪い。うるさかったよな」


「いえ。探しに行くのであれば私を貸与すべきかと」


「たいよ?」


 手を貸すと言えばいいものを、イングスは手だけでは足りないと思い、自分を丸ごと使うと表現した。

 珍妙な発言以前に、ケヴィンは貸与の意味が分からない様子。


「捜索は人数が多い方が良いと、父が言っていました」


「あ、ああ、手を貸してくれるっつう事か。客人のあんたにそこまでさせられねえって言いたいところだけど、助かる」


「ナターシャの顔、分かるっすか? 飯の時、長い黒髪を赤いゴムで1つに縛ってた女の子です。魚の網焼きの担当の、13歳だから俺の肩くらいの背で」


「理解しました。どこを探しましょう」


「他所者のあんたじゃ、どこって言っても難しいと思う。町の方まで一緒に」


 ケヴィンはイングスを引き連れ、建物の外へと出る。外には20代ほどの大人が数人と、ケヴィンより少し若い少年達がいた。


「今日、ナターシャは昼間どこで働いてたか分かるか」


「今日は勉強の日じゃなかったんだっけ、えーっと」


「今週は金持ちの家で掃除って言ってた」


「1人だけか?」


 数人の少年が首を縦に振る。屋敷の使用人が帰省や病気で休む際、時折掃除の手伝いの仕事が入る事がある。

 依頼はケヴィンが窓口となる。しかし誰がどこに行くかは、子供達が話し合って決めるのだ。ケヴィンは危険な仕事、力仕事の時だけ現場に赴く。


「……ケヴィンさん」


 ふと1人の少年がケヴィンに近づき、耳打ちをした。途端にケヴィンの表情が曇る。


「よし、お前らはスラムの中を回れ。子供だけの家は戸締りしておけよ、人買いが来ているとしたら、攫われる可能性あるからな」


「人買い、ですか」


「ああ。餌食になるのはだいたい10歳前後から15、16歳の孤児さ。身分も不確かな俺達のことなんて、町はいなくなっても探してくれない」


「私は探します」


「……おう、ありがとな、そういう奴がいてくれるだけで嬉しいぜ」


 街灯などないスラムの闇を駆け抜ける途中、ケヴィンは「皮肉だよな」と呟く。


「よりによって人間じゃないあんたが、誰よりも俺達の事を人間扱いしてくれるんだからな」


「人間を人間扱いするのは当たり前です」


「ふっ……そうだよな。でもその当たり前が出来ねえ奴は思うより多いんだよ」


 20分程走った所で、次第に街灯が増えてきた。海沿いの通りに出ると、港のオレンジ色の光が一層目立っている。富裕層が住む地区へはここから更に走らなければならない。


 北地区から南地区まで子供の足で2時間以上かかるため、通常、孤児達は海沿いの停車場から機械駆動車の定期便に乗って向かう。この時間になれば、その機械駆動車も動いていない。


「もし歩いて帰って来るなら、この海沿いが一番近いし明るいんだ。ここですれ違わないって事は……」


「どこかに寄り道か、まだ帰ってきていないという事ですか。しかし夕飯の後なら」


「……とにかく急ぐぞ。あまり良い予感はしねえ」





 * * * * * * * * *





 富裕層が住む地区は、小高い丘にあった。

 道はレンガ敷きで幅も広く、豪邸はどれも高い塀で囲まれている。敷地は庶民の家を10軒集めても叶わない程広大だ。


 100万ユクでも買えない機械駆動車が数台並んだガレージを見た時は、さすがのイングスも目を丸くしていた。


「庶民で持ってる奴はいないからな」


「クラクスヴィークには機械駆動車がありませんから、とても興味深いです」


「俺も金も機械駆動車も羨ましいと思うけど、あいつらになりたいとは思わねえな」


「どういう事でしょう」


「スラムのチビ共に嫌われるような人間にはなりたくない」


 イングスにとっては難しい答えだった。

 イングスはいつか人として暮らしていきたいと願っていたし、故郷とも呼べるクラクスヴィークの人々を悪く思った経験がない。


 けれど、ケヴィンは立場や環境、人同士の差に苦しみながら生きている。


 自分はどうなるべきなのか、何が人として正しいのか。自分の目指している理想の人とはそもそもどんな人なのか。

 良い人と言われたら師匠を思い浮かべる事しか出来ない。ならず者という言葉は知っていても、まだ極悪人と接したことがない。


「私は、もっと人について学ばなければならないのでしょう」


「……人なんて、学べば学ぶほどそんないいもんじゃねえよ」


 緩い坂を駆け上がる事数分。丘の中腹の森に、特に大きな屋敷がみえてきた。


「……ここだ」


 門の前に立つと、小さな鐘を鳴らす。しばらくして召使いの女が出てきた。


「はい? ……まあ」


「不届者を見る目でどうも。ナターシャの迎えに来ました」


 召使いの顔色が曇る。不審そうな顔ではない。


「小間使いなら、もう帰らせましたけど」


「旦那様が不在だから、報酬はまた後で取りに来いと言われたそうで。そう告げたのはあんたか」


「わ、私は知りません」


「じゃあ誰が言った」


「し、知らないわよ。そもそも報酬を貰っていないというのは本当? 育ちが悪い子は平気で嘘をつくから」


 召使いの女は少々の侮蔑を含んだ笑みを浮かべ、鼻を鳴らす。


「ナターシャの事は認識してんだろ。帰らせた後、また来てるよな」


「し、知らないって言ってるでしょう! 言いがかりなら人を呼ぶわよ」


 召使いは動揺を隠すように憤慨して見せる。ケヴィンが明らかに不機嫌になった所で、イングスが口を開いた。


「では、あなたも育ちが悪いのでしょうか」


「……は?」


 イングスの言葉の意味が分からなかったのか、不意を突かれたせいなのか、達者に動いていた召使いの口は半開きで固まっている。


「あなたは、嘘を付いていないのですか」


「な、こ、小間使いの子供の名前まで気にしたことがないだけよ! 子供をこんな時間に呼びつけるわけないでしょ」


「ナターシャが子供であるかどうか、まだお伝えしていません」


「そ、そうかしら、聞いたはずだけど」


「あなたは嘘をついても平気なのですね。あなたは育ちが悪いのでしょう」


「おばさん、嘘見抜かれても認めねえってみっともねえぞ。バレてんだよ」


 召使いも、バレている事は分かっていた。その上で嘘を付いている事を自分自身の言葉で非難され、怒りと羞恥心でプルプル震えている。

 普段見下しているスラムの孤児より、自分の方が下賤だと感じつつ、認めたくないのだ。


「もしもの時、あんたの最低限の評価を守りてえなら、どっちの味方に付くべきか分かるよな」

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