第14話 スラム街へ



 イングスはお客とは一言も言っていないが、確かに客ではある。しかし、この部屋の状況もケヴィンとジャッキーの関係も分からない。イングスは改めて客だと告げ、用件を話しだした。


「何でも屋をしていると聞き、訪ねてきました。仕事を頼みたいです」


「……仕事?」


 ケヴィンは、てっきりイングスが取られた金を取り返しに来たのだとばかり考えていた。仕事の依頼だと聞き、ぽかんと口が開いたままになってしまう。


「はい」


 胡散臭いのはお互い様。ケヴィンはイングスを奥の部屋へと案内した。


 部屋はやはり薄暗く壁はひび割れ、窓ガラスの代わりに板が打ち付けられている。一応は商談室を意識しているのか、赤いソファーとテーブルだけが新しい。


「何でも屋だからな、機械部品の組み立ての内職もするし、腰痛めた漁師の代わりに海に出る事もある」


「何でもやるのですね」


「ああ。ただ、犯罪になる事はしない。昔は盗みや恐喝で飯食ってたけどな、これじゃスラムの大人達と一緒だと思ってやめた」


 ケヴィンはこの地区の概要を簡単に説明した。そして自分は幼い頃に両親を亡くし、このスラムに行き着いた孤児である事も明かした。


 この町はスラムと一部工場のある北地区、港があり一般家庭や商店が多い中央地区、そして富裕層が多い南地区に分かれている。


 庶民はスラムの住人に対し、関わらなければどうでもいいと思っている程度。富裕層は普段からこの北地区を見下している。

 ただ、富裕層は煙突掃除や下水配管の点検など、誰もやりたがらない仕事はスラムに回してくれる。


 金を投げて寄越してきたり、惨めな奴だと嘲笑ったりと態度は悪いが、庶民街で労働するよりも報酬は高い。嫌な目に遭おうとも、背に腹は代えられないのが現実だった。


「ま、そんな感じだ。同情してくれとは言わない。お気持ちだけで飯は食えねえからな」


 先ほどいたジャッキーも孤児で、地区内には十数人の孤児がいるという。

 仕事をしている大人はごく少数で、その仕事も売春やクスリの売人など、まっとうな商いではない。

 盗みや詐欺、炊き出しなどの施しに頼る者が殆どを占めていた。


「ここにいるガキは、1人で生きていく力が必要なんだ。なけりゃ親に搾取されるか、他人から搾取されるかの2択しかない」


「あなたはここにいますが、他人から搾取していませんね。何でも屋は立派な仕事だと思います」


「……立派、か。学のねえオレが犯罪以外でやれる事って、そんなにねえんだ。だから、ここのガキ共には勉強して偉くなってもらいたい」


「だから先ほどは学習帳と……」


 イングスがケヴィンの行動に理解を示そうと頷いた時、入り口の扉が勢いよく開かれた。廃墟ビルの中に響き渡る音に、隣の部屋で勉強していた子供達の悲鳴が響き渡る。


「おいケヴィン! 出てこい!」


「チッ、面倒な奴が来た。悪いけどちょっと待っててくれ」


 ケヴィンはため息をついてから商談室を出て行く。直後、濁声の男との言い争いが始まった。


「客がいるんだよ、ちょっと外で話そうや、おっさん」


「んなもん知るか! ガキはどうした! てめえのモンでもねえくせに!」


「まあまあ出てくれや。ったく、てめえが無能だからってガキに縋ってんじゃねえよ、だっせえ」


「なんだと?」


「あいつらでも靴磨きや煙突掃除で金稼いでんだぞ。テメエその巨体を子供に養ってもらって、情けねえな。オレがそんなおっさんを畏れるとでも思ってんの」


「口のきき方を弁えろ! この……」


 殴り合いの喧嘩が始まる。そう思ったイングスは、その場を収めようと立ち上がった。2人が言い合う廊下へと向かい、声を掛けようとしたのだが。


「痛っ! 痛たたた!」


 ケヴィンは男の腕を掴んで受け止め、男の喉元を強く掴み上げた。喉仏を転がすようにグリグリと揉まれ、男の口に泡が溜まっていく。


「威張るなら威張れるだけの力持ってろよ。仕事もできねえ力もねえ、知恵もねえ。ほんとだせえな」


 ケヴィンは体重100kgはありそうな巨体を引き摺り、硬いコンクリートの床に放った。

 それから男の脇腹に数発の蹴りを入れ、階段の際まで転がしていく。


「子供の体じゃなくて、てめえの体が売れるように痩せて筋肉でも付けてみろや」


「うっ……」


「はぁ~、ほんっとこんな大人ばっかりで嫌になる。おっとお客さん、悪いね、話を続けようか」


 イングスはこの地区でケヴィンがどのような立ち位置にいるのかを理解した。


「さ、依頼って何だ? あー……一応言っとくけど、客だからって丁寧な対応とか、仰々しい敬語使えとか、そういうのは他所で求めて」


「問題ありません。しかし、その前に確認をしたい事があります」


「確認? 何だ」


「……あなたは神への信仰について、どうお考えですか」


 イングスは大前提となる信仰心を尋ねた。神を信じているのなら、神の影響を受けてしまう。イングスがどこにいるのか、何を考えているのかも伝わるだろう。


 今まで個人の行動など気にもしていなかった神も、イングスに繋がる情報の収集くらいは始めているはず。イングスはそう考えていた。


 一方、ケヴィンは質問の真意を汲めなかった。布教活動の手伝いを求められたのだと思い、険しい顔をした。


 丁寧な物腰、本題までが長い、相手の考えから先に尋ねる。今までスラムに現れた牧師や敬虔な信者の手法と似通ってもいたからだ。


「布教活動の手伝いならお断りだ。悪いが信者だろうが違おうが、金を払ってくれるなら全員客だからな」


「信者ではない人がいる事を、咎める気はないという事で宜しいでしょうか」


「俺がとやかく言う事じゃねえだろ。俺は仕事をこなすだけ、不満か?」


 ケヴィンはイングスを信者側だと思い込み、当たり障りなく返事をする。一部土着の信仰もあるが、どちらにせよ敵に回すと厄介な存在でしかない。

 信者だと名乗れば仲間意識を持たれ、集会や布教活動の誘いが頻繁に来ると分かっているからだ。


「不満はありません、ただ……」


「何だ」


「この話は、信者の方に伝えるわけにはいかないのです」


 イングスは隠していたつもりだが、こんな事を言ってしまえば信者ではないと名乗っているようなものだ。ケヴィンは嘘を付けないイングスに思わず笑ってしまった。


「あんた、このスラムの現状を見てそんな心配してんのかよ」


「……私はあなたがどうなのかを知りたいと思っています」


「俺は親を失った。子供達は幸せなんか味わった事もねえ。大人どもは不幸自慢と金の話ばかり。神がいてこのスラムの惨状たあ聞いて呆れるぜ」


「……信者ではない、という事で宜しいですか」


「おう、宜しいぜ。幼い頃は信じてたけど、結果がこの生活さ。救われた経験なんてねえよ」


 イングスはケヴィンが信者ではないと理解し、ようやく用件を伝える決心がついた。ここでの会話が神に漏れる事はない。


「私は神教徒ではない者を集め、聞きたい事があります」


「信者じゃねえ奴を集めたいなら、このスラムにいるぜ。集めるだけでいいのか」


「はい」


「んじゃ、日曜日の朝10時にこの建物の前に来いよ」

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