第13話 大陸の港町リャノ




 イングスが初めてクラクスヴィークを出発した当時。


 諸島で一番大きな町「トース」に寄港した後、貨物船は3日かけて大陸北西部の港「リャノ」に到着した。


 長閑なクラクスヴィークとは違い、大陸の港町は工場や倉庫が海沿いを埋め尽くしている。行き交う貨物の量も比べ物にならない。


 リャノで下船したのはイングスの他数名。運び込まれる荷物は数しれず。


 同郷の者は1人もいなかった。


「旅券は、乗った港の許可証は、申請書は」


「島の者かい? あんた島の外に出た事は」


「はぁ~、なーんにも分からねえいなか者か。ほら持ってるもん全部見せてみろ」


「ばーか、着替えや日用品なんか見せられてどうしろってんだよ。書類だよ書類!」


 辺境の田舎から初めて出てきた若者にため息をつきつつ、職員の男達がイングスの入港審査を進めていく。


「クラクスヴィーク出身かい。長閑でいい町だ、わざわざ大陸に出てくる必要はなかっただろうに」


「まあ、個人の自由だが……いなかもんのあんたには大変だと思うぜ」


 1時間後、イングスはようやく入港管理所を出た。すぐに海沿いの市街地を歩き始めたのだが。


「……何から始めたら良いのか」


 低い雲の切れ間から零れる陽光と、色鮮やかな建物を背にしつつ、イングスは途方に暮れていた。


 目の前を行き交う人々は足早で、島では殆ど見かけなかった自転車や機械駆動二輪車などが行き交う。


 神の真実を語るにしても伝手はない。知人もいない。イングスはまず信仰心がまるでない者を探す事にした。


「おいあんた!」


 イングスが道を渡ろうとした時、急に声を掛けられたと同時に、腕を強く掴まれた。


「早まるんじゃねえ!」


「申し訳ございません、遅まるべきだったとは知らず」


「はぁ? 何を言ってんだ、危ないから歩道に戻れ」


 イングスの手を引いたのは、15,6歳程の青年だった。

 黒髪にキリッとした目。掠れ気味の声は高くなく、かといって下げきることも出来ない若々しい印象だ。


「機械車にわざと轢かれるって迷惑なんだぞ」


「故意に迷惑をかける事は良くありませんね、同意します」


「あ?」


「何か」


 青年の怒った口調に、イングスは戸惑いを見せる。青年もまた、イングスに話が通じていないと分かって怒りが収まってきたようだ。


「もしかして、あんたよそ者? 信号とか知らない奴?」


「信号……確か島々で一番栄えているトースの町に、新しく設置されたと聞きました」


「トース? どこだか知らねえけど、あの信号が赤く光ってる時は道を渡っちゃいけないんだよ」


「そのようなしきたりがあるのですね、教えて下さって有難うございます」


「……変な奴」


 イングスはいたって真面目に受け答えをしているつもりでも、青年からすれば無知で素直な田舎者だ。言葉遣いは悪いが、青年はイングスに信号の意味を丁寧に教えてくれた。


「渡るべき方角の信号が青く表示されている時だけ、渡ることができるのですか。なるほど」


「ん」


 青年がイングスに手を差し出した。イングスはその意味を理解せず、握手でも求められたのかと握り返した。


「ちげーよ、助けてやったんだから謝礼寄越せっての」


「謝礼……」


「オレは何でも屋なんだよ、仕事として助けてやってんの」


「なるほど、値段を教えて下さい」


「……田舎もんならあんまり持ってなさそうだな。10ユク(1ユク=安価な食パン1斤程の値段)でいいぜ」


 イングスはこれが言いがかりやぼったくりだとは思ってもいない。当然の支払いだと思って財布から10ユク紙幣を取り出した。


 青年が去っていくと、イングスは信号をよく確かめ、信号の色が変わるのを待つ。その時、隣に立っていた年配の男が苦笑しながら話しかけてきた。


「……助けに入れず悪かった、こっちも因縁を付けられたくなくてね。あいつはスラムのならず者だよ」


「ならず者、ですか」


「田舎ではどうか知らんが、人助けをして金を取るなんて普通はしない。気を付けな」


 信号が変わり、男が遠ざかっていく中、イングスは騙された事を悔やむより、青年の言葉を思い出していた。


「何でも屋……」





 * * * * * * * * *





 賑わう港から北に数十分歩くと、辺りの建物の雰囲気が変わってきた。

 古く手入れの行き届いていない木造家屋が多くなり、合間に立つコンクリートの建物も薄汚れ、窓が割れているものも多い。


 クラクスヴィークにも古い町並みが残っているものの、それとは違う荒んだ様子は、イングスでさえも感じ取れるものだった。晴れた初夏の炎天下だというのに、全てが灰色に見える。


 スリ、暴漢、詐欺、クスリ、一通りの悪者が住んでいると教えられたせいか、イングスは鞄を前にかけ、周囲への警戒を怠らない。


「こんにちは、子供」


 尋ね方に難があるが、イングスは地面に絵を描いて遊ぶ少年を見つけ、とても優しく丁寧に声を掛けた。少年はビクッと肩を震わせイングスを見上げ、不安そうに見つめ返す。


「何でも屋をしている方を知りませんか」


「な、なんでもや、誰?」


 まさか何でも屋が複数人いると思っていなかったイングスは、先ほど出会った青年の特徴を伝えた。黒髪、背は自分より低く、瞳の色は右が緑、左が青。そこまで伝えたところ、少年は1人の男の名前を挙げた。


「ケヴィン兄ちゃんのお客? こっち」


 いつ洗濯したのかも分からないボロボロな半袖シャツ、土でカサカサになった手のひら。お世辞にも良い暮らしは出来ていないと分かる。

 それでも少年は元気よく跳ねながら、イングスを1軒の廃墟のようなビルへと案内した。


 コンクリートの階段はひび割れ、所々手摺が崩落している。電気は通っていないのか、踊り場の照明はどれも消えたままだ。


「ケヴィン兄ちゃん、お客さん!」


 少年が扉をノックする事もなく、体を滑り込ませるように入っていった。イングスがお邪魔しますと言いながら入ると、そこには木箱や何らかの部品が散乱していた。


「客って、何の……あっ」


 ズボンのゴム痕を掻きながら現れたのは、先ほどの青年ケヴィンだった。ケヴィンはイングスに気付くと目を細めて睨み、腕組みをする。


「なんだ、ここまで追いかけてきたのか。おいジャッキー、他所者を簡単に連れてくんな馬鹿」


「バカって言ったら自分がバカ! お客って言ったもん!」


「うるせー、お前は早くみんなの所に戻れよ。学習帳終わってなかったらゲンコツだからな」


「もうすぐ終わるもん!」


「ったく。……ついて来い」


 

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