第10話 捨て駒



 青年は何の前触れもなくイングスへと襲いかかった。無表情のまま右手で喉を掴みにかかり、イングスは寸前でその右手を捻り上げる。


「こ、こいつ何だ、強盗か!」


 相手の動きに無駄はない。一方、周囲にいるのは酔っ払い。まさか彼らは応戦どころか機敏な動きも出来ない。もし手を出されたり人質に取られたら厄介だ。


 イングスはルダ達を背に守りながら、青年を入口へと押し戻す。


「後で説明します。皆さん逃げて下さい。師匠、立てますか」


「あ、ああ……」


 常連客は箒や皿を手に加勢の意志を示すものの、イングスと相手の攻防に手出しする隙はない。


 青年はイングスの腕を掴み、首を締めようと動くのみ。テーブルが1つひっくり返る音がしたのも気に留めない。

 表情を変えず、店内がどれだけ荒れようがイングス以外に目もくれない。


 無表情でイングスに襲い掛かる姿はあまりにも恐ろしく、皆は距離を取る事さえ頭から飛んでいる。


 青年の姿を見て、ルダの脳裏に過去が蘇った。


「まさか、こいつは」


「師匠、こいつは神の傀儡です。神が私の始末を開始したようです」


 イングスは青年ならぬ傀儡の首に手を回し、店の扉の外へと引き摺り出した。

 店内の音に気付いた野次馬が慌てて散り、その後ろに人だかりが出来ていく。


「どちらも迷いのない動きだ……格闘家でもあんなに高く跳ばねえ」


 イングスと傀儡は皆が見上げる程高く跳び上がり、空中でも相手への攻撃を止めない。


 そのうちイングスが傀儡の腕を掴んだ。

 そのまま投げ飛ばして背中から地面に叩きつけるも、傀儡はむくりと起き上がる。

 痛みを然程気にしないのはイングスと同じだ。


 薄暗い通りにいくつもの光の帯が降り注ぎ、その窓から覗く者が次から次へと外へと出てくる。


「何だ何だ、強盗か!」


「何で戦ってるの? ねえ、どうなってるの?」


「子供達を表に出すな! 家の中に入れろ!」


「アイツがいきなり店に入ってきて襲いかかって来たんだ! わ、わけが分からねえ」


「あのおにーちゃん! ねえママ、強いよ?」


「いんぐしゅー! がんばえー!」


 皆が見守る中、イングスの優勢は明白だった。身体能力は神が与え過ぎたくらいだ。

 神が全てを注ぎ込んだ個体が、ほんの数時間で作られ遣わされた個体に負けるはずもない。


 均された土の通りに、再び傀儡の背が打ち付けられる。


 イングスの危なげない動きは格闘か演技かのようで、見とれている見物人もいる程だ。


 傀儡は既に幾度となく腕を捻り上げられている。右腕は脱臼でぶらりと垂れ下がり、右膝は蹴りで粉砕され、もはや身を捩り暴れるのが精一杯だ。


 それでも全く動じる事なくイングスを殴ろうと手を動かし、腕を引き抜かんと掴みかかってくる。


 倒れ込んでも足払いを仕掛け、腕を伸ばせば噛みつこうとする。その様子から過去を連想したのはルダだけではなかった。


「コイツ、あの殺人人形だ」


「警官はまだか! イングス、あんたも殺されちまう、無茶するんじゃねえ!」


 誰かがそう叫んだ瞬間、イングスの蹴りが傀儡の左側頭部に命中した。傀儡の体は力なく倒れ、ただ目だけが動いている。


「不意打ちであれば苦戦もしただろうに。私は神が完璧だと自慢した個体だ、駒に過ぎない傀儡には負けない」


 傀儡とはいえ、見た目だけは人と変わりない。イングスに対しやり過ぎだと非難する声も上がるが、野次馬の数人がその声を抑えつけた。


「イングス、そいつは……人形なんだな」


「はい、間違いなく。ここで始末しなければ、私のようにすぐ復活します」


「……やりたいようにしなさい。人としての責任が発生するのなら儂が取る」


 イングスはルダに頭を下げ、傀儡の首をへし折った。悲鳴が上がるも、そこから飛び出たものに皆が息を飲んだ。


「こ、これ……く、管? 血管じゃねえよな」


「人形だ、こいつ本当に人じゃないぞ!」


「ああ、あの時の殺人人形と一緒だわ。まさか、20年も経ってこんなものが……」


 動揺する人々を尻目に、イングスはオイルライターで木片に火をつけ、傀儡を焼き始めた。

 物理的に処分しなければ、どこまで回復してしまうか分からないからだ。


「皆さんが記憶している殺人人形と、同じものです。師匠の弟子と息子を殺した人形です」


「誰がこんなものを? ルダ爺だってこんな動く人形は作れるはずねえ」


「まるで人だったわ! 作れるものとは思えない!」


 炎を上げる人形を背に、イングスはじっとルダを見つめていた。神への信仰心を失わせるには、又とない機会だと思ったからだ。


 ルダは深く頷き、イングスの横に立った。


「皆、イングスが儂の息子となったのは知っとるはずだ。内心、イングスには秘密があると思っている者も多かろう」


「あんな危ねえ奴を危なげなく倒すんだから、只者じゃないのは分かったが」


「昔は何か武術を習っていたの? 記憶がなくても体は覚えているのね」


「それにしてもどっからこんなもんが。他の島か? まさか大陸がそんなに進んでいるもんか?」


「おいおい、付近の島の中じゃトースの町が栄えてるくらいで、残りはここより田舎だぞ」


 イングスの正体と言われても、実は凄い人物なのではと考えるのがせいぜい。

 殺人人形と同じ存在だと気付いた者はいない。


 イングスはルダに任せず、自ら語り始めた。


「私はこの人形と同じです」


 人形と同じ。その言葉の受け取り方はそれぞれで、皆の表情がきょとんとしている。


「私は神が人の調査に遣わせた傀儡なのです。もっとも、今は神を見限った身ですが」


「イングスは、人ではないんだ」


「でも自分の意思で動いているし、自分を人形や死人と錯覚する病気なんじゃ」


 あり得ないと思うものを、はいそうですかと信じてくれる者は少ない。

 イングスはルダをチラリと見た後で頷き、殺人人形の破片を左腕に突き刺した。


 周囲には悲鳴が轟き、卒倒する者も出る始末。イングスはその破片を引き抜いた後、腕の傷を見せた。


「なんて事を……」


「黙って見て下さい」


 イングスの腕の傷はあっという間に完治した。どよめきが起こるも、まだ証明には物足りない。


「て、手品かよ」


「ど、どんな仕掛け? 有り得ないわ」


「有り得ない? 目の前で起きたじゃろが」


 ルダはイングスの袖を戻してやり、燃える傀儡を指差す。現実に起きた事だと認めざるを得ない状況に、誰もが口をつぐんだ。


「イングス君は人じゃないって……信じたくないけど、大丈夫なの? 操られないの?」


「神は神を信じ崇める者を操るのです。もっとも、私は人ではないので指示命令で動いていたに過ぎません」


「殺人人形と同じ事はさせられないの?」


「はい」

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