第9話 追っ手の出現
「帰る場所があれば気も落ち着くだろう。老い先短いジジイだ、あまり待ってはやれんがの」
ルダはそう言うと、この1ヶ月ちょっとで製作した4体の人形の代金をイングスに全額渡した。
「これは……金銭に疎い私でも多過ぎると分かります」
「弟子に餞別を渡せんほど、貧しく暮らしてはおらん。どうしても多過ぎるなら、帰って来てからでも倍にして返してくれ」
ルダが笑い、イングスは困ったような顔をする。そして、ルダに秘密を1つ打ち明けた。
「実は、色んな方から手伝ってくれと言われ、報酬としていただいたお金が……。倍になっていれば良いのですが」
イングスは胸元から紙袋を取り出し、ルダに手渡した。実は日頃から荷物持ち、ちょっとした店番、絵描きのモデルになったり、道路工事も手伝っていたのだ。
その謝礼は倍どころか人形1体の代金にも届かなかったが、ルダはそれでいいと言って受け取り、堪えきれずに噴き出した。
「はっはっは! 儂が心配せんでも、お前は大丈夫だな。時間と金は多い方がいい。儂からの餞別は持って行きなさい」
* * * * * * * * *
「あら、ルダさん! これまた珍しい」
「後ろのはあれか、新しいせがれか。こりゃまたいい男じゃねえかい」
「ええい、話より先に座らせんか。こちとら老いぼれだぞ」
高緯度に位置するせいで、20時を過ぎても夏の夕陽は水平線の上。飴色が雲に反射し、振り向けばまだ背後には青空が広がっている。クラクスヴィークでは当然の光景だ。
ルダはイングスを連れ、かつて常連だった1軒のパブに入った。席の埋まり具合は半分ほど、2人はカウンターに座り、ビールと食事を頼む。と言っても、殆どルダが決めたのだが。
「これは魚介のクリームスープですね。師匠が作るものと少し違う気がします」
「ああ、儂は魚だけを使うが、えびとカニを使う所も多いの」
イングスはビールを飲んだことがなく、ルダの所作を見様見真似で口にした。羊肉の燻製をつまみに、とても自然に振舞った……と思ったのはイングスだけだったらしい。
「おいおい、そんな一気に飲んだら……」
「……ぶはっ」
イングスはビールグラスを一気に飲み干し、当然のよう羊肉を齧ろうとした。その瞬間、ビールに含まれていた炭酸が一気に込み上げて来てむせてしまったのだ。
「あっはっは! 新しいせがれは面白い奴だの!」
「ふっ、はっはっは! そうだろう、ようやく人らしい素振りを見られたわい」
周囲は大笑いだが、イングスは何が起こったのか分からず、ただ驚いて固まっている。1つだけ理解しているのは、自分が何か失敗したという事。
「炭酸が入ったものと熱いものはゆっくり飲まないか。ほら、料理が来たぞ。クジラ肉の塩漬けと、ジャガイモのスライス揚げだ。ビールもお替りせい」
「はい……あの、私は失敗したようですが、許されますか?」
「失敗はしたが、悪い事はしておらん。何か問題があるかい」
イングスは成程と頷き、今度はゆっくり飲み始める。いつの間にか1時間が過ぎ、ルダもすっかりご機嫌になった頃、誰かがポツリとルダの息子の話を振った。
それは何気ないもので、生きていたら何歳になっていたか、というものだった。パブの女性マスターは「シッ!」と人差し指を口に当てるも、他の客がもう20年も前だなと続ける。
その途端、ルダは懐かしむような悲しむような顔を見せ、息子がいない人生の方が長くなったと呟いた。
「あーあーもう! しんみりと飲む酒は不味くなるでしょ!」
「悪かったって! ルダ爺さん、2杯ずつ俺がツケとくからさ! 今度のえっと、イングスもどことなく似て……」
「どこが似ておる、儂の息子は儂に似てちゃんと不細工だったわい」
ルダは乾いた笑いを漏らし、ウイスキーの入ったグラスを見つめる。一瞬その場が静かになり、誰かが笑いに繋げようと「まあ、そっくりだったな」と続けた。
「えっと、イングスさんだったか? 確かにあいつの見てくれは無骨でよ、ルダ爺くらい愛想もねえ若者だったけど、中身はとてつもなくいい男だったんだぜ」
「カーリーが幼い頃、クジラ漁の後でクジラのお墓がないって泣いてな。それでクジラを祀る慰霊碑が出来たのさ」
「カーリーってのはルダ爺の息子さんの名前な」
「中身……」
「ああ。正直な話、人は見た目で得したり損したりする。見た目が良けりゃ、それだけで何の苦労もなく生きていける場合だってある。ずるいよな。でも、その中身がスカスカだとやっぱり駄目なんだ」
話題を逸らすためなのか、常連客の1人がイングスに持論を語り始める。周囲からは「お前だって中身スカスカじゃねえか」などとヤジが飛ぶも、イングスはその話に興味があった。
神は器を作り上げたが、イングスの中身までは作らなかった。中身がスカスカなのはイングス自身に当てはまる事だと思ったからだ。
「見た目だけで煽てられるから傲慢になる。好かれるのが当たり前だと勘違いしちまう。カーリーは愛想は悪いが人一倍優しい奴だった。一緒にいて心地いいのがどっちか、それが人の本当の価値だよ」
「あまり難しい事を言ってくれるな。イングスは素直で真面目だ。中身を見失っておるくらいでちょうどいいわい」
「まあ、見た目も良くて中身まで完璧じゃあ、俺らが報われねえもんなあ」
イングスはその場に合わせるように笑みを浮かべたが、内心は複雑だった。
イングスの見た目や身体能力は神が勝手に与えたもの。
対して、自分で身に着けた僅かな中身など、全く認められる段階にない。中身というものを理解してもおらず、真面目も言いつけを拒否していないだけだ。
「中身……私はどうすれば完璧になれるのでしょうか」
「それは自分と他人の気持ちを理解し、どう折り合いをつけ、何がそれぞれに一番良い答えかを探す力を身に着けてなければなれないもんだ」
「昔の記憶は戻って来ないのかい?」
イングスは記憶喪失という事になっている。人々は口に出さないだけでイングスがどんな過去を持つのか、気になって仕方がないのだ。
「思い出す事はありません、これからも」
「他の何者だったかなど、もうええんじゃ。これからの性格は儂らにかかっておるんだ……」
ルダが話を続けようとした時、店の扉が開いた。
「いらっしゃいませ! あら、初めての方?」
そこにいたのは色白な青年だった。
顔は整っているが無表情、赤い目、そしてどことなくイングスに似た雰囲気がある。
「空いているお席へ……」
青年は店内を見渡し、イングスに視線を固定した。
「……失敗作、始末」
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