第8話 世界の実態

 


 イングスが望むのなら、ルダはイングスの気が済むまで穏やかな生活を与えてやってもいいと考えていた。一方で神の所業の真実をこの町だけに留めて良いのかと悩んでもいた。


 他の町に、もし自分と同じ思いを抱える者がいるのなら。その人を救えるのはイングスしかいない。


 神の加護は、少なくとも人それぞれに与えられたものではない。そう言ってやれるのも、ルダが知る限りイングスだけだった。


「世界は、目覚めるべき時なのかもしれんな。人間全体にとって、イングスの出現は好機になり得る」


「師匠、私には難しい表現です」


「お前さん、どうすべきかではなく、どうしたいかを言えるかい」


「違いが分かりません」


 イングスの願望は、すべき事と一致している。人を神から守りたいという思いと、そうすべきだという結論だ。


 しかし、ルダの質問の内容はそうではない。イングスがもっと色々な事に興味を持ち、学ぶ姿勢を取って欲しいとの思いで問いかけていた。


「最短距離を最も効率的な手段で通るだけでは、見る事の出来ない景色があるものだ。夕日の美しさ、雪の冷たさ、動物の足跡も。それらを知っている者が羨ましくならないか」


「知識と経験ですね。確かにその通りです。得られる可能性があるものは、私も得たいと思います」


「では、それを踏まえてもう一度聞く。お前さんは目的を果たすまでの道のりの中で、どんな事をしてみたいんだ」


「目標ではないのですね」


「そうだ」


 イングスは暫く考えたが思いつかず、首を横に振る。


「まだ、考えが及びません。私は神から人を守り、支配から解き放ちたい」


「そうか。ではその過程で色んなものを見て、触って、感じるんだ。無駄だと思っていたものが、数年後の自分を成長させる事もある」


「成長には過程が必要なのですね」


 ルダは深く頷き、今度は人の世界で起きている事をイングスに説明してやった。


 クラクスヴィークがある小さな島から世界を見るのは一苦労だが、幸いにも娯楽が少ない土地だけに読書を趣味とする者が多い。


 ルダ自身も色々な本を読み漁り、知識として持っているものは多かった。


 いつしかイングスはルダが話する世界に入り込み、目的など忘れてあれも見たい、これも知りたいと言い出すようになっていた。


「さて。世界の面白さや奇妙な技術の話も良いが、お前さんが目的を果たす前に知っておいてくれ。神という存在がどれだけ厄介なものか」


 牧師が神のお告げと言えば、それが正義になってしまう事。しかし大抵の場合、神官は自分の意見を述べている事。


 牧師が複数人でそれぞれ違う事を言い始めると、誰が正しくて誰が嘘つきかを決めようとし、争いになる事。その正しさは強さで決まる事。


 そのため神が授けたとされる経典に忠実に従う事になったのだが、その解釈を巡っても定期的に紛争が起きている事。


 ルダが話す信仰は、どれもイングスを落胆させた。それは人の浅ましさと愚かさを垣間見たせいでもある。


 ただ、それ以上に人が神に遊ばれている印象が強い事が大きかった。


「神の名を利用し、他者と殺し合っているのですか」


「ああ。神の教えを否定する者を迫害し、殺して回る連中がいる」


「……神ならきっとそれを好んで誘発します。神は人が何の差し障りもなく繁栄しているだけでは暇で、とてもつまらないと言っていました。私に……殺人を命令する事も考えられました」


「争いですら神の思惑通り、か」


 神の思惑など、人が知る由もない。イングスも自分が遣わされた真の理由など聞いていない。


 イングスが良くできた傀儡人形だと知れ渡った時、皆が神の力に圧倒される。確かにその通りになるだろう。


 ただし、そんな短絡的な目的だけではない事は、ルダにもイングスにも容易く想像できた。

 そんな中で、イングスは神の言葉から1つだけ確かなものを見出していた。


「……神は、過去の失敗作が何をしたのか、そもそも知らなかったのかもしれません」


 神は、人を殺した傀儡だから失敗作だったとは言っていない。ルダの息子らが殺された事もイングスが言及したのであって、神はその時初めて把握している。


 それはイングスやルダにとって都合が良かった。


 せっかく作り上げたのだから、地上に遣わせた傀儡を見張るくらいはしたいものだ。それをしていなかったのは、すなわち出来ないのだろうと。


「傀儡は操られるだけで、崇める事を求められていないのです」


「それに、神はお前さんを無理に操れないようだな。出来ていれば逃走を止めて処分したはずだ」


「はい」


 イングスの言葉を聞き、ルダは再び深く頷いた。イングスは人の脅威になり得ないと確信したからだ。


「傀儡だけじゃない、人が人を殺す事もある。もうお前さんは他者を傷つけてはいけないと学んだ、傀儡だから危険分子だなどと考える必要はない」


 神の意思だからと言って他人を傷つけてはいけないし、間違っているからとこちらから先に叩きのめしてもいけない。

 そんな難しい話をされ理解が追い付かなくなってきた頃、ルダはイングスにとって一番吸収しやすい言葉を放った。


「攻めるためではなく、守るために力を使いなさい」


 神は攻め合えと言った。


 神を信じる者と信じない者が、剣や銃を手に攻め合う事が神の望みだ。勿論、その結果神を信じる者が勝つように仕向けるだろう。

 そうして信仰心の強い者だけが選別されていく。


 人間同士の戦いはイングスだけでは止められない。神の意志に対抗できる程、イングスの存在はまだ大きくない。

 それなら神の手から守る、攻撃してくる者に抵抗するための振る舞いをする。無自覚に神の操り人形となっていても、守る事に専念する。


 イングスはそれなら自分に相応しく、神の意思を介入させずに済むと思えた。


「神は……より信仰の強い者を集めるため、時に信者同士をも戦わせ選別しているのかもしれませんから」


「それくらいやりそうだの。表立って言わないだけで、神に不満を持つ者は大勢いる。まずはその連中を味方につけて、神についての不都合な真実を晒すのが早い」


「はい。私は……」


 イングスがそれを実行するのなら、人形技師としてここに留まってはいられない。その葛藤を察したルダは、自分を育てる修行だと助言した。


「製作技術の上達はどこでも出来る。だが心を育てるには環境が必要だ。全てを成した後、もしまだその気があれば帰っておいで」


「はい」

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