第6話 傀儡の決意


 神は信仰心が視界を捻じ曲げ、都合の良い事しか報告しなくなるのを防ぐため、イングスには神への信仰心を持たせなかった。それが裏目に出たようだ。


『お前など信じるように仕向けなければ、信仰されない程度の存在』


 そんな神の恐れを見透かしたようなイングスの態度が、神の自信と誇りに傷をつける。


「貴様、まさか人間になりたいなどと思ってはおらぬな。先に言っておくが無理だ」


「無理かどうかは、私が自分で確かめます」


「妾が無理と言っておろう! 誰が作ってやったと思っている!」


「神が神の都合で作ったと認識しております」


 人間を恐れる必要がないため、恐怖心も授けていない。神はそれを今更ながら後悔し始めていた。


「……貴様を作り出すのにどれだけ苦労したと思っておる」


「苦労したかどうか、それは私の無責任です」


「やっと妾が好む良い男に仕上がり、狙っていた身体能力も備わった! 想像通りになるまでに何十、何百と失敗作が出たのだ! 貴様は成功だと思っていたが」


「その失敗作の1体が、師匠の息子を殺したのですね」


「殺した? 先ほどから始末だ殺しただの何を言っておる、何が言いたい」


「私が住んでいる町に、以前も傀儡を送り込んだはずです」


「ああ、人間界で壊れた出来損ないの事か。だから何だ、貴様が上手くいけばいいだけの話」


「その傀儡は師匠の息子と弟子を殺しました」


「そうか」


「感想はそれだけですか」


「それで人間の世に何か変化でもあったか? 小さき島の集落で死人が出たからと大勢に影響はない」


 イングスは神に作られた事に関しては感謝しており、自身の役目についても納得はしている。

 傀儡である事を自覚し、神の駒となり行動する事で人間の反応を促すつもりでいた。


 ただ、神の行いには納得していない。


 ルダの絶望や、神を崇めていない者の気持ちの方が、自分の考えに近いと思ってしまったからだ。


「神、人形には思いや魂が宿るそうです」


「は、何だいきなり。いちいち唐突なのもここまで来ると腹立たしい」


「神は私に思いや魂を宿らせたのですか」


「貴様に感情が必要か? 人間の思いや感情を理解出来るようになれば、物事が上手く運びやすいとは思ったが。貴様に備わる必要はない」


 神にとって、イングスは計画から数百年経ってようやく出来上がった個体だった。

 見た目、能力、思考性能も含め、全て神の思い通りに仕上がったはずだった。


「それでは、きっと私に思いや魂を込めるのは人だったのでしょう」


「貴様……」


 イングスのぎこちなさが取れたなら、頃合いを見て傀儡だと明かす。そうして神はこんなものまで作れるのだと示し、いっそう神の偉大さと共に人間の信仰を深める。


 そのため過去失敗作を送った土地に傀儡を再度送り込み、神への信仰心を試そうとした。


「神は人の信仰と忠誠以外、興味を持っていないのですね」


「はっ、妾を咎めるつもりか、貴様も失敗作だったとは残念だ」


 神にとって人間も傀儡も幾らでも替えの利く駒だった。かつてそこで起こった事に関心を持たなかった。


 人間が信仰に疑問を持ち、反抗する事は想定済み。ただし、傀儡が人間側につくのは想定外だった。イングスが神ではなく、人間の影響を受けたのは明らかな「失敗」だ。


 いや、正確に言うなら神は間違いを犯した。自信作である傀儡を通じて、人を直接操りたくなった事が、神の失敗だった。


 イングスが失敗作なのではなく、神が誤ったのだ。


「私がどれだけ人を理解し報告しようと、神は私が理解した思いや心は理解しないでしょう」


「必要がないものを理解する理由はない」


「ならば私は神の下で必要なものを求められません。私は人と同じ思いや心が欲しいのです」


「貴様には不要だと言っておる。妾に報告だけすれば良い」


 イングスはルダや町の者と過ごすうち、どんどん物事や感情を吸収していった。

 人の暮らしはイングスに好奇心と探究心、慈悲や喜びや憂い、様々なものを芽生えさせた。


 自立心を持てば、飼い慣らされる生活には戻れない。イングスにとって、もはや神は足枷だ。ルダや人の敵と認識してもいる。


 イングスに人の敵に操られるつもりなどない。


「私は神が救えないのではなく、救わないのでもなく、何の罪もない者をわざわざ殺した事を不快に思います」


「不快、だと?」


「軽蔑と言っても差し支えありません。私は神を見限った人の感情に共感します」


「貴様……! 傀儡の分際で妾に何を言っておるのか分かっているだろうな! 来いこの失敗作、処分してやる!」


 神が怒りのまま立ち上がり、イングスに手を伸ばそうとする。

 イングスには死の恐怖がない。ただ、どうしてもこのまま処分されるわけにはいかなかった。


 ここでの出来事をルダに話し、息子の死の真相を共有すると決意した以上、それを成し遂げなければならないからだ。


「失敗したのは神です」


「五月蠅い!」


「私は指示なく動きます。神にとって些細な出来事は、私に確かな影響を及ぼしました」


「傀儡は操られるものだ! これからは許さ……おい、傀儡。左目の下の黒い点はどうした」


 神は自分が作りたい理想の人間を、イングスで表現出来たと思っていた。そのため数百年は傍に置くつもりだった。


 イングスに寿命を与えなかったせいで老化もしない。病気や細菌やウイルスに影響されず、自己治癒能力も高い。


 とはいえ、イングスの体は人間に準じた部分が多い。人間と同じように髪も伸び、運動をすれば筋力も上がる。


 そんなイングスに、それ以外の起こりようがない変化、つまり当初にはなかったものが現れていた。


「ほくろです。整い過ぎて不気味だ言われたので、勧められてほくろを描いてみました」


「妾の最高傑作に……誰だそのような愚か者は!」


 神はイングスのほくろに激怒した。ほんの小さな点であろうと、神にとっては最高傑作が人間によって穢されたに等しい。


 イングスは走ってその場から逃げ、クラクスヴィークへ戻ろうと階段を駆け下りていく。


「待たぬか!」


 もうイングスは命令を聞く事はない。神は自由の身となってしまった最高傑作に悔しがりながら、珍しく発狂していた。


「このような形での反抗は……妾の望むものではないぞ」





 * * * * * * * * *





「師匠、おはようございません」


「夜になったらこんばんはだ。知っている言葉を強引に使えばいいってもんじゃなかろう。どうした、訪ねてくるとは珍しい」


「こんばんはですね、覚えました。師匠、話が積もりますが宜しいですか」


「積もる話だ。いったい誰が面白がって言葉を教えているんだ」


 イングスはいつも風呂や食事が終わると、次の日の朝まで小屋から出て来ない。


 そんなイングスが夜間にルダの家を訪問するのは、これが初めてだ。

 ルダは何かあったのだと察し、家の中へと招き入れた。


「話、と言ったな」


「はい。師匠の息子と弟子に関係する話になります」


「……誰に何を聞いた。桟橋で話をするまで存在すら知らなかったはずだが」


 ルダは不審そうに眉を顰める。記憶喪失の若者が、会った事もないどころか存在すら知らなかった人物に関係する話などどうやってするのか。


 ましてやイングスは他人に何でも聞いて回る性格ではない。事件は20年前の出来事であり、イングスの見た目の年齢からして思い出しようもない。


 僅か1、2時間で誰に何を聞いたのか。場合によってはその誰かに注意しなければと考えていた。

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