第5話 不審


 イングスは嫌な予感がしていた。


「あれは……人形だった、血の代わりに何かの赤い油が流れていた」


 それはまさしく傀儡だった。そしてそのようなものを容易に作り出せる者は誰か、イングスは知っている。


「なぜ……神は人々を導くのではなかったのか」


 イングスのつぶやきは、ルダには違う意味で伝わっていた。


「儂もそう考えた。弟子の両親も同じだった。この世に神などいないのだと。熱心に祈り、真面目に暮らし、慈悲深かった息子達でさえ、あんな悲惨な最期だった。救われなかった」


「神は……」


「それっきり、儂は教会に通うのを止めた。儂は神など信じておらん」


 神は確実に存在する。最近は頻度も減ったが、イングスは今でも神に会うため神界とを行き来している。


 それを伝えたところで、ルダには意味がない。


 神がいようがいまいが、救われなかった。イングスはそれがルダにとって全てだと理解していた。


「もし存在するのなら、儂は誰に止められようとも憎み続ける」


 人間界では神が崇められ、清き者達を救うと信じられている。信じさせたのは神自身だ。


 しかし、ルダの言う事が本当ならば、神は清き者達を救っていない。


「神は人をどこに導こうとしている?」


 イングスの中で、初めて神への疑念と葛藤が生まれていた。


 自分が当然のように仕えていた神は、人間に嘘をついたのではないか。


 神は人間を支配するためにイングスを送り込んだと言った。それを思い返した時、イングスの脳裏にチェスの駒を手に取る神の姿が蘇ったのだ。


 このやり取りすら、神の仕業なのかと。だとすれば神がルダの息子らを始末した事になる。

 よりによって、イングスと同じ傀儡を送り込んでまで殺したのだ。


 更にもう1つ。本当に神なのかどうか。

 神への反抗などあるのか。そう問いかけた時、神は何と言ったか。


 イングスもまた傀儡であると知ったルダが、イングスを憎み、今までの親切な態度を一変させるのではないか。


「20年前、とおっしゃいましたね」


「ああ、そうだ」


「それは、師匠が決めて下さった私の誕生日ですか」


「……ああ。そうだ」


 イングスの脳裏に、ひと月前の事が蘇る。年齢と誕生日を見た役場の職員が、なぜ複雑そうな表情を見せたのかようやく理解できた。


 ルダはイングスに過去の重大な日付を託した。いや、背負わせたのかもしれない。

 イングス自身、ルダが自分に人形技師以上の何かを託したいように感じていた。


「師匠。私は確かめなければならない事が出来ました」


「……ああ、今日はもう良い、儂も少し休めば元に戻る」


 作業小屋で荷物を置き、イングスはルダを家まで送り届けた。その家の庭にイングスの小屋もあるのだが、イングスは小屋に戻らず神界へと向かった。






 * * * * * * * * *





「神、ただいま」


「毎度唐突な奴だ、どうした。何か報告か」


「神へ伺いたい事があります」


「申してみよ」


 神は神殿の中庭で花の手入れをしていた。


 神は普段からイングスに対し、暇をいかに潰すかが神の仕事などと言っているが、あながち嘘でもなさそうだ。


「神は人を救いますか」


「その問いも唐突だな。……その答えは何とも言えぬ。救うべき時は救う」


「師匠の息子と弟子は、神を崇拝していたとの事。悪事に手を出さず堅実に生き、しかし無惨な息のお引き取り方を強制されました」


「そうか……ん? お引き取り?」


「神は2人を救っていません。無慈悲深い事になります」


 普段は無機質なイングスの口調も、今日は憂いや苛立ちを纏っている。


 言葉は若干間違っているものの、それでもイングスなりに考え何かを感じ取ろうとしている事に気付き、神はその成長ぶりにほくそ笑む。


「そうだな、その話であれば確かに2人を救ってはいない。だが、それは人間という括りではなく、あくまでそれぞれ個別の話」


「人々の……各自を救うのではない、という事ですか。2人は救うに値しなかったと」


「その通り。妾は人間という種族を導くのだ。大切なのは種族であり、個ではない」


「人々の願いはどのように扱うのですか」


「願い? 妾の意思より尊重すべきだと思うか? 何処のどの個体が飢えに苦しもうとも、寒さに震えようとも、種族の存続と方向性に影響がなければ妾にはどうでも良い」


 イングスは神の答えに満足はしていなかった。

 神は救えなかったのではなく、そもそも救う気がなかったのでもなく、傀儡を通じて手を下しているからだ。


「フン、まあ妾の利益になるような願いがあるならば、聞いてやらん事もないが。人間ごときに何を与え喜ばせても、それが何になる」


 人と共に生きた時間は短いが、イングスは人という種族を気に入っていた。彼らが熱心に神への信仰を捧げる姿を見て、神は満足だろうと誇らしく思っていたくらいだ。


 しかし、それは人やイングスの勝手な思い込みだった。


「人はいつも神に願っています。そうさせたのは神ではないのですか」


「仕向けてはいるが、人間共も妾を拠り所にすれば都合が良いと思っておろう。神のためと理由を付ける事で努力し、神のためと言って気に食わぬ他者と戦う。大義名分がなければ生きていけぬ弱き生物よ」


「神は人の支配をしているとおっしゃいました。人の神であると」


「ああ、支配と言っても、許容範囲内で自由にさせておるだろう。個々に何をしているかなど見てはおらぬ」


「大事なのは全体であり個人ではない。だからと言って始末する必要もないでしょう。矛盾します」


「貴様、何が言いたい。始末だと?」


 神はイングスが自身の予想よりも早く成長している事に驚いていた。


 イングスは、それなりの答えを渡せばそれ以上考えることなく受け入れるはずだった。神もその程度の知恵を授けたつもりだった。


 しかし、目の前のイングスは神の下僕ではなく、まるで人間側にいるかのようだ。おまけに神の言葉1つ1つと自身の認識の違いまで追求しようとしている。


 神はイングスが矛盾という言葉を理解し、使いこなすとは思っていなかった。


「なぜ救うに値しないからと、師匠の息子達の息をお引き取りさせたのですか。支障がある者だったとは思えません」


「息を引き……妾が殺したと言いたいのか? 誰から聞いた」


「質問しているのは私です」


「傀儡の分際で妾に盾突く気か」


「傀儡を作ったから神なのではなく、人の神が傀儡を作ったとおっしゃいました。私は傀儡、あなたは人の神であり、私の神ではありません」


 まさか、人間よりもイングスが先に神に反旗を翻すとは、神自身も考えていない。怒りの表情でイングスを睨みつけ、怒鳴りつけた。


「貴様、妾の傀儡であり、所有物だと忘れてはおるまいな? 貴様の役目は妾の指示命令で人間を監視する事だ!」


「指示なく動けばよいとおっしゃいました。私は人の世界をもっと知りたいのです」


「妾への報告もなしに貴様が知ってどうする。それに最近はその報告も3日に1度程になってきた。指示に対し承知したとも言わぬな」


「考えた上での行動です」


 イングスは神を畏れていない。怒鳴られても怯えず、神の意思だろうと納得できなければ従わないようになっていた。

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