第2話 傀儡のふるさと




 * * * * * * * * *





 大陸の遥か北の海に、羊が浮かんでいるかのような群島がある。


 イングスが作られた当時、最初に降り立ったのは、その1つの島の小さな町だった。


「ねこ、夕暮れですおはようございません」


「にゃんー」


「ねこ。お前を食べてはいけないと教わりました」


「ぐるる……」


「食べられないものには毒があると教わっているので、ねこには毒があるのですか」


 イングスは住民の誰かが猫に話しかけているところを見て、人間は猫を見かけると話しかけるものだと判断してしまった。


 話せば何でもいいというわけではないのだが、当の本人……いや本傀儡は大真面目だ。 


「にゃんー」


「神は私に猫語のを与えました。にゃんとは何でしょう」


「にゃーん」


「猫語は分からないと言っているのに。発言の無責任感が強いですね」


「ぐるるる……」


「羊には毒がないので、皆が好んで食べます」


 神が自身の理想と好みに合わせ作り上げた容姿、高い身長。イングスはすぐに住民の注目を集めるようになった。


 が、注目された原因はそれだけではない。

 神の感覚と本来の人間にややズレがあるのか、イングスはどこかぎこちないのだ。


 しかも名前、出身、年齢、どうやって来たのか、傀儡とバレてしまうため何も答えられない。


 幸いにも記憶喪失と間違われた事で、現れた時に立っていた通りの名前「イングス」と呼ばれ始めたのは1週間前の話だ。


「んむぅ〜」


「ねこ、それではさようなら」


「ぐるる……にゃぁん」


 イングスは芝屋根の家の扉を丁寧に開閉し、家の中に入ると作業中の老人に受領証と書かれた紙を手渡す。


 老人の名はルダ。人形の製作技師であり、イングスの保護者兼師匠だ。

 イングスが来てから1週間と2日。その間、ルダはイングスを自身の家の敷地内に住まわせている。


「師匠、私が戻ってきました」


「おうイングスか、お帰り。この場合はただいま、でいいんだ」


「ただいま。配達を完了しました、次は何を」


「どれ、まだ時間があるのなら、問屋に行ってこの柄の布を頼んでくれ」


「承知しました」


 イングスは素直で努力を惜しまず、決して言い返す事はしない。それどころか喜怒哀楽も見られない。


 幼少期からつらい人生を送ってきたに違いない、ルダはそう思って敢えて尋ねる事はせず、弟子として面倒を見ている。


 イングスがまさかよく出来た傀儡だという考えは、ルダも皆も頭をよぎった事すらなかった。


「お前さん、真面目だけで人形製作は出来んぞ」


「何か足りないものがありますか」


「何もかも足りとらん」


「足りるべきものは習得したつもりです」


 イングスは整った顔を特に歪めるでもなく、真顔のまま首をひねる。ルダはもう慣れたのか、人間らしさがない事を気にしない。


「今のお前さんは、依頼主がどんな思いで人形を受け取るのか、想像できんだろう」


「精巧な出来であれば嬉しいものだと認識しています」


「それが正解とは限らんな。心なき人形にも真剣に向き合い、大切にされるよう願いながら仕上げるんだ。その思いは必ず依頼主に伝わる」


 心なき人形と言われ、イングスは自身の正体を見透かされたのかと驚く。

 ルダは何を勘違いしたのか、「焦る必要はない」と言って作業を止めた。


「人形には思いや魂が宿ると言われる。作り手が込めるか持ち主が込めるかの違いはあるがの」


「神は私を作る時に……」


「ん、何か言ったか?」


「気にしないで下さい」


「……お前さんは真面目で素直だが、気概は見えん。極端な話、ただ上手く作るだけならお前さんでなくてもいい」


「……」


「今のお前さんが成長しようとしているのは理解しておるよ。それに世話すると約束したのは儂だ、見捨てはせん」


 ルダは封筒を机の引き出しから封筒を取り出し、イングスに手渡した。


「この封筒を役所に持っていきなさい。苗字も持たない若者が生きていくには、この世界は厳し過ぎる。自分と向き合うのに、自分が何者でもなければ困るだろう」


「承知しました」


 ルダはイングスを養子にすると決めた。


 一方のイングスは、ルダから渡された封筒を開けもせずに外に出ようとする。ルダは笑って引き留め、中身を確認しろと伝えた。


「普通はその場で察し、中身を確認するものだがな。中身が何か、分かるかい」


「私へのことづけは仕事だと承知しております」


「中身が何か、考えてみてはどうだ。この状況で渡されたものが何か」


「仕事だと考えます」


 イングスの機械的な返事に、ルダは深いため息をついた。


「いいかい、考えるんだ。言われた通りにこなすだけなら、お前さんでなくともいい。風に吹かれたなら動かざるを得ない風車と同じ」


「従順はおろか者……ですか」


「意味を考えるのが人として成長する手段の1つだ。傀儡のようであってはならんという事。考え、自分の意志で行動できるよう、訓練しなさい」


「……」


 イングスは眉を下げ、眉間にわずかなしわを寄せた。ルダはそれを見逃さず、かと言って咎めもしない。


「承知しましたと返事できない、それはお前さんが今、考えている証拠だ。イングス、お前はちゃんと出来るのだよ」


「……承知しました」


「さて、中身は何だと思うかい」


 ルダは優しく微笑みながらイングスに考察を促す。イングスは暫く考えた後、真っすぐな瞳でルダを見つめた。


「布を買うための注文書が入っているのだと推測しました。しかしなぜ注文書を役所に持っていくのでしょう。布屋に渡すべきと考えます」


「……ハァ、全然違うのう」


 ルダはため息をつきながら、イングスの意思を確認しようと書類を指し出した。


 イングスは普段から感情を表に出さない。

 しかしそんなイングスが驚きと微かに笑みを浮かべる。


「これは大変な事です、急いで報告をしなければ」


「報告? 誰にだ」


「神です」


「神だって?」


「はい」


 そう言うと、イングスは律儀に頭を下げてから作業小屋を出て行く。一方のルダはイングスの行動をポカンと口を開け眺めていた。


「あいつ、いつの間に教会に通うようになっていたんだ?」


 ルダは扉から視線を外し、エプロンの糸くずを手で払う。


「神頼みが実ったとでも言うつもりか。そんな事があるのなら、儂はこうなっておらんよ」


 そう言いながら立ち上がり、戸棚から作りかけの大きな人形を取り出したルダは、寂しそうにその頭を撫でた。


「なあ、カーリー」

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