あくる朝。どうも寝起きが悪い。昨日の和食屋での一件が尾を引いている。それにより眠る前に思い詰めることを余儀なくされた。

 私は生まれつき左腕がないわけではない。だが、生まれつき左腕のない者もいれば、見ることのできない者、嗅ぐことのできない者、歩くことのできない者もいる。それらは罪ではない。にも関わらず、多きか少なきか困難を強いられる。

 人はそれを、五体満足者よりもしたたかになるための試練だと言ったり、背景にある理由が元気付けることだけなのに、あなたは強い子だと言ったりする。

 私はそれを聞いて思う。世の中は残酷だと。

 世間は言う。障害は不幸せに等号ではないと言う。何もわからず、ただ、言う。

 私はそれを聞いて思う。やはり、世の中は残酷な現実の押し付けだと。

 障害を本当に、心の底から、不幸せでないと思うなら、わざわざ「障害を持っていることは不幸せであることに紐づかない」なんて言わなくてよい。

 それを言うということは、前提に障害は不幸せの要素を含んでいるという認識がある。

 私はそれが残酷な現実の押し付けだということを、当事者になり、よくよく理解した。

 だが、障害が一概に不幸せだと結びつけることが適切ではない。重要なのは、その人自身の人生にどのような価値や意味が見出されているかを尊重することである。

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