或る日。

 少し前に簡単なライン工のアルバイトを始めた。その帰り道に和食を食べたくなった。

 古めかしい建物で、雰囲気の出ている店を見つけた。少し高くても良いと思った。給料はカバンに持っている。のれんを潜った。窓の外に庭園が見える席についた。風流だ。店員の持ってきたお冷も、心なしか上品に感じる。

 一汁三菜。焼き鮭の定食を頼んだ。家で焼く鮭はまるで平凡であるのに、この店で見ると、随分な贅沢だ。こりゃいい。

 鮭を一切れ口に運び、白ごはんを食べようとした。茶碗を持ち上げて、と思ったが、そうだ、私は左腕を失っていた。虚しくなった。反射でやろうとしたことができないのだ。不意に現実を突きつけられたように感じた。

 行儀は悪いが、どうしようもないので、茶碗は机に置いたままで、顔を茶碗に近づけ、箸で口元まで白ごはんを運んだ。

 半分ぐらい食べた。また一切れの鮭と、茶碗に顔を近づけて白ごはんを食べる。

 あら、行儀がなってないわ。

 ほんと。

 近くの席で女性が二人で話しているのが聞こえた。

 私のことだと思ってどきどきとした。

 いやね、犬みたいよ。

 茶碗が持てないのだもの、犬よ。

 女性二人は言った。

 私のことを言っているに違いない。急に食欲が失せてしまった。席を立ち、お会計をしてもらうことにした。

 お残しよ、お残し。

 犬でもご飯は残さないわ。

 女性二人は言う。

 お会計を済ませて店を出た。片腕で稼いだお金を払って、片腕がないことを馬鹿にされた。

 なんて惨めだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る