第30話『悪魔たち』

 注連縄から煙が漏れていた。

 祠の中に奇妙な灯りが明滅していた。目だけではなく聴覚を凝らしてみると、祠が一定の周波数で音を出していることが肌に伝わってくる。魔を外に出さないようにする結界が拡散していたのだ。杳夜(ようや)は倒れている人物の一人を見て、あっと声を上げた。にれかと一緒に植物市を回っていたときに見た、香水商が奇蹟の水の話をしていた部下の男であったからだ。魔木の蔓を刺されて血まみれで倒れている。一段と大きな木、魔木だと思われる樹木が香水商の身体を穿って体内の血や臓物から出る液体を吸っていることが見て取れて、にれかと杳夜(ようや)は神域を侵した者の末路を見た。此処では、魔木が神木のために仕事をすることがある。魔木が香水商たちを殺してしまったのだ。香水商が身体の中身を食べられている様子を、一緒に来て残された鼠奈(そな)と亜久郎(あくど)が見ていた。亜久郎(あくど)は死体の鞄を漁ることをまだやっている。

 ここからが問題で、木霊(ドラド)に憑依された魔木と香水商の意識が一体化しつつあった。香水商は身体を啜られながら、脳を喰われて喚いていた。


「金、金だ、金をよこせ」


 杳夜(ようや)は金と聞いて、咄嗟に財産としての金銭のことを考えたが、今の香水商の場合は金とは気の巡りのことであったので、香水商を襲った魔木が周囲の生き物の生気を吸う魔物へと姿を変え始めていた。

 にれかは亜久郎(あくど)と鼠奈(そな)を見ると、店に来た二人組の魔だとはっとした。鼠奈(そな)はにれかと杳夜(ようや)に気づいて震える声で喋る。


「亜久郎(あくど)、人が来たよ!」

「雨霧さん、この二人、この前うちの店に来ていた魔です」

「お前、この商人の仲間か」

「なんだよ、あんた」


 杳夜(ようや)は自分が神職であることを明かした。


「俺は雨霧。氷川神社に奉職する神職だ。お前たち、どうしてこんな所にいる? 此処は神職だって限られた日にしか入らない場所だ」

「神職だって? けっ、神社のおまわりさんかよ!」

「なんであんたも此処にいるのよ!」

「彼女も神職として来てもらっているだけだ、質問に答えたらどうだ」

「やなこった」

「お前たちを植物強奪容疑で逮捕する!」


 杳夜(ようや)が鋭く言い放つと、亜久郎(あくど)は捕まるわけにはいかないと言わんばかりの構えになる。魔木が鼠奈(そな)に襲いかかったので、亜久郎(あくど)はその蔓を振り払うと、鼠奈(そな)に命令した。


「鼠奈(そな)、お前は蛇でも出しとけ!」


 鼠奈(そな)は涙目になっていたが、仕方なく動き出す。動き出したと思うと、変な歌を歌いながら奇妙な踊りを踊り出した。


「唇、唇、鼠奈(そな)の唇。性器みたいな鼠奈(そな)の唇」

「魔女め!」


 下品で幼稚な歌詞の歌を聴いて、にれかは短く吐き捨てた。魔女は卑猥な生き物で、決して上品にはなれない生き物なのである。その歌を聴いて鼠奈(そな)が魔女だとにれかは確信した。


「にれかさん、この二人はどういう魔なんです?」

「一度私の店に二人で来ているんです。そのときに薬草を扱う私のことを魔女みたいだと行って出て行った女で、そのときにも魔女だと思ったんですけれど争いが起きていないとみてその時は逃げて出て行くのを見送ったんです。男の方は分かりません」

「魔女は去(い)ねだからね」


 呆れた歌詞の歌に気が抜けそうになりながら、杳夜(ようや)は魔女に対して怒りを保っているにれかを素晴らしいと思っていた。


「そこで歌ってろ!」

「唇、唇」


 鼠奈(そな)が歌って踊ると、色のついた巨大な蛇がゆらっとエーテル状になって現れる。魔を出した鼠奈(そな)の姿に臭い動物の悪臭を感じる。昔の怒りだが、にれか個人は知らない時代を思い出させる、許しがたい時間の匂いがした。過去の怒りを思い起こさせる悪臭だった。にれかは家系的に魔女が嫌いな女系の家に生まれているので、本当は魔女に対して本能的に侮蔑的であり、生理的に関わることができなかった。それは神命(かみ)の言葉が通り道になることを選んだ柱であるにれかの存在が光であることを示していて、魔女のような卑猥な女は光の反対側に常に存在することを意味していた。そういった魔女への嫌気は、魔女を殺したことがある女性の家系に多く発現しやすく、にれかはそう言った血筋の元にあった。

 特徴的な嘔気と苛立ちを感じて、にれかの周りの空気がひりひりと震えていた。


「唇、唇、鼠奈(そな)の唇」


 鼠奈(そな)は相変わらず気持ちが悪くて幼稚な歌を歌っていた。

 魔女は人間の変異種だが、人間の始祖が植物であることとは大違いで、魔女は悪魔の精液から生まれた、悪魔男の精から生まれた女であった。魔人の体液を温めたところから発生した母がいない女、男の染色体から作られる女として卑猥で幼稚で未熟な、男と変わらない女なのである。だから魔女は淫猥で同性だから男に肌を見せる仕事に就く。

 鼠奈(そな)は変な詩に合わせて蛇を操り、にれかの頭上から蛇の噛みつきを炸裂させた。

 にれかは蛇の攻撃を躱しながら、腰に装備していた鞭の柄だけを手に取った。しゃらりと一振りすると、荊鞭で蛇の横面を叩き込む。

 戦いの形勢として、前衛に亜久郎(あくど)が立っていて、亜久郎(あくど)の後ろで鼠奈(そな)が蛇を操っているため、亜久郎(あくど)を退かさないと鼠奈(そな)には近づけない。二人を離すべく、杳夜(ようや)が刀を抜いて、亜久郎(あくど)の前に出た。にれかは亜久郎(あくど)の後方と頭上から襲いかかってくる色蛇を鞭で除けながら、蛇と鼠奈(そな)が消耗することを待ちながら接近の機会を窺っていた。蛇を操っている本体である鼠奈(そな)をどうやって潰したらいいかを考える。立ち位置として、亜久郎(あくど)が鼠奈(そな)の盾になってしまっているからであった。

 亜久郎(あくど)は持っていた酒の中身を飲むと、ふうーっと紫色の炎を噴いた。火が燃え移った魔木が、金切り声を上げる。炎は奇妙な色をしていた。目が痛くなるような炎の芯を中心に孕んで灼熱に燃えている。紫の炎は蛾の鱗粉を思わせる光を放っていた。生理的な嫌悪感を感じる粉と光であった。

 にれかは亜久郎(あくど)が出した紫色の粉を含む炎に、何処となく火を回す気配の蛍光色の匂いを感じ取って、杳夜(ようや)に提案した。


「雨霧さん、水乞いをしましょう!」


 杳夜(ようや)は頷いて、刀を持ったまま雨水を乞う祈りを口の中で呟いた。清水瀧ノ神命(かみ)に力を貸していただけるように祈念すると、心の内に豊穣をもたらす雨を思い描く。短く祈ると、どろりと低く広がっていた黒雲が、急速に厚みを増し始めていた。辺りに湿っぽい匂いが立ちこめる。肌の表面がしっとりと潤いはじめて、にれかは祈りの型を止めた。

 紫色の粉と炎は、近くの木にべったりと付着して火が強い部分から炎が乗り移れる箇所を広げていた。だが空気はにれかと杳夜(ようや)の水乞いによって重く湿っていく。炎が勢いを増すには、空気が濡れすぎていた。周囲の水分が、炎を最小限に抑えるべく亜久郎(あくど)の周りに集まっていく。

 亜久郎(あくど)も腰から剣を抜くと、自分が噴いた紫色の炎をその刃に灯した。杳夜(ようや)は周りを確認して次の行動に出る。

 空気中に水の元となる水素を思い描いて、それを亜久郎(あくど)と亜久郎(あくど)を包み込む紫色の燐光に打ち込んだ。神命(かみ)から分け与えられている神職の力であった。氷川の神職は水を力に戦いの武器を得ることが出来るのである。水を打って炎の軌道を変える試みは通じ、刀と剣を打ち合わせた箇所から亜久郎(あくど)に不利な力の消失が発生する。亜久郎(あくど)はそのまま押されて、柄を持つ手の中にだけ力を込めてその場に立ち止まった。

 にれかは杳夜(ようや)の後方で、鼠奈(そな)が操る色蛇からの攻撃を退けながら杳夜(ようや)の援護に努めた。にれかは杳夜(ようや)と同じように脳裏で水を描きながら、口の中で水を作る声のない言葉を発していた。亜久郎(あくど)の身体が纏う炎の燐光が肌がひりつくほど熱いので、にれかは杳夜(ようや)が亜久郎(あくど)と肉薄する度に杳夜(ようや)の肌が焼けないようにその場で炎に触れて消えるだけの水の欠片を作り出して杳夜(ようや)を守った。短刀はまだ鞘に入れたままだった。にれかは刀を守るために使うので、これは守りのために抜かない刃であった。

 鼠奈(そな)が躍りながら蛇を繰る。鼠奈(そな)が思い描いて身体を運ぶ奇妙な動きと振り付けは、立ち上る炎を表現したものであったが、にれかと杳夜(ようや)はそんなことは気づいていなかった。にれかは鼠奈(そな)の下から上へと変な動きで身体を揺する動作に気色悪さを感じながら、炎が蛇と一体化していく揺らめきを見た。炎の蛇が頭上から襲いかかってくると、杳夜(ようや)は大ぶりに刀を打ち振るって斬撃を飛ばした。蛇の首が斬り落とされる。だが、いくら斬り落としても、炎はまた揺らめいて再び蛇の形を取る。断たれた蛇の首は地面に落下するとべちゃりと広がって毒の泥濘に姿を変える。

 魔木に襲われていた香水商は意識を魔木と共振させていた。魔木は香水商の悪意からも逆に侵略を受け、香水商の血を啜りながら、喉が渇いてしまっている意識のない香水商の悪の心に毒されて血を求めて根を伸ばしていた。毒された魔木が求めるのは、人間の血肉なのである。木霊(ドラド)に憑依された魔木は、悪魔の意識体と共鳴して人間の肉体を捕食しようとする。

 香水商はもうすでに意識を失い、血を抜かれて漂白された紙のように白茶けた肌をしていた。魔木にはその悪意が転移して、自分たちの犯罪行為を見られてしまったからにはにれかと杳夜(ようや)に攻撃を加えなければと思う心が憑依していた。魔木は樹皮が硬化した長い棘のような木片を生成してにれかや杳夜(ようや)に向かって放ち始める。水を求めて魔木の根は脈打っていた。人間の肌の匂いを、根に目覚めた触覚が探し回っている気配がある。

 亜久郎(あくど)は炎に巻かれても無傷であった。亜久郎(あくど)が時折呼気と共に空気に出す紫色の光は炎の勢いを増強する。ぎらぎらとした炎の影が幾重にも重なって、煙ではなく蛍光色の不気味な光をゆらゆらと大気に散らせていた。

 魔木が血に飢えている気配を感じた。にれかは香水商を捕まえている魔木には近づかずに、飛来する木片に発生させた水の欠片を衝突させて、足下に木片を落下させることに努めた。長い棘のように飛来する危険な木片に触れることなく立ち回りながら、水の欠片が足りない分は荊鞭を振って叩き落とす。

 炎に包まれる祠の周りで、にれかは手のひらに祈った。祈りの力で手の中に発生した水の欠片を手の中に宿すと、それを大きく、球体に変えてみせる。


「水を、くれ……」


 魔木の蔓に絡め取られて血を啜られていた香水商が人間の意識で最後にそう口にして儚くなったことが分かった。魔木は香水商の意識を完全に吸い取ってしまうと、その悪意に染まり、樹木の身体を変化させて鋭い枝を生成、投擲してくる。にれかは繰り出される枝の刃を払いながら、足下に散乱している細長い棘状の枝を見た。枝は魔木からの交信である共鳴を受けて震えている。このまま戦いが長引けば、炎に乾いた枝は再び攻撃のために地を舞うことも考えて、にれかは積極に転じた。

 鼠奈(そな)が下品な歌をまだ歌っているので、にれかは鼠奈(そな)を止めに攻撃に出る。


「その品のない歌をやめてもらいましょうか」

「ふん」


 鼠奈(そな)は鼻を鳴らした。にれかのことを侮っているわけではなさそうであったが、不遜な態度である。


「あたしの方が強いもん」

「無駄なお喋りは結構」


 にれかは冷たく言い捨てた。魔女が強気でいられる理由は一つなので、魔女ではなくともにれかはそういう同性が醜いものだと思って生きていたから、軽蔑の念を隠そうともしない。


「男がいると魔女は強気よね」


 転瞬、にれかは荊鞭をしならせて、色蛇の首を獲った。鱗に絡めて蛇の頭部に鞭の先を引っかけると、返しの付いたそれで首を縛るように地面に叩きのめす。激しい土埃を上げて、色蛇が一匹沈む。蛇を斃されて鼠奈(そな)は眉間を青くしたが、にれかの表情は毫も変わらない。その一瞬の隙間に入り込むようにして、本来のにれかと鼠奈(そな)の関係性が、美しいものと、蔑まれてしかるべきものなのだという事実が、事実として介入する。

 せこい戦い方でしか誰かの記憶に残る方法がない鼠奈(そな)は、杳夜(ようや)に背中を預けられているにれかに対して何を思っているのか自身で分からないまま、やられた蛇と此方を顧みない亜久郎(あくど)とを見て、血が出るほど唇を噛みしめている。

 杳夜(ようや)は亜久郎(あくど)の燐光激しい剣と刃を打ち合わせていた。日頃あまり丁寧に扱っていない剣のように見受けられて、杳夜(ようや)が刀を交えると亜久郎(あくど)の剣は何度も刃こぼれした。だが刃こぼれしても燐が刀身に変わる奇妙な剣であったので、亜久郎(あくど)は攻撃の手を止めることはしなかった。刃物の部分に触れていないだけでは、炎の攻撃から逃れることは不可能な剣だった。刃物の部分だけではなく、刃が纏っている炎と燐からも離れないと熱を喰らってしまうので慎重に打ち合う。熱気に触れすぎて肌が徐々に灼かれている気分であった。水の中に飛び込みたくなって、ふと杳夜(ようや)は気が抜けないように呼吸鋭く笑いを吐き捨てていた。


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