第24話『逃亡者』

 にれかが病人全員分の魔毒に対する薬を調合する頃、神社には事情聴取に警察からひとが駆けつけていた。薬が効いて回復した者へは話の聞き取りが始まり、闇市で煙草を購入した者に関しては警察署まで行って話をすることとなった。

 にれかが治療行為に忙しく働き回っていた間に、闇市の関係者が一人逮捕されていた。にれかが植物市に買い物に行っていたときに杳夜(ようや)に連絡があった浦和での植物園に入った泥棒の件も犯人逮捕で解決されたという。

 問題は、泥棒した植物を大宮の植物市の露天で盗品を販売していたことが判明したことであった。盗み出した植物を通常開催の植物市と闇市の両方で販売していた商人が確認され、正規ルートよりも高く売れるからとして転売していた者たちが摘発されていた。

 盗品が植物市で売られていたことには確認が取れていた。転売人が見つかったことと、図らずもその店から植物を購入した人物が買った後にその植物が売りに出されていることはおかしいのではないかと疑って氷川神社の神職に通報してくれたのである。盗品だった植物を購入したという若者は、買った植物を神社に持ち込んでくれた。浦和の植物園に問い合わせると、盗み出された品種の魔木であったので、その若者はそのままその植物を返還したいと申し出たそうであった。


「えっと、あなたがこの魔木を買われた方ですか?」


 魔木を購入した若者はひょろりと背が高い、何処にでもいそうな雰囲気の好青年だった。やさしげではあるが何処となく影のある目元をした、灰色がかった青い目をした青年であった。植物の勉強をしているそうで、問題の魔木は見覚えがあって購入したものだと明かしている。

 薔子が神職と話し終えた若者に声を掛けた。若者は薔子に会釈した。背が低い薔子が見上げなくてはならないくらい身長のある人物だった。杳夜(ようや)と同じくらいの背丈に見える。まだ三十代にはならないであろう爽やかな面差しが、薔子を見下ろした。自分が魔木の購入者である旨を改めて認める。


「はい、私が購入者です。清水と申します」

「清水さん、ですね。詳しいんですね、植物……持ってきてくださってありがとうございます」

「いや、図鑑か何かで見た記憶のある植物だなと思ったら、浦和の植物園で見ていたことがあった魔木だったなんて……店のひとが『植物園でも展示しているような品種』だと言っていたので変だと思ったんですよ。お役に立ててよかったです」


 神社には不安で集まってきた植物市の買い物客たちがぽつりぽつりと姿を見せていた。香水商大村の仲間が一人逮捕され、神社の中で聴取を受けていた。自身も売り物の煙草をに手を出して、毒に中ったので、治療をされながらの聞き取りだった。香水商の店で香水や植物を買った客が、何処から話を聞きつけてきたのか、神社に集まってきていた。皆が皆、手に手に買った植物と香水を持っていた。神社に持っていって返却が出来れば、何かの役に立てるかもしれないと言った意識の元での行動が重なっていた。誰一人代金の返還の話はせず、植木や香水など、購入品の押収と回収が必要になるはずだったものを名乗り出て置いていく。押さえた香水店の屋号から、この店で買い物をした人々に呼びかけがあったようである。店が扱っていた植物は全て本来取引が禁じられている植物の可能性があり、販売されている香水や煙草、香り付きの品物は人体に有害な物質が混入しているかもしれないとして回収を急ぐ。

 植物市は即売会形式だ。顧客リストや販売先は誰なのかの記録はない。


「『売約済み』? これはどういう意味の表示なんだ?」


 香水商と傘下の商売人、部下たちは複数の店を出店しながら、仲間内で植物を内輪で取引もしていたそうであった。植物園から盗み出した植物を、仲間の名前を付けた『売約済み』の札を付けて店先に並べていたと関係者が話していて、売り方の形式が分からない杳夜(ようや)が質問していた。


「仲間内で取引をするときの記号みたいなものです……他の客に買われないようにしておいて、渡したい同業者が来たときに堂々と植物を移動させるために使っていた意味の言葉です」

「それで何軒も店を移動して、植物をたらい回しにして盗品だとばれないようにしていたってわけか……」


 盗品は分けて売り捌いたとの供述を受けて、神社に持ち込まれる植物を一つ一つ品種を確認する作業が始まっていた。まだ盗まれた植物の全てが戻ったわけではなさそうであった。


「闇市の主催が分かりました、香水商店の主人です」


 聴取をしていた神職と警官が闇市の主催者を突き止めると、杳夜(ようや)はその肝心の香水商が今何処にいるのかを苛立ちながら訊いた。


「奴は何処でどうしてるんだ」

「さあ……もう国外かもしれない」


 逮捕されて悄然としている部下の男は俯いてそう呟いただけであった。一緒にいたわけではなかったので確証はなかったが、魔木の取引が目的で開催された闇市であったことが白日の下に曝される。通常開催の植物市と並行開催されていたのは、同じ植物が流通する期間に盗品を移動させるためであったと推測された。植物を持って移動している人物がいても目立たないようにと計らっていたのであろう。

 香水商は植物市の参加者が提出する事業者の住所、埼玉王国国内の住所と連絡先に連絡が行っていたのであるが、電話に誰かが応対することはなく、連絡はつかずじまいだった。何処かへ逃げたのだろうかと、氷川町の人間にはその発想が咄嗟には浮かばない。

 杳夜(ようや)がおかしいことに気づいたのは、数秒が過ぎてからのことであった。変な沈黙が通ったあと、この時期に国外脱出なんておかしいことを理解する。杳夜(ようや)は逮捕された部下の男をじろりと見た。


「お前、香水商は国外に出ていると言ったな? 国外への道は今全て鎖されているはずだ、何でそうなる」

「……関所が閉じる代わりに開く道があると聞いている」


 すると杳夜(ようや)は思い出したように、浦和方面から国外へ抜けられる道が開く箇所を瞬きの狭間に映し出して、弾かれたように呟いていた。


「災害対策用水路に並行している道だな……確かにそこからだったら浦和経由で国外に出る細道と合流できる」


 にれかは香水商が買い物をしていたときの様子を思い出していた。台車を押した部下を連れて、鉢植えの植物――恐らく魔木であろう――それらを大量に購入していた姿を見ていたときは豪快な買い物風景だとしか思っていなかったが、思い返すと背筋が寒くなる。魔木は流通している品種であったとしても、危険なものもたくさんあるのだ。魔木を大量に買い付けて何をしたいのか、商売の話をしていたのを小耳に挟んでいたので営利目的で魔木を利用しようとしているのであろうが、魔木の危険性を理解していなそうな香水商の行動に危険を感じていた。不法取引の魔木、植物園に展示されているような品種は獰猛な樹木も多く、専門家の管理下で展示されているから静かに呼吸をしているだけと言える植物もある。まして何か過ちが起こり、魔木に木霊(ドラド)が憑依でもしたら、その魔木は人間に毒を放つ植物に変貌してしまうのだ。


「もし、国外に逃げようとしているのなら……追わないと危ないですよ」

「魔木を持って移動しているんでしょう? もし事故なんて起きたら」


 香水商を追わないといけないとにれかが促していたとき、神社に征也(ゆきや)が現れた。植物市での盗品騒ぎのことは多侑から聞いていたようである。征也(ゆきや)が神社に来ていたのは、ある連絡を受けてのことであった。逗留先の宿に、征也(ゆきや)が遣っている諜報から連絡があったのだ。


「鮫島さん、何かあったんですか?」

「こんなときに申し訳ない、浦和方面に今から行きたいんです。諜報が、おれの探し人が浦和方面に続く道に大型の車に乗って向かったのを見つけまして」

「何だって!」

「件の道路から国外へ出るつもりだろうね」


 そう言い残してその場から一つ、影のない者の姿が境内へと消えた。

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