第18話『植物病』

 氷川神社に付くと、神社診察所付きの医師に、植物市で感じた奇妙な匂いのことを報告した。


「どんな匂い?」

「うーん……上手く言えないんですけれど、ざらざらした油っぽい鉄分の匂いでした」


 神職の医師はカルテに書き込む手を止める。


「それ、悪魔の匂いだよ。悪魔の体臭」

「悪魔の?」


 付き添いに居てくれている杳夜(ようや)が驚いた声を上げた。


「殆ど分からないけれどね……悪魔の血って汚れていて色濃いからなんだよ。だからそういう異臭なんだよ」


 医師は説明して、にれかへの処置をカルテに書き込んだ。他の医師と連携しながら薬品を用意する。抗生物質と抗菌薬、消炎剤と免疫抑制剤をその場で投与されると、にれかはしばらく横になって点滴を受けることとなった。

 そこへ薔子と征也(ゆきや)が戻ってくる。神社で合流する予定になっていたので、人混みの中に探し人がいないか見て回ってきた征也(ゆきや)はさして収穫はなかった様子だった。怪しい者にも出会わなかったと杳夜(ようや)に報告して、肩を落とす。


「にれかさん、大丈夫ですか?」

「うん、彼女の植物病でね。にれかさんは植物性自己免疫性肺障害なんだよ。買い物が終わる頃に少し喀血しちゃって」

「喀血? 大変じゃないですか!」


 一般的な感覚で慌てた征也(ゆきや)に、杳夜(ようや)はにれかに関しては少量の喀血がよくあることなのだと説明して、買い物を早めに切り上げて戻ってきたと今までの経緯を共有する。


「にれかさんも植物病なんですか……」


 にれかはもう体調が落ち着いていたが、点滴を受けるのに安静にしていないといけなくて、横になりながら微笑んだ。


「そうなんですよ。魔木禍の時に発病してしまって……喀血って聞くと怖いですよね。私は大丈夫なんですけど、不調なときは咳が出たり、軽い肺炎になったりすることもあるんです」


 征也(ゆきや)は植物病と聞いて、道中で薔子から聞いた持病の話を思い出していた。

 薔子の病『植物性斑病』は皮膚に斑状の色素異常が出て、原因不明の熱を出すこともある病である。色素が肌に浮いてこないように薬を服用したり、外用薬を塗る必要がある。身体的には健康なので、にれかの肺障害と同様に誤解を受けやすい病だった。見た目で差別的なことを言われることもあり、健常な世界とは齟齬があって置き去られているような感覚に陥ることがあると薔子は語っていた。にれかの言うように、軽い肺炎にまでなるというのならば、感染性の肺病を疑われてしまうこともあるのではと思うと、にれかの苦労が窺えた。征也(ゆきや)は五体満足な自分のことを顧みたことがなかったので、初めて自分の体の軽さを感じる。不調に陥って初めて気に掛けるくらい、自分に鈍くいられることが尊いことのようだった。にれかや薔子は、そんなふうな自由がままならないこともあるのだろうかと思うと、胸が痛かった。


「それで、今は何の話をしていたんですか?」

「悪魔の匂いの話。にれかさんが、植物市で変な匂いを嗅いで胸が悪くなったって言ってて。俺には分からなかったんだけど……その匂いの特徴が悪魔の匂いだったから驚いてたところ」

「悪魔の匂い……悪魔に匂いなんてあるんですか?」

「あるよ、毒の血の匂い、色濃い毒の匂いだよ……鉱物の毒みたいな匂いがするんだよ」

「おれはそんな匂いは感じなかった……薔子さんはどうですか?」

「私も分からなかった……」

「何処かに悪魔でも潜伏していたのかな……そうだったら問題だね」

「にれかさん、大丈夫? どんな匂いだったんですか?」

「ざらざらした油っぽい鉄分の匂いだったのよ」


 悪の血の匂いの気配を繰り返して、にれかは溜息をついた。体調を崩してしまった自分に何か思いがあるようだった。


「悪魔の匂いは微粒子単位のものだから、普通は気づけないよ。違和感程度でも、そう思えるのは凄いことさ」

「鮫島さんが探しているのは魔女なんだろう? 魔女がいると悪魔が出るって言うけど……嫌な予感がするな」

「探しているひとはいましたか? 私たちも教えてもらった特徴のあるひとはいないか見ていたけれど、見当たりませんでした」

「はい……おれの探し人はいませんでした。怪しい人物もいませんでしたし、宛てが外れたかなって感じです」

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