第16話『故郷の人々』
一方その頃、征也(ゆきや)と薔子も植物市を巡回していた。杳夜(ようや)とにれかとは別の道から、植物市の様子を見て回る。足止めを受けた探し人が徘徊しているかもしれないとみての捜索だった。
征也(ゆきや)は興味深く植物市の様子を眺めながらも、目的を忘れずにすれ違う人々の顔を一人一人検めていた。今のところ、それらしい人物との接触はない。
ふと、にれかが話していた目標のことを思い出しながら、征也(ゆきや)は空を見上げていた。
「征也(ゆきや)さんが探しているひとって、短い髪の女の人なんですよね、黒目がちで、目尻の上がった」
「はい、見ればすぐ分かると思います。枯れ葉みたいな色に短い髪を染めていて、水が腐ったような目の色をしている女です」
「特徴だらけ……植物市には町の人がお客さんにもお店側にも多いから、知らないひとがいたり余所から出店のためにだけ来ているひとがいればすぐ分かるんだけど」
今のところそれらしき人物はいないと言わんばかりに、薔子は肩を下げた。
「どういう女の人なんですか、そのひと」
「人間の変異種と言われる存在です、魔女なんですよ。魔の一族の女で、逃げた魔の一族を離反して出奔していた女なんです。くだらない、奴らの内輪揉めで出て行ったらしい」
「そうなんだ……魔女……」
薔子は先日の嫌な客を思い出して、図らずも表情を曇らせていた。征也(ゆきや)は苦々しげに件の女のことを思い出していたが、故郷だった場所のことに思い馳せるようにして頭を振った。それから、薔子ににれかのことを訊いてみる。
「薔子さん、にれかさんって、何者なんですか?」
「にれかさんですか?」
「何て言うか……にれかさんを見ていると、志を感じるんです。おれの故郷は今、近隣にあった国に病の人々だけ収容されて何も残っていないんですが、彼女のようなひとにもっと早く出会えていたら、夢も価値観とかも、変わったんじゃないかなって思って。薔子さんにとって、にれかさんはどういう方なんですか?」
自分にとってにれかがどういった人物なのか考えて、薔子はうーんと唸った。それから、勤め先の主人とはまた違った感情も持っていることがよく分かる笑顔で回答する。
「にれかさんは、私にとってお姉さんみたいなひとです」
「お姉さんであって、恩のあるひとでもあって。私が仕事が出来るのも、にれかさんのおかげなんです。障碍者雇用で雇って貰えているのも、にれかさんのお店じゃなかったら、こんなに上手くはいっていなかったような気がします」
「私は植物病を患ってから身体が思うように動かせないときとかがあって、普通に仕事なんて考えられなかった身でした。それを、二年前に上野国から来てくれたにれかさんに出会って、治療をきっかけにお話をするようになって。元気になる私の傍にはいつもにれかさんが居てくれました。それで、働けるくらい元気が出てきた頃に、にれかさんが神職を辞めて喫茶店を始めることになって、声を掛けてもらったことがきっかけで一緒に働かせてもらうことにもなって……私が苦手だったひとと関わることに前向きになれたのも、にれかさんがいたから出来たことなんです。それくらい、私にとってにれかさんは重要で、大切な存在なんです」
「いい話ですね、すごく」
「でしょう? にれかさんはとっても素敵なひとなんですよ」
まるで姉を自慢するかのように、薔子は微笑んでいた。征也(ゆきや)は薔子にとってにれかがどういった存在なのかを話を聞くことが出来て、やはりにれかは周りの人々にとって大きな存在なのだなと感じていた。何となくだが、同性から慕われる女性の雰囲気が強く感じられたのである。征也(ゆきや)にとっても、にれかはお姉さんのような空気を感じるところが大きかったので、頷きながら話を聞く。
「でも、元々、接客業なんて無理! って思っていたんですよ。植物性斑病という植物病になってから、人前に出るのも何か言われるんじゃないかって怖くて……にれかさんはそんな時期の私に対して、いつもずっと『薔子ちゃんは必要とされているひとなんだよ』って言ってくれて、それに絆されていったんです」
「そうだったんだ……おれは、薔子さんがお客さんの注文を取ったりお茶やお菓子を運んだりしている姿が似合うと思いましたけど、元々は苦手意識とか強かったんですね?」
「それはもう……でも、苦手だからこそ意識して出来ている部分もあるって言うか。そんなに得意じゃないって思っているから、出来ていることと出来ないことを言葉にして、よりよく出来るように頑張れるのかなって思うんですよね」
「ひとと接するのが苦手なようには見えないですよ」
「そうですか? そうだったら……頑張ってみた甲斐があったのかもしれません。少しは克服できたのかも」
薔子は話をしながら嬉しそうに笑った。
「にれかさんの話を聞いて、魔から身を守るための方法とかを学べたらなと思ったんです」
征也(ゆきや)は並んでいる店が陳列している奇妙な植物を見つめて変な植物が売っていると思いながら、呟いていた。その面持ちは真剣そのものだった。薔子は征也(ゆきや)が言葉を継ぐのを待つ。
「魔から身を守る方法を知りたい。おれの故郷が、何故魔に従ってしまったのかを知りたいと思いました」
「魔に従ってしまった理由をですか?」
「おれは今まで、戦うことは攻撃をして勝つことだとばかりに思っていたんです。だけれど、今は……自分を守ることも攻撃の一つなのではないかと思うようになってきていて」
「ここ数日、氷川神社に何度か伺ったんです。神職の方は祓いや除けと言って、魔と関わらずに取り除くことを主に退魔を行っていると気づいたときに、ふとそう思ったんですよ。表現の違いと言うか」
「確かに……厄除けとか言いますもんね」
「そういう戦い方もあると思ったときに、身を守ることも戦いだなと、攻撃だけ出来ていればいいというものではないなと思うに至ったわけです」
「今おれが追っている者は許されざる者たち――故郷に病をもたらせた魔です。奴らを捕らえたら、おれはもっと魔と戦える力を養いたい。この国に残って、学べたらなと思ってもいるんです」
「え、征也(ゆきや)さん、この国に残られるんですか?」
「今の仕事が終わったら考えるつもりです。魔と戦う方法を身につけて、もう怪我で倒れないようにしたくて」
「でも、怪我は仕方がないことですよ。征也(ゆきや)さんのせいじゃないですから」
「……薔子さんは優しい方ですね。おれは自分が不甲斐ない」
「だって、自分の力ではどうにもできないことってあると思うんです。それと同じですよ」
話ながら、薔子は征也(ゆきや)の横顔が自分自身を決して許してはいない様子を見て取っていた。薔子は征也(ゆきや)が戦闘種族の出身であることを聞いて知っていた。戦いが生業だと、怪我の一つに対してでも全て自己責任にして厳しく向き合うのだろうかと思いながら何かいい言葉はないかと思いあぐねる。征也(ゆきや)の戦いに関する話の口ぶりと、薔子のやさしさに報いる言葉がないと言わんばかりの沈黙に、ぎこちないものを感じる。もしかしたら自分の言葉は、征也(ゆきや)にとっては気休めか慰み程度のものにしかならないのだろうかと思いつつも、薔子は考えていた。
「戦いが生業って、どういう感じなんですか? 普通の私たちと違いますよね」
何を尋ねても頭の悪い質問になりそうだと思いながら、薔子は沈黙を避けるために話の接ぎ穂を探していた。それでも征也(ゆきや)は話に応じて、戦いが生業とは何かと考えてくれている。
「そうですね……雇い主からの指示が全てで、そこからの指令に従って生きていることになります。戦いで死ぬ者も、当然ながらいて、守られている部分は何もありません」
「今回の仕事は、偶々、おれの故郷の人々を収容してくれた国からの命令なので、いつもと少し違います……魔に対して処罰が少し出来たからかもしれません」
薔子は少し考えてから、征也(ゆきや)の故郷で何が起きたのかを、思い切って尋ねてみた。
「征也(ゆきや)さんの故郷って、一体何があったんですか?」
「簡単に言えば、領主様のご一族に、魔が入ってしまったんです」
征也(ゆきや)は重たいことを思い出すときの口調で、顧みた過去を簡潔に言葉にした。
領主一族に魔が入った――征也(ゆきや)曰く、その魔物たち、悪魔たちは自分の信仰を持っている魔物で、その信仰を売り物にして征也(ゆきや)たちが住んでいた集落に入ってきたという。それが後に神命(かみ)を騙る邪教だったと、征也(ゆきや)たち生き残りの住人たちが知ることとなる。
征也(ゆきや)の故郷に入ってきた魔物は、初めは一人の男だった。きっかけというのが、その男が病弱だった領主一族の跡取り息子の病を奇蹟で癒やしたことで領主がその男に心酔してしまったことがきっかけだった。その子の病を癒やした奇蹟が実は幻術だったとは誰も分からず、故郷の土地が侵入者の持ち物と文化に荒らされてしまって毒されて、疫病が出てからようやくおかしいことに気づく住人が現れた。
その男が悪魔だと言うことも分からないまま領主の息子を治した儀式を住人たちもすることとなり、信仰を邪教に見出してしまった故郷の人々は徐々に異変を見せていった。奇妙な歌を歌わせたり降霊術を行わせたりと、そういった儀式の強制の流れで、元々そこに暮らしていた人々はひとが変わったようになってしまった。魔の男は遠方から自分の家族だとする人物や女たちを呼び、領主の決定や判断に儀式や呪術で出した吉凶を以て関与するようになった。
魔物の家族が死ぬと、原因不明の病が出た。死の理由が分からない不可解な死者を何人も出してからようやく、呪術だった宗教の儀式に気づけていったのである。
宗教の魔物一族は征也(ゆきや)が幼い頃から征也(ゆきや)の故郷に寄生して領主を儀式で心酔させて暮らしていた。領主一族と懇ろになった後は、悪魔の男は領主一族に家の娘を嫁がせたりもしていた。征也(ゆきや)が小さい頃から、悪魔の一族は領主一族に癒着していたため、その存在や儀式と信仰に関して、疑問を抱くことが征也(ゆきや)にも大変だった。魔術が解けるには、とても長い時間を要した。征也(ゆきや)は幼い頃、生まれた家族から引き離されて戦闘種族に加わった過去がある。その経緯の中で悪魔の宗教が拠点としていた場所からは離れて暮らすことになった事情が発生したために、征也(ゆきや)が信仰の被害に気づけたのは早いほうだったのだという。
おかしい日々が続いていたが、住人は領主に何も言えなかった。そんなあるとき、魔の宗教に所属していた悪魔と魔女の娘が一人、問題を起こした。問題を起こしたその魔女を魔の一族は無責任に追放し、宗教を畳んでいなくなってしまった。
領主の息子に嫁ぐ予定だったその魔女の、不貞が原因の、征也(ゆきや)からすればくだらない事件だった。結婚が決まっていた魔の女は、その集落で宗教にどっぷりはまっていた別の若い男と不貞の関係にあることが明るみになり、領主が失望したことがきっかけだった。
征也(ゆきや)は宗教の内部抗争だと吐き捨てる。
その女の不貞が明らかになったあとに、魔の一族に不信感を抱き始めた領主の突然死という事件が発生、魔の一族は忽然と姿を消してしまう。集団で逃亡したと見做せる証拠が、一族が寄生して暮らすための土地や建物に残されている。後には幻術だけが残される。
魔の一族は自分たちが責められたり追われたりしないように術だけをそのまま集落と住民にかけていなくなった。魔術から抜け出せる薬は、当然ながら存在しない。術を解く力がある者もいない。狂気から抜け出す方法はなく、今もその邪教に狂わされたまま蛇に祈っている変わり果てた人々と、正気に返った病人だけが残され、被害の少なかった戦闘民族が魔の一族を追うこととなった。だが相討ちになった仲間が殆どで、もう征也(ゆきや)と数名の仲間しか当時の戦闘種族の家族は残っていない。
「そんな恐ろしいことが……」
証拠は震える声で相槌も打てずに話を聞いていた。
征也(ゆきや)は改まって、自分が追っている人物のことを話した。
「おれが追っているのは、その一族が消えるきっかけになった魔の女なんです」
「不貞を働いていたって言う魔女ですか?」
「はい。でも、外部に協力者がいたんです。追放されたとき一人だったから、知らずにやられてしまいました」
前から来た植物の鉢植えを載せたリヤカーを除けながら、征也(ゆきや)はまた何か考える表情になっている。
「ここ数日、考え事が多いです。魔毒とは何なのかを考えるようになりました」
「あとは……故郷の変な夢をみたりして不安になるほど、魔毒って何なのかなって」
「変な夢? どんな内容ですか?」
「知らない男性がおれの方を向いて微笑みながら手を振っている景色を見ている夢です。その男は魔の男ではありませんでしたが、面識のない、知らない人物でした。不穏な笑い方で、おれの方を見つめてて……何か喋っていましたが、その言葉までは分かりませんでした。でも、何となく、遠くへ行ってほしいと願われているような気分で目を醒ましたんです」
「何だか怖いですね……知らないひとから微笑まれながら手を振られるなんて」
「怖いですよね。実際に見たことがある故郷の場所だったので、知らないのはその男のことだけ……何かをおれが伝えられているのかなとも思ったんですけど、分からなかった」
介抱してもらってから思い出せないことがあり、記憶障害のようだとにれかに話してある旨を伝えると、薔子は心配そうに眉根を寄せていた。受けてしまった傷から由来する記憶が曖昧になる脳の揺れは妖術の効力だとにれかから説明を受けていると征也(ゆきや)は言った。
「毒は身体の傷から受けるものですが、思想にかかる毒素って言うのかな……思想にかかる悪しきものも、魔毒に似ていると思うんです」
毒はきっと、考え方にも浸透する――それが征也(ゆきや)が故郷を置いて戦闘種族の一員として魔女を追いながら導いた言葉だった。魔とは何なのか、薔子も征也(ゆきや)の言葉を聞いて、ふと自分の手首を見た。普段から薄い手袋を装着している手の柔肌には、体調が悪いとうっすら斑模様が出て、理由のない瘴熱が出ることがある自分を顧みて、薔子は魔とは何を侵したくてやってくるものなのだろうかと考えてしまった。植物病は魔毒なのである。自分がもっと体調が悪かったときには思うことも出来なかったことを考えるきっかけとなって、薔子は少しばかり考えるのに押し黙った。魔とは、何を奪いたくてやってくるのだろう。
「にれかさんに出会って、疑問だったことがくっきりしてきたんです。故郷の人々の受けた屈辱を晴らせるものなら、おれはどんな知恵でも自分のものにしたいです……壊れたものは、戻らないから」
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