第14話『植物市と魔物の植物』
「植物市は水祭りと並行して開催されるこの国の大きな即売会です」
にれかが植物市について説明をしているのは、征也(ゆきや)が行ってみたいと言い出したからだった。植物市の人混みに、探している対象が紛れていたらと思ったからの発言だった。
埼玉王国の植物市は農家や農園、個人が栽培した植物・薬草・樹木・植物と名の付くものならば何でも即売会形式で販売される市のことをいう。一部、販売流通が許可されている魔木もあって、購入することが可能となっている。扱うための免許があれば商品として数えてもいい品種もあり、そういった植物が手に入る機会でもある。
専門家からの購入が可能な魔木は一部存在していて、植物市ではそういった種類の植物や樹木を取り扱っている店も出店している。
「私は普通に買い物に行きますが……ひと探しも手伝いましょうか?」
一通り植物市について説明を終えると、にれかは自分にも協力できることがないかと征也(ゆきや)に尋ねた。征也(ゆきや)としてはできるだけ此処で出会った人々を巻き込みたくはなかったが、にれかに協力して貰えると思うと心強いと思ってしまっている。
「一緒に探して貰えたら、嬉しいです」
「特徴は何かありますか?」
「薄茶色い、短い髪をしています。色が落ちた葉っぱみたいな……それでいて、淀んだ色の瞳をしている女です」
簡単に探し人の特徴を共有すると、にれかは頷いた。征也(ゆきや)は昨日よりも顔色が戻ってきていて、声にも力強さが復活していた。
「歯痒い状況ではありますが、敵も町を出られない今は次の接近に備えたいと思います」
「私もそれがいいと思います」
征也(ゆきや)はにれかに、この町に心を開いている自分に気がつかないまま、自分が何故励むのかをにれかに話していた。
「今追っている犯罪者は、私の故郷だった場所を荒らした者の一人なんです」
「故郷を?」
「はい、その相手を逮捕することは、おれにとって夢のようなことなんです」
「夢……」
自らの故郷の為にその相手を捕らえることが征也(ゆきや)にとっては夢のようなことだと聞いて、にれかは何か考える表情になる。
「もうおれに故郷はありませんが……そこで残された人々の為になれると思うと、夢を叶えるために奴を追っているとも思えるんです」
「埼玉王国では魔木の平和利用が進んでいると聞いたことがあります。おれにとっては、考えられないことです」
「平和利用と言いますか……魔木の生活利用の方法を確立していると言うのが正しいかもしれませんね」
少し考えてから、にれかは答えた。征也(ゆきや)が知っている埼玉王国の知識と少し違う部分には訂正をしつつ説明して直していく。
二年前、埼玉王国では魔木が大量発生するという魔木禍が起こり、それの終結と共に、残された魔木の処遇に関して議論が起こったのである。後に残った大量の魔木の死骸をどうするべきか、それを考えたときに、平和利用が出来ないかという声が上がった。その一環として、埼玉王国では魔木だった植物を資源として利用している。今は季節柄外から来た旅人が見かけることがないのだろうと思って、にれかは思案していた。
「毒素を抜いた魔木を、秋冬になると薪にしてたくさん使います。それが一番一般的な用途かもしれません」
にれか曰く、一般的な家庭や宿屋、食べ物を扱う店では薪として春夏も魔木だった植物を火にくべて熱源として活用しているとのことだった。だが、そういった利用用途が出来たのはほんの最近のことだと、真千花が付け加える。
「にれかさんがいなかったら、魔木の生活利用は実現しなかったんですよ」
「それは、どういう意味ですか?」
「私に降りた神命(かみ)のお心とお力が、魔木の力を無力化させたんです」
にれかは二年前の魔木禍での出来事を顧みた。埼玉王国の主神・清水瀧ノ神命(かみ)の妻である女神の心と力がにれかにまっすぐに降り注いだのである。当時、植物薬剤師として埼玉王国の魔木禍の支援にやってきたにれかを柱にして、神命(かみ)の力が落ちた。にれかの喉を介して短い言葉を残した神命(かみ)は、その力をにれかの言霊に重ね、にれかに力を残して去って行った。その声の光に魔木は石化し、毒素が抜けて薪として利用できる亡骸を残して禍は終わったのである。石化した魔木が、薪として燃料化できる資源となった。それ以来、魔木だった植物の残りは扱える大きさに切り分けられて、配布されていたり、この国の熱源として使われている。
にれかは当時のいろいろなことを思い出したのか、凜とした目の奥に悲しげな藍色を湛えて呟いていた。自分と神命(かみ)との本当の出会いはそこにあったとして、自分が埼玉王国にやって来た頃の話をした。
「私、元々埼玉王国には植物薬剤師としてやって来ました。魔木禍で支援を求めていたこの土地の話を聞いて、長く暮らしていた上野国から来たんです。志願兵にでもなったみたいな気持ちでいました」
「昔の私は自分の存在や、自分が出来ることに自信がなかった。必要とされている実感がほしくて魔木禍の渦中にあるこの国に来ました。今思うと、とても褒められた理由ではないけれど」
「元々気鬱で、ひとが倒れている場所で救護に当たれる仕事に就けたら『生きていたくない』と思わなくてもよくなるんじゃないかなって思ったことも理由でした」
今のにれかからはとてもそのような暗くて薄い影のようなものは見受けられないので、征也(ゆきや)はひとは見かけによらないものだなと思いながら話を聞いた。にれかが上野国からの移住者なのは聞いていたが、魔木禍の最中に来た理由などに驚嘆しつつ強く頷く。
「植物薬剤師の資格と免許、危険植物を取り扱える免許があるからとはいえ出来ることは限られていて、免許があるから出来ることと実際の実務での応用は上手くいかないこともあって大変だったけれど……必要とされている実感よりも大きな贈りものを、私は神命(かみ)様方からいただいたと思っています」
「それは奇蹟なんかじゃなくて、当たり前に、私は此処にいていいんだという感覚で、私という存在が誰かのためにも生きていたことを教えてくれたんです。それが、私がこの地に導かれたことそのものが示す事実でした」
「神命(かみ)様方は私たち人間のために奇蹟なんて起こしません。励んでいる人間を試したりなんてしない。信じるものでも知るものでもなく、共に生きていたことを後で知ることによって、お側にいることを感じる尊いお心のことを神命(かみ)様というのだと学んだのです」
「確かに……信じるかと言うと、胡散くさい宗教みたいですからね」
「神命(かみ)様と宗教は別物ですよ。あれは奇蹟を売り物にしているだけの人間の営みです」
にれかは自分の用のマグカップにかみつれと薔薇のお茶を淹れると、ほこほこと湯気を立てているそれに口を付けた。
「……魔木に触れてしまってかぶれてしまって、植物病を患ったたくさんの方に出会いました」
征也(ゆきや)の目には映らないたくさんの魔木禍下の患者たちを思い返しながら、にれかは遠い想い出に溜息をつく。治療が功を奏して快方に向かった患者がいる一方で命を落とした患者もいて、上手くいかない、状況が刻々と変わる戦争めいた日々の中、自分もまた植物病にかかることとなり、苦悩した日々――
「あの頃の私は自分のことを大切に出来なかった。その気持ちを捨てて、他の誰かを大切にしていました。神命(かみ)様のお言葉とお心が私を通り過ぎた頃、私は私の目には見えていなかった真実を知りました。他の誰かを大切に出来るのは、ちゃんと自分を大事に出来ている自分がいるからだと、そんな当然のことさえ当時の私は自分自身を見てあげられなかった」
「禍が幕を引いたと言われる頃には、私は私自身のことが好きだと言えるようになっていました。昔の私からしたら、信じがたいことです」
にれかは町の人々から、神命(かみ)の通り道になれたことを我がことのように祝福された話をした。その場に居合わせた神職からだけではなく、にれかが救護や治療に当たったたくさんの人々が、にれかが神命(かみ)の柱になれたことを言祝いで喜んでくれたのである。その時のことが今でも忘れられなくて、昨日のことのように、つい先程終わったことのように思い出すのだと微笑んで、にれかは続けた。
「私がいたから……大量発生にあれほど苦しんだ魔木を捌くことが出来るものに変えられたと表現されて、君が来てくれてよかったと、嬉しいと喜ばれて、私はこの町に、凍えていた心を溶かされたんです」
「それで今は、自分が助けた方々から、目標をもらって過ごしています」
「私は夢をもらったんです」
「夢をですか? 聞いてみたいです」
「目標なんです」
征也(ゆきや)が小さく固唾をのむほどの、気迫がにれかにはあった。
「私の夢は、何か一つでも、植物病を治すことです」
その場の空気が明るくなるような言葉だった。そんな話を真千花と薔子も初めて聞いたのか、興味津々といった雰囲気で話の続きを促す。
「植物病は悪魔や魔女が発生したことで生まれた病です。万能薬なんてないし、それを探しているわけでもないんですけれど、人間の内なる植物が負った傷を癒やしていく方法を見つけて確立が出来たらと思っています。それが私の目標とする植物学なんです」
植物薬剤師として植物病に向き合い、薬を作って魔毒から受けた病と怪我を癒やす薬学を極めていきたいと言葉にして、にれかは力強く微笑んでいた。神命(かみ)を想う者の光と、その光に照らされたことがある者特有の、強い明るさが、にれかの眉宇の辺りに青く漂っていた。
征也(ゆきや)は自分の夢について考えていた。にれかの話を聞いて、自分に、今追っている犯罪者を捕まえること以外に誰かに語れるような目標や夢なんてあっただろうかと思ったのである。そう言った意味では限りなく夢の目標も、ましてや趣味もないことを、征也(ゆきや)は恥ずかしく思った。自分の人生に関して、考えなしだなと思う。
にれかはふと、思い出したように、神命(かみ)の存在と心が触れてから変わったことを呟いた。
「そうそう、神命(かみ)様の柱となって以来、目標? そういうものが心の中で湧いてくることが増えました。神命(かみ)様のためにこうなりたい、じゃないですけれど。昔、神職の雨霧さんが教えてくれたんですよ。神命(かみ)様に出会うと、自分の人生でやりたいことがはっきりしていくって。きっとこの気持ちの変化も、私が人生を賭けてやりたいことを教えてもらってのことだと思ってます」
「喫茶店をしていることは何か関係があるんですか?」
「喫茶店は……考えた末の、一つの結果として経営をしているというのがいいかもしれません」
「目標が目標になったことにもきっかけはいくつもあって、私も薔子ちゃんみたいに植物病で障害者手帳をとっているんですけれど、植物病をきっかけに癒やしと憩いについて考えるようになったんです」
治ることの難しさについて、にれかは話が複雑にならない程度に説明した。
「植物病は完治が難しいですし、何を以て完治とするかもまだあまり決まっていません。それに、病気というのは、寛解して終わり、治ったからもういいというわけにはいきません。治ってからがまた大切と言いますか、治るということはないと思った方がいいと私は考えています」
治った後にもう一度同じことにならないように、また同じ症状を出さないようにすることが大変なのだとにれかは難しい表情になって呟いた。治ると言うことの難しさ、人間は植物の一種であると古代から考えられていることが植物医学での考え方であるので、人間は植物である以上病との共生もしていかないといけないという部分もあると、そう考えるようになったとにれかは言う。
「何て言いますか、病気を病気のままにしておきたくなかったから……自分のことを考えていたら、段々考え事の規模が大きくなっていたみたいです」
考え抜いた果てに出会った意味と答えだと話して、にれかはまたお茶を啜った。
征也(ゆきや)はふと、今はもう地図にない故郷のことを想った。故郷を苦しめた悪魔の残党のことを思い出す。悪魔は人間にただ病と傷を作るだけの存在だが、人間は傷を負ってもその内の植物はひたむきに悪と戦うことを考えている。
自分の故郷を荒らした悪魔は、苦しめた人間の人生など意に介さない。何も思ったりはしないのだ。そういったものとの遭遇を、にれかだったらどう思うかを征也(ゆきや)は聞いてみたくなったが、そのときは言葉が喉の奥につかえて、上手く言い出せなかった。
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