第11話『水祭りと植物市』

 にれかと薔子が征也(ゆきや)を見送ってからしばらくして、入れ替わるように店にやって来たのは真千花だった。


「にれかさーん」

「あら、真千花ちゃん。いらっしゃい」

「かみつれ茶ください」

「ちょっと待っててね」


 にれかが店の調理場に入ると、真千花はそこに一番近い席に陣取った。薔子に挨拶をして、にれかに尋ねる。


「にれかさん、餅つきのご予定は?」

「餅つき?」


 にれかはティーポットを温めながら小さな花を乾燥させた茶葉を用意していた。手元を動かしながら返事をする。


「今年は、お手伝いのために少しは神社にいる予定」

「そうなんだ、薔子ちゃんは?」

「私は餅つきの日は自宅なのー」

「おうちなんだ、私は用事はないんだけど氷川神社に行こうかなって思ってて。にれかさんと薔子ちゃんはどうするのかなって思って」


 餅つきというのは、水祭りに合わせて神職が神社で縁起物の餅を餅米をふかしてつくところからする行事のことである。埼玉王国の各地の社で行われるのであるが、にれかもまだあまり直接の参加はしたことがない催しであった。

 薔子が行かないと聞いて、真千花は肩を落としている。にれかと一緒に行ったところで、にれかには行事の手伝いがあるだろうから実質一人になるだろうと思っていたらしい。それで薔子の都合も聞いたわけであった真千花なのだったが、当てが外れたようだった。つまらなさそうに口先を尖らせる。薔子も薔子で、参加できないことをつまらないと思っていたらしい。小さく溜息をついて、自宅待機の理由を伝える。


「私、今度初めて神社で診察を受けることになって……それの準備があるの。餅つきの次の日なんだ」

「そうなんだ! 薔子ちゃん、神社で診てもらうの?」

「うん、にれかさんの紹介でね。氷川のお医者様もおいでって言ってくださってて」

「薔子ちゃん、最近は具合どうなの? 元気そうには見えるけど」

「うーん、肌と骨の痛みは時々あるけど……まあ、慣れてるから」

「大変だなあ」


 氷川神社には町民の病気や怪我――魔物から受ける魔毒が原因の事象に関する治療を行う神社医師が常駐している。にれかが神職の手伝いをしていたときににれかの上につく立場になっていた人物がこの神職医師だった。


「魔木禍から二年たったけど……まあ、悪くはなっていないかなって言う感じ」


 そう呟いて薔子はまじまじと自分の手を見た。右手に、怪我の古傷のような紫色の傷跡のような痣のような肌色が違う部分が残っている。花びら模様の痣痕が腕全体に点々としているのは薔子が抱えている植物病の症状だ。酷いときには顔にまで変色した痣が現れてしまうのだが、薬の服用で色素の発生と痣の出現を抑えている。木霊(ドラド)に手を噛まれて毒素が骨にまで達してしまった薔子は二年前に埼玉王国を襲った魔木禍の際に植物性斑病を患っていた。

 その病気の治療と投薬のために定期的に浦和の総合病院で診てもらっていたが、今度から氷川神社の医師による診察に切り替わることとなったのである。ちなみに、浦和の総合病院にはにれかもよく出入りをしている。植物薬剤師としての仕事で、時々召喚されることがある場所だった。


 真千花にかみつれ茶を提供すると、にれかはカウンター席の方に戻ってくる。他の客からの注文も一段落したところで、自分用の白湯を用意してそれに口をつけていた。


「今年の水祭りは魔木禍から二年が過ぎた節目の年だから、灯籠を流すのよね」

 思い出したようににれかが言うと、真千花が頷いた。

「氷川の神職の方が灯籠を作ってくださっていたのよ、亡くなられた方もきっと、お喜びになるわ」

「灯籠、綺麗でしょうね」


 神命(かみ)がお渡りになる水辺に灯籠を流して失われた魂への祈りを捧げ、鎮魂の一夜を過ごすこととなる水祭りの話をしながら、にれかは何か思い出すような顔ばかりしている自分に気づいてふと頬に触れていた。思い出せるほど昔と言ってもいい想い出が、自分にも出来ていたのだろうかと、何となしに思う。


「灯籠もいいけど、私はお酒が楽しみ」

「真千花ちゃんったら」


 物思いに耽る表情のにれかを置いておいて、真千花が祭りの時に振る舞われる清酒の話をし始めたので、薔子は笑った。祭りの清酒を皆が楽しみにしていることは事実なのであるが、にれかはくすりと笑う。

 楽しみと言えば、にれかにも楽しみにしている祭りに付随した行事があるので、その話を挙げた。


「私はお酒よりも、植物市が楽しみかな」

「そっかー、植物市。もうそんな季節なんですね」


 植物市は水祭りの期間と並行して三日間ほど開催される催しであった。

 植物農家や農園、個人庭園の運営をしている人々や、規模として庭園ではない植物栽培を生業にしている人々がそれを売りに出す即売会なのである。出店される店の規模は百を超え、扱われている植物も多種多様にわたる。一般的な植物を扱う店では手に入りづらい希少な植物や、ハーブの苗、合法化されている魔木が入手可能な貴重な機会なのであった。

 にれかはこの催しのためにお金を貯めていると言っても過言ではなかった。植物市当日はたくさん買い物をする予定なのである。今から楽しみだと言わんばかりに、声が上気する。


「今年も車を出してもらって、買い物楽しむ予定なのよ」

「にれかさん、免許持ってないんだっけ」

「そうなのよ、こういうとき困るよね。植物市の買い物は重たくって」


 にれかは買ったものを運ぶための車を所有していないので、植物市当日の買い物には杳夜(ようや)に手伝ってもらうことになっていると話した。真千花がその話を聞いてどっと笑う。


「雨霧さん、運転手なんだ。しかも荷物持ち」


 にれかは苦笑いしながら、手伝いを頼んだ経緯を振り返っている。


「雨霧さん、やさしいよね……たくさん買い物はしたいけど植物市は荷物が運べなくてって言ったら、車出しますよって言って貰えて。助かっちゃう」

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