第5話『喫茶・りんごの花』

「申し遅れました。おれは鮫島征也(ゆきや)と言います。助けてくださってありがとうございました」


 店の客がいなくなると、にれかは一旦店を閉めることにした。準備中の札を掛け置いてから、店のテーブルに移動して話をする場を設ける。征也(ゆきや)を寝かせていた場所は店でありにれかの自宅でもある建物の、一階部分に作ってある客間だった。何かがあったときのために、病院の個室のように使えるよう設計がされている部屋だった。にれかは普段二階で暮らしていて、一階部分は店の店舗として活用している。


「へえ、お店だったんですか」


 征也(ゆきや)が間抜けに感心していると、薔子が我がことのように話し出す。


「古民家を改装して作った店舗で、にれかさんが町の皆の憩いの場になるようにって作られたお店なんですよ」

「目が覚めたときに賑やかな……お客さん? の声が聞こえてきて、何だろうって思ったんですよ」

「ちょうどお話が盛り上がっていたのよね」


 にれかが苦笑いをしながら、その場にいる全員分のお茶を用意してくれていた。多侑と征也(ゆきや)の二人で先に席について、話をする。にれかは手を動かしながら話に参加していた。


「私はこの喫茶店の店主です。一年くらい前から此処にお店を出してます。鮫島さんを助けたのは本当に偶然で、薔子ちゃんが見つけてくれたからなんですよ」


 お菓子を出す用意をしながら薔子が頷いていた。征也(ゆきや)は驚いて、自分が何処でどう倒れていたのか思い出そうとした。だが思い出すよりも先に、薔子の方が征也(ゆきや)を見つけた状況のことを話してくれた。


「にれかさんと一緒に、にれかさんの薬草ハウスに行っていたんです。そしたら倒れているひとを見つけて」

「薬草ハウス……?」


 征也(ゆきや)が首をかしげたところで、薔子が説明した。


「お店で使う薬草とか香草とか……植物を育てているビニールハウスがあるんですよ」

「元々私は気づいていなくて、一緒にハウスを出たところで、薔子ちゃんが倒れている鮫島さんに気づいたんです」

「そうだったのか……」


 征也(ゆきや)は苦い表情になった。


「それで、その場で応急処置をしながら運んでくれるひとを呼んでもらったんです。来てくれたのが何でも屋さんの多侑くんで」


 そこで初めて多侑が照れくさそうに笑った。


「おれは町の何でも屋だから、頼まれたことはやるんです」

「私たちじゃちょっと、運べそうになかったから」


 にれかはそこで改めて、薔子のことに触れた。


「薔子ちゃんは、うちで働いてくれてて。お店で使う植物の世話とかまでしてくれるんですよ」

「障碍者雇用なんです」

「そう、なんですか……」


 薔子にそう言った病の影めいた、障害者手帳を取得しないといけないようなものは見えなかったので、征也(ゆきや)はきょとんとしながら相槌を打った。


「ところで、鮫島さんはどうしてあんなところに倒れていたんですか?」


 にれかがお茶を用意すると、今度は薔子が代わって給仕をした。征也(ゆきや)に聞かねばならない話になったので、席に着く。にれかは結わいていた長い髪の後れ毛を耳元で指先に掛けると、それをしゅるりと耳に掛けた。

 征也(ゆきや)は話をしていいものかと少し考える。そう思う間にも、にれかは征也(ゆきや)を案ずるように征也(ゆきや)が倒れていた場所がどういうところだったのかを説明してくれた。


「鮫島さんが倒れていた場所は町の郊外で、畑などが多いあまりひとが通らない場所です。周りも植え込みだらけで進むには不向きだと思うのですが、何があったんですか?」

「受けていた怪我も明らかに魔物から受ける毒でした。運んでもらってきてからしばらく魘されていましたし、その状態異常も魔毒によるものだと思いますが……」

「魔毒……魔物の毒が分かるのですか?」


 征也(ゆきや)は魔物毒の話をされて素直に驚いていた。にれかのことを何者なのだろうかと思う光が目の奥に灯る。思えばこの応急処置もにれかがしてくれたと聞いているが、此処は病院などではないのだ。埼玉王国は魔木禍ののち住人の意識が変わったと言われている国であるが、どうなのだろう。魔木や魔物に詳しい女性なのだろうかと漠然とした解釈をして、征也(ゆきや)は訊き返していた。


「ええ、分かります。元々そういうことに詳しかったもので」

「にれかさんは神職の下で医療行為のために奉職されていたこともあるんですよ」

「神職の下で? すごい」


 魔物――ひとならざる植物や人物のことを指す言葉であるが、それらと戦うために日々神命(かみ)の元で仕事をしている人々のことを神職という。神社に勤めていて、何もないときは国を鎮める神事を行い、有事の際には魔物と戦い人間を守ることを仕事としている者たち。にれかはそんな場所で仕事をしていたことがあると多侑から説明されて、昔の話と言わんばかりに今の話をする。


「今は喫茶店経営ですけれどね。そういう場所で話せないこととかを、たまに此処で、私に話してくれるお客さんとかがいるんですよ。それが嬉しくて」

「おれは、ある戦闘種族の出身で、雇われて犯罪者を追っていたんです」


 征也(ゆきや)は魔物のことに見識があるにれかにならば、そのにれかに近しい人々にならば話してみてもいいかもしれないと思い、まず自分の出自と此処で倒れるきっかけとなった話をした。


「追っていた犯罪者は二人いて、その二人を追い詰めていたつもりでした。追手として任務中だったんです」


 征也(ゆきや)は何か思い出そうとする表情になって、そこまでで言葉を失った。対象に接近したときのことだったのだ。攻撃に遭って倒れてしまい、そこまでしか覚えていない。思い出そうとすると頭痛がして、頭の中に靄のような霧のような、曖昧な目隠しがされたような心地になる。


「追い詰めていたときに攻撃に遭いました。変な色の光を見て、それから立っていられなくなり、激しい吐き気がして……覚えているのが此処までなんです」

「変な色の光って……にれかさんもそんなようなこと言ってましたよね?」


 薔子が茶菓子の団子を用意しながら何か思い出して話に加わる。にれかは尖った顎に指先を添えて、何か考えるような顔つきになった。


「うん……変な色の、確か、薄紫色の光だったわ」

「私も変な色の光を見て、ビニールハウスから出てきたんですよ。それで、薔子ちゃんも一緒に外に出てきて」

「それでおれが倒れているのを見つけたと」

「そうですそうです」


 征也(ゆきや)はうーんと唸って、思い出そうとするが、頭の奥で何かを禁じてでもいるかのように思い出せることは何もなかった。そのことを素直ににれかに伝える。


「その後のことを思い出そうとすると、頭の奥が痛くなって思い出せないんですよ」

「そうですか、思い出せないのなら、無理に思い出そうとしなくてもいいんですよ。魔物の毒の影響もあるだろうし、少しずつ解毒していければいいと思います」

「記憶障害? みたいで嫌だなって思うんですけど」

「一時的なものだといいですけれどね」


 薔子が皆の分の団子をテーブルに置いて席に着いた。征也(ゆきや)は熱いお茶が少し冷めたところで初めて口をつけた。ほんのりと甘みが、飲んだ後の後味に強く感じられる甘いお茶だった。


「店で使う薬草の話をされていましたが、お茶とかもそうなんですか?」

「ええ、お茶が一番多いですね。お店で出しているお茶はビニールハウスで育てている薬草から作っているものもたくさんあります」

「美味しいです」

「よかった。免疫系が活性化する調合にしてあるんですよ」


 にれか曰く、今出しているお茶は征也(ゆきや)のために調合したブレンドのお茶だという。魔物毒を受けた肉体にはとても甘く感じられるそうで、征也(ゆきや)は一杯分を干すと、もう一杯もらうことにするくらい美味に感じられたのだった。

 全員が飲み物を干すくらいの時間が過ぎた頃、にれかがふと時計を見て征也(ゆきや)に提案した。


「そろそろ傷の包帯を変えたいと思うのですけれど、いいですか?」

「あ、はい。お願いします」


 征也(ゆきや)が頼むと、にれかは店の奥から医療行為のための道具が入った箱を持ってきた。たーブルの上にそれを置いて、征也(ゆきや)の隣に椅子を持ってくる。征也(ゆきや)が着ていた上着を脱ぐと、にれかは征也(ゆきや)の腕に巻いていた包帯を解いた。征也(ゆきや)が転んだときにつけた傷ではない怪我があり、その一番大きな処置をした箇所だった。


「傷を見ますね」


 にれかは消毒を済ませた手で包帯を捨てると、傷が痛まないようにそっとガーゼを剥がした。見ると、血がどす黒く変色していて、奇妙に穿たれたような傷痕はかろうじて化膿していないと言った具合だった。にれかは薬草を主成分とした消毒液で傷口を拭いてやると、薬に浸したガーゼを傷にあてがって、また包帯を巻いてやった。血の変色と色の加減から見て、明らかに魔物から受けた魔毒による傷だった。先程の朗らかなやりとりの時とは別人のような凜とした顔つきで、淡々と処置をしていく。


「荊さんは神職の下で何をなさっていたんですか?」


 明らかににれかがただの喫茶店経営者には見えないので、征也(ゆきや)は尋ねていた。目の光というか、女性として只者ではない覇気を感じられる指先と集中の表情に、神経がひりつくものを感じられる。そんな征也(ゆきや)の心情を知らないにれかは、苦笑いしているだけだった。


「本当は喫茶店の店主じゃなくて、こういうことが本業だったんですよ」

「医療従事者だったんですか?」

「そういう感じです」


 にれかは征也(ゆきや)が転んだ際につけた小さな傷に当ててくれていた紙製の絆創膏も一つ一つ痛くないように剥がして、今一度消毒をしてくれた。ただ、征也(ゆきや)が知っているような薬品で傷を消毒するのではなく、薬草を煎じて作ったような薬水で傷を丁寧に濯ぎ、それから何か専用の消毒液で傷を拭いてくれているようだった。血が出るほど怪我をしていた箇所と、擦り剝いて出血してしまった箇所があったのも拘わらず、痛みのない処置だった。


「植物薬剤師なんです。今の処置は傷に効く薬草と香草をみて、それを煎じた薬水で傷の痛みを緩和しているやり方なんですよ」

「植物薬剤師? そんな仕事があるんですか」

 征也(ゆきや)は初めて聞く職業に感嘆してぽかんとしていた。

「植物の効果効能から薬を導き、時に治療もする。そんな仕事です」


 短く説明して、にれかは征也(ゆきや)の傷の上から再び包帯を巻いている。包帯の切った部分に切り込みを入れてきつく結ぶと、処置のために出した道具や医薬品を片付ける。作業をしながら、薔子に指示を出す。


「薔子ちゃん、椿のお香を焚いて貰えるかしら」

「はーい」

「椿のお香を?」


 征也(ゆきや)がこれまたどうして香を焚くのかと言った顔になると、にれかはさらりと説明をしてくれた。


「椿のお香は魔毒の瘴気と瘴熱からくる身体的精神的な痺れによく効くんですよ」



 しばらくすると、店の中に青い葉の強い香りが漂い始めた。何処となく辛味があり、それでいて瑞々しい匂いが部屋の中にゆらりゆらりと薫り出す。

 出された甘茶が美味しくて、二杯もお代わりをもらっていた征也(ゆきや)は、心の中で蟠っていた強張るものがほろほろと崩れていくことを感じ取っていた。心の中から重たいものが無くなったような、そんな気持ちだった。自分は仕事をし損じてしまって此処にいるというのに、身体から力が抜けていく。処置をしてもらって、出血した箇所に薬液のしみたガーゼを当ててもらったからか、身体の芯に抜けるような涼やかなものがあった。とても長く眠っていたような感覚に陥りながら、夢の中で見ていた景色を、寂しさの中に思い出していた。


「おれ、どれくらい眠っていましたか?」

「四時間くらい寝てましたよ」


 多侑が腕時計を見て確かめると答えてくれる。征也(ゆきや)はもっと長い時間眠りに落ちていたような感覚だったので、驚きを示していた。


「もっと長い時間寝ちゃっていたかと思ってました」

「多侑くんが時々様子を見てくれてて、大丈夫だと思ったから病院に連絡したら私が処置を任されたんですよね」

「征也(ゆきや)さんが倒れていたところに、居合わせてよかったですよ」

 薔子がほっと息をつくと、征也(ゆきや)は申し訳なさそうに頭を掻いた。

「仕事中だったんですよね? ご迷惑を……」

「そんなこと言わなくていいんです。魔毒だなんて恐ろしいんですから」

「それはそうですけれど」

「そうですよ、ビニールハウスにはまた行けばいいんですから」

「ごめんください、にれかさんはいらっしゃいますか?」

 そこへ、店を準備中にしてあるにも拘わらずに入ってくる声があった。

「あら」


 にれかが声を顧みると、そこには着古した白い法衣に袴を着けた背の高い若者の姿がある。


「こんにちは、雨霧さん」


 にれかが席を立ってその青年を迎えた。短い黒髪を刈り上げた、精悍な顔立ちの青年は客のいない店の中を見て、普段は見ない顔の征也(ゆきや)を見つけると軽く会釈をした。

 神職の雨霧杳夜(あまぎりようや)である。氷川神社の神職の一人で、普段は参拝客やお祓いを受けに来る人々の相手をするのが仕事の若者だった。歳はにれかと同じくらいで、征也(ゆきや)よりも年上のように見受けられた。出で立ちからして明らかに神社から来た人物の登場に征也(ゆきや)は何となく居住まいを正していた。にれかが杳夜(ようや)の来訪の理由を征也(ゆきや)に告げる。


「氷川神社に連絡しておいたんですよ、魔毒を受けた方を保護しているって」

「そうだったんですか」

「にれかさん、いつもありがとうございます」

「いいえ、私は通りがかっただけみたいなものですから」


 杳夜(ようや)はにれかに丁寧に礼を伝えると、征也(ゆきや)の方を顧みた。


「神職の雨霧と言います。お名前を伺ってもよろしいですか?」

「はい。鮫島征也(ゆきや)と言います」


 征也(ゆきや)を保護して店に運び込んだ後、にれかが氷川神社に電話をしておいてくれていた。そのことが伝わっていたため、誰かが神社から来てくれることになっていたのである。神社は魔物が出たときに神職が退治をしたり祓ったりしてくれる機関のため、魔物が関わった出来事があると町民は連携する。

 にれかは征也(ゆきや)の状態と、保護してから数時間の様子などを杳夜(ようや)に報告していた。


「怪我の具合は大丈夫そうです。さっき包帯を替えたところで、あとはお薬を出しておこうかなといった感じで」

「保護してからずっと眠られていたんですけれど、少し前に目を醒まされて。それでお茶を飲みながら話を聞いていたんです」

「そうですか、よかったよかった」


 にれかから話を聞いた杳夜(ようや)は安心したようだった。魔毒を受けて倒れていた旅人を保護したと聞いてやって来たが、処置を受けたあとの具合が良さそうで、何度も頷いてくれている。


「にれかさん、お店は何時から開けます?」

「うーん、まだ開けないかな。表の札はそのままにしておいてね」


 にれかが征也(ゆきや)の介抱と処置をしていた間に店の手伝いをしてくれていた女の子が一人、杳夜(ようや)が店に入ったところで声を掛けてくる。綺堂真千花(きどうまちか)と言う名の、薔子と同じ歳の女の子だった。にれかを姉のように慕っている女の子で、暇になると遊びにやってくるのである。今日は暇だったから来ていたのだが、にれかが怪我人の介抱をすることとなって、薔子に付き合って店番をしていたのだった。その真千花が心配そうに征也(ゆきや)を見つめていたので、征也(ゆきや)は小さく一礼しておいた。

 にれかは杳夜(ようや)に、征也(ゆきや)が犯罪者の追手を任されている戦闘種族出身者であることをさりげなく共有して、任務中だと言うことも伝えておいた。杳夜(ようや)は頷くと、


「にれかさんのビニールハウスの辺りで見つけたんですよね? あの辺りはまだ魔物が夜に通るみたいだからね」

「危ないですよね、他にも畑を持っている方がいるでしょう? 襲われでもしたら大変です」

「注意喚起をしておくかな、魔物が出ないように魔除けも必要だ」

「ありがとうございます」

「いや、此方こそ……世話になってばかりで」


 杳夜(ようや)がぺこりと頭を下げたところで、真千花が提案した。


「あの、町長さんにも報告した方がいいんじゃないでしょうか?」

「あ、それはちょっと……」


 任務中と言うこともあって事を荒げたくない征也(ゆきや)が言い淀む。それから言い方を変えて真千花に伝えた。


「すぐにこの町を発つだろうから、それは大丈夫です」


 にれかが杳夜(ようや)の分の椅子を用意してくると、杳夜(ようや)もそれに腰掛けて話に加わった。

 にれかが薔子と真千花に仕事を頼むと二人は店舗の方へ戻り、多侑もにれかに言われて宿を取る支度を始めた。残ったにれかと杳夜(ようや)で、征也(ゆきや)の話を聞く。


「すみません、町長さんへの報告は遠慮させてください。任務中なもので、おれが倒れたことだけで事を荒げたくはないんです」

「そうですよね、報告は上げませんから、心配しないでくださいね」


 征也(ゆきや)は申し訳なさそうに頭を下げる。にれかは心配は当然だと言わんばかりに、町長への報告はないと改めて否定した。征也(ゆきや)は改まって、杳夜(ようや)に、自分が今此処にいる経緯を話していた。


「逃亡中の宗教犯罪者を追っているんですか……」

「はい。他の方には内密に願います」

「分かりました、必要以上には話したりしません」


 征也(ゆきや)の任務とその内容、この町にいる理由については深く話したり、他の住人の前では言わないことをにれかも承諾した。それから征也(ゆきや)の今後について、話が及ぶ。怪我の経過もあって、にれかは征也(ゆきや)に氷川町への逗留を勧めた。


「鮫島さんの怪我の具合も心配ですし、この町にしばらく滞在してはいかがでしょう?」

「俺もそれを勧めます。それに」


 杳夜(ようや)もにれかと同じ意見だった。征也(ゆきや)は長くこの町に残ってしまうことを渋るような表情になるが、思いあぐねた様子だった。決めかねるというか、怪我の経過と具合を考えると確かにこの町に逗留することはいい案であるのだが、追っている相手の動きを考えるとすぐにそうすると答えられなかったのである。もし自分がこの町で怪我が癒えるまで待つとしたら、その間に自分が追っている対象である犯罪者が遠ざかって逃げてしまうことだって考えられる。にれかが親切で言っていてくれていることは察しながら、征也(ゆきや)はどうしたらいいものか考えていた。

 杳夜(ようや)はにれかと同じことを勧めてくれたが、その理由は単純に怪我の具合がまだよくなくて征也(ゆきや)が万全の状態ではないこととは別に説明すべき理由があると言わんばかりだった。


「もうすぐ水祭りがあるから、今日の昼十二時を以て関所が鎖されているんです」

「水祭り?」


 にれかは水祭りのことを征也(ゆきや)に伝えるのは神職である杳夜(ようや)の仕事として話をしている二人を見つめている。


「氷川神社で祭典がある、埼玉王国の祭りで神事です。この期間は道路も鉄道もひとの出入りを制限して、神々様のお渡りを待つんですよ」

「そうなんですか、神事ならば仕方がないですね……」


 征也(ゆきや)の眉宇のあたりに、何か尊いものを信じる光のようなものが薄ぼんやりと浮かんで見えるようだった。


「国外へ続く道は塞がれますし、大宮駅から出ている鉄道も南浦和までで止まります。そういう期間で、神職の潔斎の期間に市民町民も合わせて過ごすんです」


 移動制限がかかることなども話しながら、征也(ゆきや)はうーんと唸った。


「神事で大切な行事ならば仕方がありません……しばらく、その期間が明けるまで、この町に留まらせていただきます」



「ご出身はどちらなんですか? 戦闘種族と聞いていますが……」

「長野です、長野王国の生まれで、その山間部一帯を住まいにしている一族です」


 そこまで言って、征也(ゆきや)は一度言葉を切った。


「でも、もう……私の家族はいません。一族は絶え、今は残った戦闘種族の出身者同士で集まって仕事をしています」

「成程、鮫島家というのは聞いたことがあります。地方領主の守護をしている戦闘種族でしたよね」

「! 詳しいんですね」

「地方領主と関係している大名家の名前は何となく……驚きました」

「領主様の一家に仇成した者たちを追っています」


 征也(ゆきや)は店の片隅で仕事を終えてお喋りをしている薔子と真千花と多侑の方を窺い見ながら、自分が追っている犯罪者のことを少し話してくれた。


「魔女とその協力者を追いかけているんです。長野のある土地に現れて、領主様一家に取り入って、長く住み着き宗教を起こした魔の一族、そこから逃げた女を捜しています」


 征也(ゆきや)の話をそこまで聞いて、杳夜(ようや)は顎に手を添えて何か考えている者特有の表情になる。祭りの潔斎の期間に氷川町へ入った征也(ゆきや)は自分の状況のみを考えて少し悲観しているようだったが、杳夜(ようや)からするとあることが言えたのである。それは相手の方も状況は同じだと言うことだった。


「水祭りのことを話しましたよね。我々神職の潔斎の期間と、神々のお渡りがある期間に移動制限がかかり国外へは出られなくなるのですが……」

「征也(ゆきや)さんが追っているその賊というのも、同じ状況なのではないでしょうか? 国外に入っていることは確かなのですか?」

「はい、奴らはもう埼玉王国に入っています。追い詰めた際に関所を越えて、すぐ近くまで行けたときがあったんです……逃がしてしまったんですが」

「そうだとしたら、国外に出られないのはそいつらも同じことですよ。足止めを喰らって、何処かに潜伏しているかもしれません」

「そうだとしたら……また捕まえるために近くに行けるかもしれないですね」

「注意した方がいい、追っているのが魔女ならば、魔女は禍を連れてくるから」

「……嫌な感じがしますね」

「にれかさんもそう思う?」

「ええ、魔女は悪魔とは違うけれども、悪魔とは違った厄介さを持っているから」

「にれかさんは魔女退治専門みたいなものだから、知恵を借りるかもしれないな」

「物騒ですこと」

「にれかさん、宿が取れましたよ」

「ありがとう、多侑君」

「二カ所取ったんですけど……征也(ゆきや)さん、どっちがいいですか? 一つ目の宿が此処から近くて……」


 征也(ゆきや)の逗留先になる宿を取ってくれた多侑と征也(ゆきや)が話し合いをしている傍ら、真千花がにれかに言われてペンを手にメモを取っている。書いていたのはにれかの店の住所と電話番号、多侑の経営する何でも屋の住所と電話番号だった。その紙を征也(ゆきや)に渡して、真千花は微笑んだ。


「此処の電話番号と住所です。あと、多侑君の連絡先も書いておきました。よかったら」

「ありがとうございます」


 親切な行為に深々と頭を下げて、征也(ゆきや)は礼を言った。



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