第3話『倒れた旅人』

 ビニールハウスから出てきたのは二人の女性だった。一人は背の高い、長い三つ編みを編み込んだマガレイトに髪を結わいた凜とした目の女性だった。もう一人は小柄で、肩よりも少し長い丈の髪をふわふわに巻いた少女である。氷川町の神社の近くにある喫茶店『りんごの花』の店主である荊にれかと、その店の従業員である青山薔子(あおやましょうこ)だった。


「外が騒がしいわね?」


 にれかがハウスの扉から出てくると、後に続いて薔子も荷物を持って出てきた。喫茶店で提供するお茶の材料になる薬草と茶葉を用意していたところであった。


「にれかさん、どうしたんですか?」

「うん……変な色の光が見えたのよ、気のせいかしら」


 店で使う植物や薬草の栽培をしているビニールハウスに来ていたにれかと薔子は、訝しむように辺りを見回した。二人組が逃げたので誰の気配もない草の植え込みの方を見やって、はてなと首をかしげる。逃亡者はが手のひらの汗腺から出した奇妙な光がビニールハウスの素材を透かして通ってしまったことを知らないが、にれかは何となく重く感じた眉間を押さえて小さく息をついた。騒がしい気がして出てきただけのにれかだったので、また作業のためにハウスに戻ろうと踵を巡らせる。

 そのとき、何かに気づいた薔子がにれかの袖を引いた。


「にれかさん、あれ、ひとでしょうか……?」

「え……」


 にれかが視線を巡らせると、薔子が草陰になっている植え込みの一部を指さして見せた。そこにうつ伏して倒れている人影を見つけて、にれかはあっと声を上げた。ひとが倒れている。にれかと薔子は顔を見合わせて、持っていた荷物を置き、薬草の収穫の作業を一旦やめることにした。


「誰か倒れてる」


 殆ど言葉と同時に、にれかはビニールハウスの近くに備えられている水道の蛇口をひねって手を清潔にしていた。ハンカチで水気を拭くと、そのまま倒れている人物に近づく。薔子もそれに倣って手を洗うと、にれかに続いた。助けるための処置に体が動いている。

 倒れていたのは征也(ゆきや)だった。妙な色をした光を顔に受けて目がおかしくなり、そのまま吐き気と目眩が酷くなって失神に至った姿だった。悲しそうに眼を閉じたまま、眠っているようでいて苦し気に睫毛を伏せている。


「聞こえますか、名前は言えます?」


 にれかは征也(ゆきや)の身体には触れずに、揺すったり触ったりはせずに鋭く聞き取りやすい声で尋ねた。しかし征也(ゆきや)の昏睡は深く、にれかの問いかけに応じる気配はない。薔子もにれかと同じように自分の声が聞こえているか確かめる行為を取ったが、征也(ゆきや)に反応はなかった。にれかは呼びかけることを諦めて、征也(ゆきや)の袖をまくると、そっと脈を確認する。身体に目立った外傷はないが、倒れたときに擦り剝いたのか、頬からうっすらと出血があった。それ以外に怪我らしい怪我はないと見て、にれかは日頃持ち歩いている応急処置的な治療が可能な医療用品の入った鞄を開けた。


「ひとを呼びましょう、此処では治療は難しいわ」

「にれかさん、応急処置をするんですか?」

「うん、怪我もしているし、魔毒かもしれないから」


 征也(ゆきや)の身体が微かに痙攣を始めたので、にれかは持っていた水筒から薬湯を小さなカップに注いで征也(ゆきや)の口元へ運んでやった。鞄の中に入っていた魔毒に効く薬草を紙とビニールの包みから取り出して、飲ませる用意をする。怜悧な指先が淡々と処置に動いている。


「私、誰か呼んできます」

「そうしてくれる? 彼を運んでくれそうなひとを呼んできて」

「多侑(たすく)さんでいいですか?」

「うん、お願いね」


 薔子が一足先に町へ戻ると、にれかはその間に征也(ゆきや)にその場で施せる応急処置をした。できうる限りの介抱をして身体を運んでくれる町の者を待つ。応急処置は出来たのだが、のにれかの見立てでは魔物から受けた毒の可能性があったため、一旦にれかの店に運んで、安静にしてから神職を呼ぶこととなった。


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