夏に心を寄せて
洞貝 渉
夏に心を寄せて
暑い。
むわりとした不快な暑さの中、耳障りな音がまるで絶叫するかのように鳴り響いている。
二人の姿はどこにもない。
ただただ、そこには『夏』を形作る要素だけがあった。
*
季節というものが消滅したのが今からだいたい百年位前のこと。
今の地球上には死ぬほど寒いか死ぬほど暑い地域があるだけで、ほとんどの人間は地下に居住を移している。
祖父母がギリギリ地上や季節を体験したことがある程度なので、今の世代は見たことも触れたこともない地上や季節に愛着を持ってはいないが、一種のノスタルジー的な記号としては人気があった。
私はこの季節に関するAIの動画が好きでよくスマホで視聴している。
現存する地上に関する歴史的資料を大量にAIに食わせて、仮に現代も地上が活動可能区域であり季節が存在していた場合の今日の地上の風景、というものが延々と垂れ流されているだけの生成動画なのだけれども、これが地味に惹きつけられる。
私に割り当てられている部屋は電波が悪い。
なので、毎日少し早めに教室に入り二人が来る前にこのAI動画を視聴するのが私の日課だった。
今日生成された地上の気温は最高37度。酷暑が続き、風はドライヤーの温風のように熱く、動物はぐったりとしている中、蝉だけが元気いっぱいにサイレンのような不快音を響かせている。
どっと汗が吹き出し、からみつく熱気に息が苦しくなった。立体音響を超えリアルに360度からくる音攻めに、私は慌ててスマホを操作し、共感機能をオフにする。
もしも百年前、隕石に激突され地軸がズレて地球の環境が激変していなかったとしても、 あんな環境では遅かれ早かれみんな地下に避難していたことだろう。
私は改めてスマホ画面を覗き込む。
映像だけなら、『夏』はこんなにも魅力的に見えるのに。
風に揺られてきらきらと照り返す木の葉と、存在感が強い向日葵の大ぶりな花、それから不思議な透明感のある青空と、もくもくとそびえ立つ白い雲と……。
動画に夢中になっている間に、ヒナとリンが来ていたようだ。
ポンと肩を叩かれ、おはようとあいさつをされて気が付いた。
私も二人におはようと返し、動画サイトを閉じてスマホをしまう。
「ねえ、『心ドラッグ』って知ってる?」
空調が程よく効いた教室で、今日も今日とてヒナは脈絡なく話題を投げかけてきた。
「ああ、なんか最近流行ってるやつだよね。物に使うと喋ったり動いたりするんだっけ?」
爪をいじりながら気のない様子で、でもしっかりと話をキャッチしてリリースするリン。
「なにそれ、ヤバイじゃん」
知ってるとも知らないとも言わず、とりあえず様子見程度の相槌を繰り出す私。
心ドラッグ。なんとなく聞いたことはあった。
SNSで流れていたのをうすぼんやりと読み流したような記憶があるし、最近ヒナが推している人気動画主が紹介していたのを観たような気もする。
正式名称は知らない。SNSや動画内で解説されていたような気もするが忘れた。
確か、どこぞの研究機関が心を解明して抽出することに成功したとかなんとか。その抽出した心を、心の無い物に注入すると、注入された物が心を得て動いたり喋ったりするようになるとかならないとか。
ヒナがおもむろにカバンから小瓶を取り出し、ふたを開ける。
風邪薬の錠剤でも入っていそうなシンプルな形の小瓶だが、色は真っ黒で中身が全く見えない。
傾けると、中に入っていた鮮やかな赤い色の液体が滴り落ちて、ヒナのカバンに付いている黄色い猿のストラップを軽く濡らした。
濡れた猿がギギギと音がしそうな不穏な動きで首の角度を変え、ヒナを見上げる。そして、かん高い音を立てた。
私たちは一瞬固まって猿の次の行動を注視したが、猿はそれ以上動きもしなければ音も立てない。
「ね、ヤバイよね」
ヒナがいたずらっ子のように魅力的にほほ笑み、リンはホッとしたような感じでヘラヘラと笑い、私も二人に同調するように口元を緩める。
ヒナとリンと私はとても相性がいいと思う。
子どもは就学する年齢に達すると、同年代の三人で一組にまとめられ、そのまとめられた三人で授業や課外活動やその他いろいろな活動をさせられる。
他のグループでは、三人の相性が悪くトラブルが頻発しているところもあると聞くけれど、私たちはグループを組まされてから一度も諍いが起こったことは無い。
ヒナが話題を提供して、リンがそれを受けて話を広げ、私がそれっぽく相槌を打つ。そんな役割分担で私たち三人は完璧に完結したコミュニティを築き上げてきたのだ。
重要なのは話題の内容ではない。場を円滑かつ完璧に作り上げられるかどうか。発言内容よりも声の抑揚。情報の正確さよりも喋り出すタイミング。
そうして鍛え上げられた私たちのコミュニケーションはいつなんどきでも乱れることはない。
それが例え、安っぽい無機物が突然動いたり喋ったりしたとしても、だ。
いくつかの退屈な授業を終え、割り当てられた部屋に戻る。
部屋は就学と同時に、一人につき一部屋貰うことが出来る。就学前まではずっと祖父母や親、兄弟姉妹といった家族と同じ部屋で過ごしてきたので、急に引きはがされ不安を感じることもあったが、さすがに今はもう慣れた。
スマホを操作してヒナから聞いたサイトを開く。
まだ試作段階ではあるものの、効能を制限して安全性を保障したお試し版心ドラッグがサイトで売られていた。値段はやや張るものの、子どもの小遣いでも買おうと思えば何とかなる範囲だ。
もっと詳しく調べようと検索をかけるが、重くなり過ぎたのか全然検索結果が表示されない。それでも諦めずにいくつかの操作を試みるも、スマホはうんともすんとも言わなくなった。
ヒナから貰った小瓶を取り出し、手の中で転がしてみる。
中身はあの赤い液体だ。明日までに何かにかけて、どんな反応をしたか教え合おう、という話になったのだけれども、なぜか気が進まない。
なんでもいい、何かにかけてみればいいだけなのに、何にかけていいのかわからなかった。
ぼんやりとする頭で小瓶を軽く振る。ちゃぷりと水の音。
心の無い物にかけると心を得るらしいが、心ドラッグの入ったこの小瓶は心を得ているのだろうか。
心の無い物にかけると心を得るというのなら、心のあるものにかけたら、どうなるんだろう。
脳裏になぜか、AI動画で観た蝉の姿が浮かぶ。
あのうるさい虫にぶっかけたら、どうなるんだろうな……。
翌日、ヒナは教室に来なかった。
結局心ドラッグを使えなかった私は、なし崩し的に反応の教え合いがなくなったことにホッとするが、リンと二人きりという異例な事態にちょっと緊張する。
三人で支えていたコミュニティだった。
一人欠ければそれだけ残った二人に負担がかかる。
リンは無言で、今までリンから話題を提供したことなどないのだから、まあそれはいつもと同じなんだけど、私はどうしてもこの沈黙の空間がたまらなくつらいと感じてしまう。
「ヒナ、どうしたんだろうね?」
授業までの間が持たず、思い切って話しかけてみるが、リンはスマホをいじっていてこちらの言葉には反応しない。いつものリンならどんな話でもキャッチ&リリースするのに。
聞こえなかったのかもしれないと思い、もう一度声をかけようと口を開くと、ようやくリンが喋った。
「知らない」
たった一言、たたき切るような、拒絶するような声音で。
「えっと、心配だよねー、その、風邪とか……」
「知らない、興味ない」
平坦な声。こちらをチラリとも見ず、視線はずっと手元のスマホに落ちている。
「……うん、そっか」
知らない、こんな時のやりとりの方法を、私は。
完璧に完結したコミュニティは、常に三人でいることが条件で、二人になってしまった今、完全に崩壊してしまったようだった。
気まずい時間を経て、なんとか一日の授業が終わった後、私は自室に戻る前にヒナの部屋へ寄ることにした。
手土産にヒナの好きなジュースとお菓子を持っていく。
ヒナに割り当てられた部屋の前まで来ると、ノックと呼び鈴をしてからヒナに呼び掛ける。返事がくるのを待つが、部屋の中からは何の反応もない。
リンの冷ややかな声と横顔を思い出し、足元が崩れ落ちるような感覚に襲われた。
間違ったのだろうか。
私たち三人はいつだって間違えない。完璧に完結したコミュニティを築き上げてきたのではなかったのか。
——それとも、何か間違えているのは私?
さっと頭の中が真っ白になる。
そんなわけない。私はまた三人に戻りたいだけだ。二人では上手くいかないのだから、はやく三人に戻らなければ。そのためにはどうしてもヒナが必要なんだ。
私は無意識にドアに手をかけた。
あっけないほど簡単に開いた扉。
施錠されていない、ということに疑問を抱く間もなく、じとりとした暑さが室内から漏れ出て私を押し返そうとする。
私は一瞬怯んだものの、空調設定をミスったヒナが室内で倒れているのではと思い至り、不快感を押し殺してヒナの部屋に入り込む。
就学した子どもに与えられる部屋はそんなに広くない。ベッドと机とちょっとした収納があるだけの部屋にトイレとバスルームが付け足されている、あるのは必要最小限のそれだけだ。さっと見回せば部屋全体が把握できる。
室内を見て、トイレとバスルームも中を確認したけれど、ヒナの姿はどこにもなかった。
おかしい。ヒナはどこだろう。
私は流れる汗をぬぐい、空調を確認する。設定を見ると、私の部屋の設定とほぼ同じだった。
壊れているのか、と思ったが、壊れれば大人が気が付かないわけがない。
授業がある日に子どもが教室以外の場所へ勝手に出向けば、それもすぐにバレて連れ戻される。体調不良で保健室に行ったなら、グループの子どもにその情報は共有されるはずだが、それもない。
不可思議なことだらけで首をひねるが、とにかく何をおいてもこの部屋は暑すぎる。
いったん外へ出ようと踏み出した私の足が、何か固いものを踏んだ。
それは風邪薬の錠剤でも入っていそうなシンプルな形のふたの開いた小瓶。……空になった心ドラッグの入れ物だった。
二日連続で教室に来なかったヒナが心配だからとゴリ押しして、授業が終わった後、帰りたがるリンを無理矢理ヒナの部屋へ連れてくる。
リンは施錠されていない扉に眉をひそめ、異常にじめじめと暑い室内に悪態をつき、どこにも姿のないヒナに不信をあらわにした。
「これ、大人に言った方がいいよ」
暑さにじわじわと苛立ちながら、それでもリンはリンだった。
ヒナが話題を提供して、リンがそれを受けて話を広げ、私がそれっぽく相槌を打つ。
「確かにそうだよね」
そう、これで私たち三人は完璧に完結したコミュニティだ。
重要なのは話題の内容ではない。場を円滑かつ完璧に作り上げられるかどうか。発言内容よりも声の抑揚。情報の正確さよりも喋り出すタイミング。
「でも、もう少し探してみない? ヒナがどこかに行った手がかりとかあるかも」
私は二日ぶりにスムーズに流れたリンとの会話のタイミングを逃さず、こう続けた。
リンは不満そうに顔を歪めたが、特に反対するでもなく部屋の中にぶらぶらと視線をさ迷わせる。でもすぐに諦めたようだ。
「悪いけど、ここ暑すぎるから、外出とくね」
言って扉に近づくリンに、私は用意していたジュースを突き出して進行を妨げる。
「そうだよね、暑すぎて喉かわくしこれ飲んでよ」
リンはうんざりしたと言わんばかりに顔を歪めるが、私はそんなリンの反応は無視してにこにことジュースを差し出し続ける。
「ごめん、もう少しだけだから。これ飲んで、ね?」
束の間、探るような目つきになる。
しかしすぐに白旗を上げるように両手を軽く上げて、ワカッタワカッタアリガタクイタダキマスと言って私からジュースを受け取り、一気に煽った。
*
暑い。
むわりとした不快な暑さの中、耳障りな音がまるで絶叫するかのように鳴り響いている。
二人の姿はどこにもない。
ただただ、そこには『夏』を形作る要素だけがあった。
心ドラッグ入りのジュースを飲んだリンは、あっという間に輪郭を失い、湯気のように蒸発して消えてしまった。
たぶんヒナも同じだったのだろう。
何かにかけて、どんな反応をしたか教え合おう、とは話したけれど、その何かに制限はかけていなかった。ヒナは意外性のあるもので話題を提供しようとしたのではないだろうか。例えば、生身の人間、とか。
チラリとしか見ていないけれど、心ドラッグの販売サイトには安全性についてこれでもかというくらいに記載があった。物に使う薬ではあるものの、少しくらいなら大丈夫だと踏んで自分に使ってしまったのだろう。
そうしてヒナは、物が心を得て動いたり喋ったりするようになる代わりに、『暑さ』という形のないものに成り果ててしまった。
同じく心ドラッグを飲んだリンは『騒音』……いや、これはただの音じゃない。聞き覚えのあるこれは、たぶん『蝉の鳴き声』だ。
リンが飲み残したジュースを拾い上げ、私は口元を緩ませる。
ああ、やっぱり私たちはとても相性がいいと思う。
ヒナが『暑さ』で、リンが『蝉』。そんな役割分担で私たち三人は『夏』という季節を築き上げることになるんだ。
大丈夫。
私たち三人はいつだって間違えない。完璧に完結したコミュニティに、今度こそなるんだ。
心ドラッグ入りのジュースを口元まで運び、ふと、私は何になるべきなんだろうかと疑問が浮かぶ。
先日視聴したAI動画を思い起こす。生成された地上の気温は最高37度。酷暑が続き、風はドライヤーの温風のように熱く、動物はぐったりとしている中、蝉だけが元気いっぱいにサイレンのような不快音を響かせていた。
暑さはヒナで蝉はリンだから、私はドライヤーのような温風にでもなればいいのだろうか。そもそも、なれるのだろうか、私は。『夏』をかたどるための要素の一つに。
ぼんやりとする頭で手に持ったジュースを軽く振る。ちゃぷりと水の音。
止まらず吹き出し続ける汗で顔が濡れてきたし、からみつく熱気で息が苦しい。立体音響を超えリアルに360度からくる音攻めに、私は今更ながらに我に返って不快感を覚えた。
スマホを操作し、共感機能をオフにするような感覚で、私は『夏』の部屋から退出する。
夏に心を寄せて 洞貝 渉 @horagai
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