教室の隅に転がるヘアピンは誰にも見えずただ光るだけ
あしひきの山の黄葉にしづくあひて散らむ山道を君が越えまく ――大伴家持
午後三時の教室は、窓から射し込む初夏の光に満たされて、色々なものがキラキラと輝いている。机と椅子の鉄製の脚や、前の席の子の髪留めのビーズ、シャープペンシルの先、先生が開いている万葉集のカバー。一番後ろの席に座っているまのんは、あまりの眩しさに目を細めながら、うっとりと先生が黒板に書いた和歌を読んでいた。雨と落ち葉の散る険しい山道を震えながら越えてゆく人の背中と、夕暮れ、その人を想いながら遠い山を眺めている人の姿と情景がありありと目の前に浮かんで、深い愛情と胸を締め付けるような切なさがじわりと心に広がってゆく。まのんは歌が好きだ。様々な想いが込められた三十一音は、ページの外ににじみ出してどこまでもどこまでも広がってゆく。
ふと甘い匂いが鼻をかすめて、まのんはキョロキョロと辺りを見回した。そして、隣の席のミカモちゃんが、机の上に立てた教科書の陰にチョコレートの箱を置いて、先生にバレないように一つずつ口に運んでいるのを目撃してしまう。
まのんは教科書で口元を隠して、ミカモちゃんの方に顔を寄せる。そして、とても小さい声で
「ダメですよ、授業中におやつなんて」
と話しかけた。ミカモちゃんはきゅるんとした目でまのんを見ると、筆箱に入れていた木の棒を手に取る。そして、小声で呟きながら宙に文字を描いた。
教室の隅に転がるヘアピンは誰にも見えずただ光るだけ
「これで大丈夫。私はまのんちゃんにしか見えないよ」
「まーた、しょうもないことで魔法を使って! いにしえから伝わる尊い力なんですよ?」
むふーっ、とミカモちゃんは目を細めて机に顎をのせる。
「魔法短歌JKは平和主義なの。毎日を楽しく過ごすために使うのが一番良いんだよ!」
「もう!」
思わず声が大きくなってしまう。黒板に文字を書いていた先生が振り返って、
「まのんさん、どうしたんですか? 何かありましたか?」
と厳しい声を出した。まのんはしゅんとなって謝る。その横で、ミカモちゃんは幸せそうにお菓子を食べ続けていた。
授業が終わった後、大好きな古典の先生に怒られてしょんぼりしているまのんに、ミカモちゃんがポッキーの箱を差し出して来た。まのんの苛立ちに気付いているのか気付いていないのか、ミカモちゃんは
「封、まだ切ってないよー」
と笑う。
「さっきはごめんね」
「しょうがないですね」
まのんはポッキーを受け取って、通学カバンに丁寧にしまった。ミカモちゃんは机の上で両腕を伸ばして、ほっぺたをお餅のようにむにゅっとさせる。
「そう言えばさー、私この前、新しい魔法少女に出会ったんだぁ」
まのんは気を取り直して、
「どんな子だったんですか?」
と聞いてみる。
「のおとちゃんって子だよ」
名前だけ教えられても分からない、と思いつつも突っ込まないでおく。やれやれとスマホを開いたとき、新着ニュースがぴこんと表示された。
「ライブハウスで銃乱射事件……。物騒ですね」
「そうだねー。そんな悲しい事件より、今度の歌会で出す短歌を考えよ」
まのんはニュースの通知をスライドさせて画面から消した。
「歌題は、【好きな人】でしたっけ」
「そうそう。私、なかなか詠めなくて……」
午後の教室には、光が溢れている。
薄暗い地下のライブハウスには、血のにおいが充満している。
体中の穴からどす黒い液体を流して倒れている人々を避けながら、私はステージへと上がる。遺体に埋め尽くされた部屋の中を見回すと、血の跡がかすれた指先を宙に向かって伸ばした。
ステージの上に置かれたマシンガン誰にも見えずただ光るだけ
ささやくように歌いながら、私は指先を指揮棒のごとく振った。これで、犯人は誰にも見られず逃げ出すことができる。
「ミカモちゃん、私は正義の魔法少女になったよ」
そう呟くと、自然と笑みがこぼれた。
魔法少女のおと。ここ数日で数十人を手にかけた殺人鬼である。
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