「フゥーッ! フゥーッ! フゥーッ!」


 身体は向かい風で冷えているのに、心臓と肺が燃えるように熱い。

 肩で激しく息をしていると、額から汗がスッーと流れ落ちてきた。

 この程度で息が切れるとは、俺もまだまだだな。


「ぐっ、ぐっ、抜けろ!」


 グガァと呼吸を整えると壁から両足を抜いて、地面(山道)に着地した。

 何故か六十メートルほど離れた所にいる四人組が武器を構えて警戒している。


(よく見ろ。俺だ、魔物ではない)


 攻撃されないように堂々と、ゆっくりと近づいていくと言ってやった。


「さっきは済まなかったな。俺が悪かった」

「巫山戯んじゃねえぞ! 俺を殺すつもりか!」


 俺の心からの謝罪に何故か悪魔が素早く激怒した。

 だが、何という生き生きとした目だ。少し見ない間に見違えた。

 死んだ目がキラキラ輝いている。死の間際に何かを悟ったらしい。

 

「……イカれてやがる。壁を走って下りるなんて人間のやることじゃない」

「おい、付いて来たら殺すって言ったよな! 謝って気が済んだならさっさと消え失せろ!」


 謝罪が済んだのでどうするべきかと考えていたら、ハインズが呟き、ベルストロが怒鳴ってきた。

 そういえば謝ることがもう一つあったのを思い出した。


「そうだった。借りていた剣を壊してしまった。これで足りるとは思えないが、謝罪の証だ。受け取ってくれ」


 頭は下げずに言葉だけで謝ると、地面に宝箱と鞘に入った壊れた剣を置いて少し離れた。

 出来れば一緒に入っている石ころと銅玉、毛皮だけは返してもらいたい。

 今夜の酒代だ。だが、それを言うのは恥だ。

 恥の多い人生ほど無様なものはない。

 俺の人生に恥は無用の荷物だ。


「凄い、一人で宝箱って……」

「ど、どうせクソ雑魚ボスなんだよ、どうせ大した物も入って——」


 確かに大した物は入ってない。石ころと毛皮だ。

 コールが驚き、ベルストロが宝箱に笑いながら近づいて蓋を開けた。


「——やべえ」


 そして、袋を開けると固まった。

 やはり大した物じゃないらしい。

 宝箱に近づくと中から毛皮、石ころと銅玉が入った袋だけをソッと取り出した。

 言うのは恥なので、黙って返して貰うとしよう。


「では、借りは返した。さらばだ!」

「おい、ちょっと待て! 多過ぎ——」


 何かを言われる前に、崖に向かって跳んだ。

 予想通り、ベルストロが何か言おうとしていたが、もう聞こえない。

 俺の身体は山を駆け降りる風になっている。


 第十一話 村


 山を駆け降りていると、森の中に伸びる道(森道)が見えてきた。

 真っ直ぐから斜めに進路を変え、森道を目指した。


「うおおおおおおお!」


 地面が近づいてきた。両足に力を込めて岩肌を踏み壊して減速していく。

 いかに俺でも世界に体当たりして勝つ自信はない。


 そして、硬い岩肌を一撃で貫くのが難しいのも分かっている。

 いつでも貫けると油断していたら、大地と熱い抱擁を交わすことになる。


 俺はそんな失敗はしない。

 地面近くのこの辺の岩肌が硬いと判断すると、手に持った毛皮を素早く手放した。


「ゴーレム! 剣だ!」

「(任せて!)」


 左手首の腕輪を右手で掴んで命じると、すぐさま反応が返ってきた。

 右手の中で形を変えていき、気が付けば右手に剣の柄を握っていた。

 素早く良い反応だ。


「止まれぇー‼︎」


 その柄を両手で握ると振り上げ、前に倒れるように壁に切っ先を力一杯ブチ込んだ。

 ズガァーンと不利な体勢だったが、まるで人間の身体に突き刺したような感触だ。

 百三十センチはある刀身の半分以上が岩壁に軽々突き刺さった。


「がはぁ!」


 だが、殺せなかった崖下りの勢いと反動で、俺の身体が半回転して背中から壁に大激突した。


「……ふぅー、成功だな」

「(どこが?)」


 地上二十メートル、剣の柄にぶら下がったままひと息ついた。

 多少背中が痛いがハンマーで強打された程度の痛みだ。

 両足の足裏と両腕に力を入れて、壁から刀身を抜くと、壁を足裏で滑り降りて着地した。


「あとは村まで走るだけだな。ゴーレム、馬になれるか?」


 ゴーレムに聞いてみた。山を駆け降りて、さすがに足が疲れた。

 剣にも腕輪にもなれるなら、馬になってほしい。


「(馬って何?)」

「人を乗せて四本足で走る動物だ」

「(へぇー……自分で走れ)」


 ……だろうな。友に頼むようなことじゃなかった。

 これでは人間に「馬になれ」と命じる鬼畜主人と同じだ。

 落とした毛皮を回収して、ゴーレムに腕輪になってもらうと歩き出した。

 高速の山降りのせいで足の感覚がおかしい。走るのは感覚が戻ってからだ。


 しばらく歩き続けていると、ようやく足の調子が戻ってきた。

 軽く走ってみたが問題なさそうだ。これなら夜までに村に着けそうだ。


 だが、一つ新たな問題が発生した。

 靴を履いているはずなのに、何故か足裏に地面の感触が直に伝わってくる。

 立ち止まり靴の底を見ると、両足の靴底が消えていた。

 あの御者の商人め、俺に不良品を渡しやがったな。

 どおりで売れ残るわけだ。


「ふぅー、到着と……」


 壊れた靴は脱いで、村まで軽く走った。

 少し暗くなっているが、暗くなってから一時間も経っていない。

 これなら酒場も開いているだろう。


 だが、まずは金の調達だ。金が無ければ何も食えない。

 目についた村人、といっても立派な服(長袖の白シャツ、半袖の紺色シャツ、黒長ズボン)を着ている。

 お忍び中の第二王子だと言われたら、信じてしまいそうだ。

 そんな第二王子っぽい若い村男に聞いてみた。


「すまない。魔物の素材を売りたいんだが、この村で買い取ってくれる店はあるか?」

「魔物素材なら『鍛治屋』が買い取っていますよ。案内しましょうか?」

「それは助かる。是非頼もう」


 親切な男だ。きっと田舎衛兵にはこういう男が向いている。

 男の案内で村の中を歩いていくと、数分で鍛治屋に到着した。

 店の隣にある壁の無い、屋根だけの場所に剣が無造作に二十本近くぶら下げられている。

 まるで収穫された野菜のようだ。剣の質は普通か、ちょっと悪いぐらいだ。

 失敗作か、それとも鍛冶屋の腕の限界か……


 まあ、俺としては素材を買い取ってくれるならどっちでもいい。

 親切な男に礼を言うと石造りの建物に入って、炉の近くに立っていた鍛治屋っぽい服のオヤジに聞いてみた。


「すまない。ここで魔物素材を買い取ってくれると聞いたんだが、間違いないか?」

「ああ、間違いないぜ。もう店じまいするところだから、さっさと見せてくれ」

「それはすまない。この中に入っているので全部だ」


 このオヤジも仕事終わりの一杯に行くらしい。だったらお互い早く済ませるとしよう。

 部屋にあった四角い木卓の上に、ドンと宝箱を置いて、蓋を開けて見せた。


「ん? 銀狼の毛皮と壊れた靴だけか。宝箱の中身はどうした?」

「宝箱の中身なら一つは俺の腹の中だ。もう一つは謝罪として渡してきた」

 

 宝箱の中を覗き込んでオヤジが聞いてきたので、簡潔に答えた。


「つまりは無いのか。宝箱持っていたから期待したんだがな……まあいい。毛皮なら一枚小銀貨三枚だ。それで構わないか?」

「ああ、それで構わない。それとこっちは買い取りできないのか?」


 銀貨とはなかなか高額だ。ローマなら酒を樽ごと買える。

 だが、まだ袋の中の銅玉を見ていないぞ。オヤジにこっちも買ってくれと袋を開けて見せた。


「ほぉー、『魔銅石』か。こいつを使うと良い農具が作れるんだ。……だが、量が少ないな。クワ一本ぐらいしか作れん。買い取るなら大銀貨一枚だな。それでもいいか?」

「構わない」

「(えっ、僕のご飯じゃなかったの?)


 許せ友よ。男には命や誇り、大事な物を売らなければならない時があるのだ。

 今がその時だ。ゴーレムに心の中で謝ると、オヤジに銅玉を全部売り渡した。


「ほら、大銀貨一枚と小銀貨三枚だ。次は『魔法石』を期待しているぜ!」


 そう言ってオヤジが良い笑顔で金を渡してきた。

 小銀貨は直径一センチ、大銀貨は直径三センチぐらいの大きさがある。

 俺の知っているローマの銀貨と違い、綺麗な円をしている。

 かなり高度な貨幣製造技術だ。剣の製造技術は低いがな。


「魔法石、それは悪魔の石みたいなものなのか?」


 酒場に急ぎたいが、魔法=悪魔が関係しているなら話は別だ。

 銀貨をポケットにブチ込むと、真剣な目でオヤジを見つめて訊いた。


「それは知らんが、魔法石は属性が備わった石だ。『錬金術師』が加工することで誰でも魔法が使えるようになれる便利なものだ」

「ん? 魔法なら誰でも使えるんじゃ無かったのか?」


 俺の知っている四人の話とオヤジの話が違う。

 どうもこの世界の常識が分からない。


「ハハッ。それはそうだが、高度な攻撃魔法は誰でも使えるもんじゃない。初歩魔法の『火』『水』ぐらいだ。『風』や『地』が使えるような才能のある奴なら魔法使いになれる」

「ふむ、なるほど……」


 話を聞いてもよく分からなかった。だが、一つ分かったことがある。

『岩(地)』を操れるゴーレムは『才能』がある魔法使い、いや、魔物らしい。

 覚えておけ、ゴーレム=ゴルバチョレフィーナスよ。

 金で買えないものがある。それが才能と良い友だ。

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古代ローマ最強の剣闘士『アンドウミキティヌス=ロマネコンティヌス=ルシウス』異世界の闘技場『ダンジョン』に挑む アルビジア @03266230

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