スーパー、三連プリンの怪

平城 司

池西

 原付を駐輪場に突っ込み、ヘルメットの留め具を外す。それを原付のシートの中の収納スペースに投げ入れて、ばんと閉め終わるか終わらないかくらいで池西は走り出した。

 自動ドアが開く時間すらもどかしい。人一人が横向きで入れるようになった隙間にぐっと体を突っ込むと「いらっしゃいませ~」というパートの山本の声が聞こえた。

「おはようございます!」

 客の来店に自動的に発せられた声に挨拶を返すと、レジに立っていた山本は池西を見て笑顔を見せる。

「おはよ~。時間ギリギリやで、急げ急げ」

 その言葉に返事をしたのかしなかったのかは覚えていないが、池西は店内右奥にある小さな事務所まで走る。扉を開き、名前も見ずに手に取ったタイムカードを打刻機に突っ込んだ。ウイーン、ガシャンと大袈裟な音を立て、打刻された時間は十六時五十九分。遅刻ギリギリだった。

「おはよ~。なんや、今日はえらい遅かったやん」

 事務所のパイプ椅子に腰かけ、菓子パンをもさもさと貪る店長が言う。その表情に特に何らかの感情があるわけではない。

「おはようございます。すんません。学校でちょっと色々あったんです」

 その『色々』については、店長が聞いてきた時に話せばいい。信じてもらえるかはわからないが、面白がってはくれるだろう。そう思い事務所から店内に飛び出した。パートの山本は十七時上がり。自分と入れ替わりだ。学校が終われば自由な時間がある自分と違い、主婦の山本にはこれから幼い子供を二人も迎えに行く使命がある。レジに到着すると、幸い客は並んでいなかった。

「珍しいねえ、池西くんがギリギリになるの」

 嫌味などではなく、単純にやや驚いたように言う山本に「ほんますんません」と、二台しかないレジの一台に入る。

「学校で先生に捕まったりしとったん?」

「先生に捕まったというか、学校に捕まったというか」

 池西の言葉に不思議そうに首を傾げる山本。そりゃそうかと思いつつ「レジ上げしてもらっていいですよ」と自分のレジを開けた。

 田舎の小さなスーパー。一応チェーン店ではあるが、店の狭さもあってレジは二台しか設置されていない。年末年始などの、いわゆる繁忙期以外は十五時以降からはパート・アルバイトが一人と店長が一人の体勢で店を回している。

 山本は残業ができない。となれば店長が一人でレジに立ち続けなければならない。先ほど菓子パンを貪っていたのは、きっと昼食をとる時間がなかったからだろう。よくあることだった。

 自分は知らない、昼間に忙しい思いをしている、同じ店で働く人たちに余計な迷惑をかけてはいけない。

 学校に捕まるという奇妙な体験をした後だったが、その強い使命感の元、明日礼をするからと自分を助けてくれた同級生の双子に言い残して早々に原付をとばしてきたのである。

 山本がレジを点検し、金額に誤差が発生していないことを確認する。池西がアルバイトとしてやってくるずっと前からここで働いているだけあって、どれだけ忙しくても一円単位の誤差すら発生させない彼女のレジ打ち技術には本当に感心する。

 おつかれさま、と笑顔で言うと山本はさっさと事務所に向かって行った。すぐに事務所から出てきて、エプロンだけ取った制服姿のまま、彼女は小走りで店を出て行った。


 スーパーには様々な客が来る。特に何のやりとりもしない、よく来るだけの人。顔なじみとなって、会計の間におしゃべりをするような関係の人。なぜか自分を気に入ってくれて毎回愛想よくお疲れ様と労ってくれる人。そして、変わった人やクレーマー。

 池西がここでアルバイトを始めて最初に会ったクレーマーは、鍋を抱えてきた主婦だった。中身を見ろと言って蓋を取った主婦。そこにあるのはただの魚の煮つけで。それに対して池西は「魚ですね」としか言いようがなかったことを強烈に覚えている。その後の対応は店長となったが「普段はこんな色にならない。ここで買った魚が悪かった」と、主婦が喚いていたのは聞こえた。結局、その主婦の旦那であろう人物が彼女を「回収」して帰って行ったが。

 とにかくそういう変わった客とか、良い意味でも悪い意味でも印象的な客がいる。

「お願いします」

 品の良い、少ししわがれた声が聞こえた。レジの台の上に置かれた籠の中にはごくごく一般的な内容が詰められている。それを持ってきた老婆の顔には人当たりの良い笑顔が掘り込まれたような皺が刻まれている。背はやや曲がっているが、自分の足でしっかりと歩き、買い物をカートではなくかごを手に持って店を回るほどの体力はあった。元気なおばあさん。店の常連客の一人だ。

「いらっしゃいませ。お預かりますね」

 そう言って池西はレジを打ち始める。ぴ、ぴ、と無機質な音が二人の間に響く中、池西はあ、と少しだけ手を止めた。小さなプリンが三つ連なって包まれた商品。これを手に取ると、老婆はいつもこう言うのだ。

「それねえ、孫が好きでねえ」

 孫のことを愛おしそうに言う笑顔。自分にも覚えがある。祖父母の家に行けば「これ好きやろ」と、自分の好きなお菓子や、何を勘違いしたのかそうでもないお菓子まで用意してくれている。祖父母という生命体は恐らくこのようなものなのだろう。

 老婆は週に何回か買い物にやってくる。そして必ずこれを買って行くのだ。多分本当に好きなのだろう。池西は思わず笑みを漏らしてしまった。

「すぐに食べてまうんやね。三つも入ってんのに」

「そうなんですよお。食いしん坊でねえ」

「いやでも、俺も多分小さい時はそんなんでしたからね。三つプリンがあったら一気に食いますよ」

 少しの談笑。会計を済ませると、老婆は池西に一礼してかごを持ってサッカー台へと向かう。この時間は「ほっこり」としたものを感じさせてくれて、池西は好きだった。


 次の日。池西は同じクラスの双子に「昨日は悪かった」と頭を下げた。兄の方が「別にかまへんよ、気にせんで」と笑う。

 この双子――折立操おりたちみさおと、折立実おりたちみのるの兄妹は学校中で有名な存在だ。長身でモデル体型の美少年と、ミステリアスな雰囲気を醸し出すクールな美少女。歩いているだけでとにかく目立つ。

 操の方は愛想が良く外交的で、友人も多くいた。池西もその一人だった。しかし、彼は怖い話や都市伝説などに目がなく、一度話に夢中になると止まらない。池西はそういう話が好きなので真面目に聞いては感想を述べていたが、大体の友人はまた始まったと、その時はその場から離れていく。

 実の方はその雰囲気から近寄りがたさがあり、声をかける猛者はなかなかいなかった。しかし――。

「私が何とかしたのに、操が気にせんでってなんやの」

「操って言うな。兄と呼べ」

「双子やねんから関係あらへん。とにかく、昨日の件はもう大丈夫やから安心して。バイト間に合ったん?」

「間に合った。ほんまありがとう」

 実際に話してみれば実はとても優しくて、自分がアルバイトに間に合ったことについて「良かった」と笑うその表情に少しばかり惹かれてしまった。

 昨日、池西は学校から出られなくなってしまった。普段なら誰かしらいる校舎に、突如一人取り残されて、階段を降りれど降りれど下駄箱にたどり着けないという異常事態に陥ったのだ。そんな彼を救ったのが折立兄妹だった。といってもそういう悪戯をしていたらしい霊的なものを祓ったのは実の方だが。アルバイトに遅れるかもという焦燥感と、二度とここから逃げ出さないかもしれないという強烈な不安を和らげてくれたのは操だった。

 池西は二人に「よかったらこれ食って」と、バイト先で買ったいくつかの菓子を差し出した。実は「ええの?」と目を輝かせていたが、操は微妙な顔をする。彼が甘いものがそこまで好きではないことのは知っていた。池西は「お前にはこれや」とブラックコーヒーの缶を差し出した。

「気ぃ利くやん。さすがスーパーの店員」

 満足げな笑みを浮かべてそれを受け取り、缶を開ける。口の中に液体を流し込んだ瞬間。操の眉間にぐっと皺がよった。

「なんじゃこれ! 泥水やんけ!」

「俺の働いてる店で売ってる一番やっすいやつ」

「ちゃんとしたメーカーのやつ買ってこいや!」

 二人のやりとりを見て、というか操のリアクションを見て実はケラケラと笑いながらチョコレート菓子を食べていた。


 その日の昼に学校の自販機で販売されている有名メーカーのブラックコーヒー缶を操に献上し、池西はまたアルバイトへと向かった。先日と違い、いつも通り余裕のある到着となった。店に入れば、レジで山本が中年くらいの男性に対応している。が、レジ対応ではなく何か質問を受けているようだ。しかも店長も隣に立って話を聞いている。クレーム対応か何かだろうか。そう思っていると、店長と目が合った。

「おお、池西くん」

「おはようございます。えー……なんかあったんですか?」

「池西くんて、いつもプリン買って行くおばあさんに心当たりある?」

 昨日来た老婆を思い出した。プリンを買っていくという客なら大勢いるが『いつもプリンを買うおばあさん』となればその人しか思い当たらない。池西は中年男性がそのおばあさんについて知りたがっているのだと察する。

 でも、なぜ?

 その時初めて、池西は中年男性の顔を見た。男の視線が、自分に向けられている。

 頬はこけており、肩がやけに前に出ているせいか姿勢が悪い。細く痩せた髪からは頭皮が薄く見えている。くたびれた白いTシャツはやや黄ばんでおり、色褪せたすぎたオーバーサイズのジーンズ。

 スーパーで働いていれば色んな容貌・服装の客が来る。だが、まばたき一つせずに自分を見つめてくる人間は初めてだった。大きく見開かれた目に小さな黒目が池西をとらえて離さない。

「あー……え、っと」

 その異様さに言葉に詰まる。すると中年男性の眉間に皺が寄った。

「週に何回か大体十八時前後に来られるご年配の女性がいつもプリンを買って行かれます」

 それを見て、池西は思わず早口で一息に答えてしまった。すると、男の眉間に刻まれていた皺が消える。男は視線を店長に向けた。

「この少年の言う人で合っています。その人にプリンを売らないでください」

 男が言うと店長も、山本も、池西も、今にも腑抜けた声が出そうな奇妙な顔になった。えっと声を漏らさないのは今が「接客中」だからだろう。

「あのーすいません」

 しばしの沈黙の後、ようやく店長が口を開いた。

「もちろん、販売拒否自体はできないわけではありません。しかし当店は個人経営ではありませんので、販売拒否により何らかのトラブルに発展する可能性がある以上、会社に報告して協議する必要があります。なので、申し訳ないのですが理由を教えていただけませんか?」

 いつもは陽気な店長が慎重に言葉を選びながら話しているのが伝わる。いつもは柔らかい雰囲気をまとっている山本さんが明らかに緊張しているのが伝わる。いつもの仕事場が、この男の行動と言動に乗っ取られているような違和感。池西はなるべく喉が鳴らないように、それでもごくりと唾をのんだ。

 男は店長の言葉に特に表情は変えず、ポケットから携帯電話を取り出した。何度か操作するような仕草を見せた後、ゆっくりと画面を店長に見せた。それを見て店長は「ああ……」と小さく声を漏らした。それを聞いてきちんと確認したと判断したのか、男は携帯電話をぱたりと閉じてポケットにしまう。

「こういうことですので、よろしくお願いします。昨日買ってきたものは引き取っていただけますか」

「冷蔵商品ですので返金は、できませんが」

「構いません」

 山本が立つレジの台の上に未開封の三連プリンが置かれる。写真の内容は見ていない。でも、これはあの老婆の孫のものだ。一気に食べてしまうほど大好きなプリンだ。老婆の笑顔が頭に浮かび、池西は「すいません」と思わず声を上げた。

「あ、あの。これ、いつも孫が好きだからって買って行かれてるんで」

「うちに子供はいません」

 池西の言葉を遮るように言うと、男はそのまま店を出て行った。


「――っていう話があってな」

 教室の後ろ。掃除道具入れの前で池西は昨日の出来事を折立操に話していた。

「で、何なんそのけったいなおっさん」

「いや、おっさんはもうええねん。それ以降が意味わからんかった」

 池西が目を伏せ、小さく息をつく。

「今のところただ単におっさんの見た目が変やっただけの話しやねんから。はよ教えてや、続き」

 そう急かされて、池西は重い口を開いた。

「あのな。店長だけがおっさんのケータイで写真見たから詳しくはわからんけど。家の冷蔵庫ってこう、段々になってるやろ? 俺の家は四段くらいあって、オカンがオカンなりに分けていれてるけど。それの一番下の段にな。プリンがパンッパンに詰まっとったんやって。しかも明らかに腐って変色したやつとかもあったって」

 その言葉に折立はほお、と興味深げに声を漏らす。

「おかしいやろ? いつも一気に食べちゃうって言ってんのに、実際は腐るまで冷蔵庫に放置されとってん」

「普通に考えるんやったらそのばあちゃんがボケとって、孫がいるって勘違いしてるとか、そんな話ちゃうの」

「違うねん。そのばあちゃん、いっつも孫連れて買いもん来とった」

 そう、老婆は一人で買い物に来ていたわけではない。

 いつも幼い、おそらく幼稚園児くらいの少年と共に買い物に来ていたのだ。池西の「三連のプリンを一気食ってまうんやね」という問いかけに、少年は照れ臭そうにこくりと頷いていた。

「やからわからんねん。なんでプリンが腐ってんのか。孫は一気に食うって言ってたのに。実際は食ってなかった」

 なるほどなと折立は頷いた。

「てことはやで。俺が好きな方向で考えるなら、お前はそこにおらんはずの孫らしきガキを見てた。ばあちゃんにもそれが見えてて、その子のために買ってた。でもその子は実在せえへんから、プリンは腐る一方やった」

「そう。俺もその方向で考えてもーてさ。俺は霊を見てたんかと思って」

「お~。気になるなあ。おい、実!!」

 折立が自分の席で静かに本を読んでいる片割れに声をかける。彼女はややうんざりとした視線を折立に向けて、本に付箋を挟んだ。

 「なんなんよ、もう」と少し険しい表情でにこちらにやってきた実に、池西は少し申し訳なさを覚える。しかし、折立はそんなのお構いなしで、池西がした話を説明して聞かせた。それを聞いた彼女はしばらく黙った後、首を傾げる。そして「なんでなんやろ?」と小さく呟いた。

「その孫らしい子は生きてるよ。だから池西くんが見たのは実在する子供」

 その一言で余計にわからなくなってしまった。折立はえ~と残念そうに声を上げる。

「確実に孫かどうかまではわからへんよな? 折立、さんは」

「実でええよ。操のことを折立って呼んでるからややこしいやろ」

「え、ああ、じゃあ、実ちゃんは」

 下の名前で呼ぶことを許可されたことで、他の者にはない特権を得た気がした。池西は少し気分が良くなったものの、意識はすぐにプリンの謎に引き戻される。

「わからんなあ……目視すればわかると思うけど。でも仮によその子やったとしても不自然じゃない? だって家の冷蔵庫に入れんとその子に渡して持って帰ってもらえばいい話やんか」

 確かに、と池西と折立は頷いた。実がふうと息を吐き出す。

「もし、次またおばあちゃんが買い物に来たら教えて。特にお孫さんらしい子のこととか、見といてくれたらもっとわかるかも」

「お、おう」

 実はそう言って自分の席に戻っていった。池西は自然と、なびく艶のある黒髪に視線を奪われていた。

「あいつはやめとけよ。猫被っとるだけでキッツい性格してるから」

「それはお前に対してだけやろ」と池西は笑った。


 プリンを売らないでくれと中年の男が来店して以降。老婆と孫らしき少年が店に現れることはなくなった。

 店長は会社に報告書を提出して協議を依頼していたようだが「来なくなったならええか」と依頼を取り下げたらしい。もっと対応の難しいクレームについて本社は検討、対応に追われているからだ。


 スーパーには様々な客が来る。店員と客の間で仲良くやりとりをしていたとしても、互いの素性など何も知らない。それが店員と客の基本的な関係性だ。だから、老婆とその孫らしき少年がどうなったのかは知りようがないし、知る術もない。

 池西は高校を卒業するまでそのスーパーに勤めていた。もちろん、店長や山本など良い人ばかりだったというのもある。それに、もしかしたらまたあの二人に会えるかもしれないと思っていたからだ。結局は叶わなかったが。

 池西の送別会の席でもこの話をした。話自体は店長から他のパート・アルバイトにも伝わっていたらしく、なんだったんだろうねと酒の肴になっていた。

「まあでも、スーパーなんて、色んな人が来るから」

 誰かが言った言葉に、池西を含めてその場の誰もが頷いた。


 大人になった今でも、ふとあの三人のことを思い出すのだ。まだまだ元気なおばあさんに、プリンを買ってもらって喜んでいた少年。そして、汚らしい異様な風貌の男のことを。

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