六章 佐原莉子 3(さはら りこ)

「……なんなの、これ」


 頭をガツンと殴られたかのような衝撃を覚えた。

 座っているはずなのに体を支えることができず床のゴザに手をついた。息が小刻みに荒くなる。心臓が潰れるように痛かった。

「無理。無理だよ、莉子りこ。何なの、これ?」

 書いてある内容にはほとんど全て覚えがあった。


 莉子から手作りのマドレーヌを貰ったことも、莉子と一緒にUSBメモリーを買いに行ったことも、智恵理ちえりが元彼自慢をしたことも、全部覚えている。何気ない学校生活の一ページとして。


 でも。


「莉子は、私達を採点していたの?」

 信じられない。信じたくない。いつも笑っていた莉子の心の中に、こんなドス黒い感情が渦巻いていたなんて。


 一緒に買ったピンクのスマホカバーを一年以上使い続けていた莉子。

 ペットを抱くような手つきで顕微鏡を運んでいた莉子。

 楽しげに日食観察眼鏡をかけていた莉子。

 丁寧に我慢強く勉強を教えていた莉子。

 川原のたまり場で蚊取り線香に虫眼鏡を当てていた莉子。

 文化祭の展示パネルを誇らしげに運んできた莉子。

 あの時の莉子は、どんな顔をしていた? 


 本当に笑っていたのか?


 また雷鳴が響いた。知らぬ間に涙が頬を伝って顎から落ちる。

 今まで味わったことのない種類の恐怖に押しつぶされて、怖くて怖くて仕方がなかった。

 莉子は長い時間をかけ、徐々に私達の呪殺計画を進めていたのか。

 あんな些細なことで。あんな細々としたことで。 

 眩暈がした。この一年半の天文部の思い出が黒く塗り潰されるようだった。


『バッテリ残量が少なくなっています 作業内容を失わないようにするために、今すぐバッテリを交換するか電源に切り替えてください』


 突然、画面に警告のメッセージが表示された。

 天文部ブックの充電が切れかかっている。とっさに周りを見回すがこんな掘立小屋に電源などあるはずがない。

 どうする? 全部の日記を見ている時間はなさそうだ。このまま時系列で読んでいくか、それとも……。


『バッテリ残量が非常に少なくなっています 作業内容を失わないようにするために、今すぐバッテリを交換するか電源に切り替えてください』


 新たに表示されたメッセージにせかされるようにカーソルを一番下、最新の日記に合わせた。

 日付は七月四日、莉子が死んだ日だ。


《2020年 7月4日》

《トリガーの発動が進まない》

《くそう、三つまではすぐに達成できたのに》

《何度試しても唄教会の自作がうまくいかない》

《なぜだ、私は最強のネクロマンサーなのに。やっぱり家の唄結界を使うしかないのか》

《でも、この気持ち悪い納屋にどうやって奴らを呼び入れよう》

《納屋で天文部ブックを亡くしたことにするか?》

《備品に煩い先生は血相変えて探しに来るだろう。その流れで部員も呼び込めば……》

《うまくいきそうだ。これで四つのトリガーは解放される》

《「魂の刻印」はついさっき写真に収めた。最後はこれをラインで送りつけるだけ》

《覚悟しろ。私は写真を矢に変えてお前らの心臓を射抜く》

《私は最強のねくろm》


 最後の日記は、ここで記述が終わっていた。

 矢印キーを何度押しても、もうそれ以上文章は出てこない。

「最強のねくろm……?」

 酷く中途半端でぶつ切りの終わり方。つまり、莉子はこの日記を書いている最中に死んだということか。


「なんで?」


 思わず声に出して呟いた。

 おかしい。記述が確かなら莉子はトリガーを三つまでしか解放していないことになる。

 なのになんで、みんなは死んだ?

 そしてどうして、莉子まで死んだ?

 もう一度、最後の日記を読み返してみる。

 莉子は第四のトリガーを開放するため、唄教会しょうきょうかいなるものの自作を試みていたようだ。しかし、失敗し諦めて元からある場所に呼ぶことにしたらしい。


「それって……ここだよね?」

 改めて粗末な小屋を見回した。

 私が今いる、この離れだ。

 呪いの儀式を想起させる気持ちの悪い納屋。入るだけで寒気がして、ここにいてはいけないと本能的に感じた小屋。初めてここに入った時に感じたあの感覚は正しかったのか。

 ここが第四のトリガー、『うた』の唄教会なんだ。

 ここに導くのはさぞかし難しいことだろう。常時鍵がかかっているし、親父が厳重に管理しているし。実際、私達がこの中に入ったのは莉子が死んだ後。母親に導かれてだった。


「母親……?」

 待てよ。頭の中で何かが弾けた。

 莉子のお母さんがこの日記を読んだとしたら? 

 天文ブックのパスワードはシールで画面下に貼り付けられている。正直、形だけのセキュリティだ。日記を読めば、母親なら莉子が何をしようとしていたかすぐに気付いたことだろう。 


『ここです。ここの離れにあると思いますので、どうぞ』


 莉子のお母さんの声が耳元でよみがえった。 

 そうか、だから莉子のお母さん不自然なほど強引に私達をここへ連れ込んだ。莉子の目的を知った上で、莉子の遺志を継ごうとして。

 鍵を斧で壊してまで。

「嘘でしょ、お母さんまで協力してたの。それじゃあ、犯人は……」

 これで第四のトリガーが完成する。

 残るトリガーはあと一つ。


《五、目に『絆の刻印』を――標的の目に絆の刻印を焼き付け、肌身離さず持たせる》


 こめかみに人差し指を当てて目をつぶった。

 思い出せ、母親の言動を。殺戮者は今や莉子からお母さんに移行している。思い出せ、何か不自然なことがあったはずだ。

「そうだ、写真だ!」

 記憶と情報が連鎖する。

 莉子のお母さんは頑なに写真を撮りたがった。芝や百地のお父さんは呪い返しに関係のあることかと推理していたけれど、その逆だとしたら。第五のトリガーに関わることだったとしたら。

 記念写真を撮ろうとしたお母さんは、並び位置にもうるさく指示を飛ばしていた。一番右、ちょうど祭壇の右角のあたりが有沢先生。その横に芝、蛍、智恵理、そしてその横に私。

『ああ、だめよ。七楓ちゃんは寄っちゃだめ――そこは莉子の場所だから』

 また莉子のお母さんの声がよみがえる。

 智恵理から人一人分空けた場所が私の立ち位置。じゃあ、その間にあるものは――。

 スマートフォンのライトを灯し、ゆっくりと壁に沿わせていく。


「……これか」


 そこにあったのは壁にかけられた大きな旗……の真ん中。

 白地に黒で描かれた、十字に蛇が交差するモチーフ。

 これだ。これが絆の刻印だ。莉子のお母さんはこの刻印を画角に入れようとしていたのか。

 もう一度最後の日記を読み返す。


《「魂の刻印」はついさっき写真に収めた。最後はこれをラインで送りつけるだけ》

《覚悟しろ。私は写真を矢に変えてお前らの心臓を射抜く》

《私は最強のねくろm  》


「そういうことか……」

 莉子はこの旗の写真を撮って私達に送り付けるつもりだったんだ。高校生はスマートフォンを常時手放さない。トイレにも風呂にも持って行く。本人も気付かないうちに絆の刻印を肌身離さず身に着けることになる。

 莉子の遺志を継いだお母さんは刻印を画角に入れて写真を撮った。そして、その後

に言うつもりだったんだろう。


「LINEのIDを教えてちょうだい、後で写真を送るから」と。


 身震いがした。何てことだ。何も知らない間に、娘と母によって呪殺計画が進められていたのか。

「でも、計画だけだよね……」

 実行には移されていないはずだ。

 莉子は写真を送れなかった。その前に尾島貴子に殺されたから。

 莉子のお母さんは写真を撮れなかった。撮る前に佐原悟に止められたから。

 恐らく佐原悟はお母さんの思惑を一目で察したんだろう。だから、あれほど怒ってスマートフォンを破壊した。執拗なほど念入りに。二度とデータが復元できないように。

「そんな、じゃあ、もしかして佐原悟はずっと私達を守ろうと……」

 そんな佐原悟を私はこの手で――。

 べっとりと返り血を浴びた右手を開いた。掌にナイフで刺した感覚がよみがえる。

「嘘……嘘……嘘……」

 何度否定してみても、そうとしか考えられなかった。実際、そのおかげで私達は誰も絆の刻印の画像を受け取っていない。

 にも関わらず、私以外みんな死んだ。

 じゃあ、誰だ。莉子でもなく、莉子のお母さんでもなく、もちろん佐原悟でもなく、絆の刻印の画像を私達にばら蒔いたやつがいる。

「いったい……誰だ」

 呟いた瞬間、天文ブックのモニターに警告が現れた。そろそろ本当に充電が尽きてしまう。私のスマートフォンはまだ大丈夫だろうか。


「――あ」


 その時、稲妻のような衝撃が頭の先から爪先までを貫いた。

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