六章 佐原莉子 1(さはら りこ)

 雷鳴がごくごく近くで轟いた。


 雷が鳴る度に屋根を叩く雨の勢いが強まっていく。予報の通り空模様は大幅な崩れを見せていた。

 雨音に後押しを受けるかのように悪い予感は高まっていく。

「お願い、お願い……」

 気が付くと、私は誰に祈っていた。

 誰に何を祈っているのだろう。震える指で次の日付、二日後の日記にカーソルを合わせて実行キーを押し込んだ。

 お願いだから、何かの間違いであってくれ。

 鼓動に共鳴するように雨音は急速にその速度を速めていく。

 

《2019年 2月27日》

《素晴らしいものを見た。まだ興奮が収まらない。まだ胸がドキドキしている》

《想像を絶する死に方だった》

《思い出しただけでゾクゾクする》

《あれが呪殺。あれが尾島貴子》

《使役したい。私もあの化け物を操れるようになりたい》

《決めた。私が父さんの後継者になる。私が最強のネクロマンサーになるんだ》


 ……ああ、莉子りこ

 体が小刻みに震え出した。

 どうしよう、これは違う。これは呪い返しのヒントなんかじゃない。

 これは決して、覗いてはいけないものだった。

 でも、もう指は止められない。

 多分、私はこの内容を知らなくてはいけないから。

 ノートを閉じたくなる衝動を抑えて次の日付にカーソルを合わせる。

 

《2019年 3月2日》

《近頃、お父さんに避けられている気がする》

《私はもっとお父さんと話したいのに》

《もっともっと呪殺について勉強したいのに》

《尾島貴子の素晴らしさについて語り合いたいのに》

《なぜだろう。私を見る目が冷たい。悲しい》


《2019年 3月7日》

《最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ最悪だ》

《お父さんに裏切られた》

《もう呪殺の現場には連れて行かないと言われた》

《もう呪殺の方法を教えないと、お前は悪魔に憑りつかれていると》

《信じられない。どうして。涙が止まらない。お父さんは私のことが好きじゃないの?》

《苦しいよ。辛いよ。どうして親が子供の夢を奪おうとするの?》

《使えないクズめ。もういい、一人でやる》

《私は絶対に最強のネクロマンサーになるんだ》


《2019年 3月18日》

《今日、『歌の樹』の篠崎と会ってきた》

《あの丸刈りデブ。最低のクズヤローだった。しつこく舐め回しやがって》

《でも、収穫はあった。体と引き換えに呪殺のための五つのトリガーしっかりと教わった》

《忘れないようにここに記す》

《一、鼻に『幸福の香』を――標的の体に幸福の香を染み入るまで浴びさせる》 

《二、耳に『慈愛の唱』を――標的に「星々、人の上」を口に馴染むまで唱えさせる》

《三、舌に『宗主の血』を――標的に宗主の血を飲ませる》

《四、肌に『唄結界』を――標的を唄結界に誘い込む》

《五、目に『絆の刻印』を――標的の目に絆の刻印を焼き付け、肌身離さず持たせる》

《予想以上にトリガーの数が多いし、内容も面倒くさい》

《入信させればいいと聞いていたから書類でも書かせればいいのかと思ってたけど》

《昔、父さんが言っていた。「入信」とは宗主の家族となること。血を超えて宗主と一体となること》

《黙れよ、役立たずが。やるしかない、私ならできるはず。》

《最強のネクロマンサーまであと少しだ》


《2019年 3月25日》

《篠崎と会うのはこれで最後だ》

《あのブタヤローめ、勿体つけやがって。ベトベトした掌の感触がまだ残っている》

《でも、やっと手に入れた最後のアイテム『宗主の血』》

《これで準備は整った。全人類に告ぐ、私を恐れろ》

《私は最強のネクロマンサー。気分一つで死をもたらす》

《高校生になるのが楽しみだ》


「……嘘でしょ、莉子りこ

 眩暈を感じて天文ブックを閉じた。

 明かりを失い闇に戻った小屋の床がぐらぐらと揺れ始める。

 吐き気が込み上げてきて瞼を閉じた。目を閉じても闇はぐるぐると回っていた。

 あり得ない。あり得ないあり得ないあり得ない。

 なんだ、これは。これはいったい誰の日記なんだ。高校に入る前、莉子は何をやっていたんだ。

 尾島おじま貴子たかこを呼び出す五つのトリガー。

 そんなものをなぜ莉子が知る必要がある? そんなものをなぜ莉子が使役する必要がある? これは何かの間違いだ。

 ………でも。

 吐き気を堪えて、もう一度天文ブックをひらいた。見るべきは尾島貴子を呼び出す五つの条件、その二つ目。


《二、耳に『慈愛の唱』を――標的に「星々、人の上」を口に馴染むまで唱えさせる》 


 星々、人の上。

 私はこの言葉を知っている。

「星々、人の上……」

 カラカラに乾いた喉から無理矢理声を絞り出した言葉には、自然と音階が乗っていた。

 私は、この歌を知っている。


 星々、泡の上……。

 星々、花の上……。

 星々、空の上……。

 みんなを見てる……。

 わたしも見ている……。


 すでに口に馴染んでいる。


 体の奥底から震えがこみ上げてきた。

「……これって晴れの御まじないじゃなかったの?」

 天王星食観察の前に、莉子が私達に教えてくれた空が晴れる御まじない。

 その日から天文部の野外観察の恒例になった御まじない。

 みんなで何度も何度も歌った御まじない。

「それがどうして……呪殺のための五つのトリガーの一つと同じなの?」 

 いや、符合するのはそれだけじゃない。


《一、鼻に『幸福の香』を――標的の体に幸福の香を染み入るまで浴びさせる》


「ねえ、莉子。莉子がみんなに作ってくれた匂い付きクッションって……まさか」

 香りが強すぎて部室の異臭騒ぎにまで発展した全員分のクッション、莉子は確かに言っていた、あれは「幸せの香り」だと。

 涙で画面が歪んだ。御まじないの歌を嘲笑うように雨音はさらに強くなる。


「……莉子だったの?」

 タブレットの画面に向かって問いかけた。

 莉子がみんなを呪っていたの?

 尾島貴子を召還する五つのステップ、私達は気付かないうちに踏まされていたの?

「違うよね、莉子……」


 そんなことあり得ない。莉子がそんなことするわけない。

 だって、莉子は優しいから。

 誰よりも天文部を愛して、

 誰よりも部員思いで、

 いつもみんなのことを考えていて、

 いつもニコニコと笑っていた。

 そんな莉子が、部員達を呪う理由がない。私達が莉子から呪われる理由がない。

 これはきっと何かの間違いだ。震える指で次の日記を開いてみる。


《2019年 4月27日》

《天文部に入ることになった。部員はみんな一年生ばっかり》

《先生も若くて綺麗な人だった》

《素晴らしい仲間に出会えた。全員が部室に揃った瞬間、運命を感じた》

《しっかり者の七楓、賢い蛍、楽しい芝くん、おしゃれで可愛い智恵理》

《みんな百点満点の友達だ。私達はきっと前世で繋がっていたんだと思う》

《これから楽しい思い出をいっぱい作っていこうね》

《みんな大好き》


「……莉子」

 安堵のあまり気が遠くなりそうだった。

 やっぱりそうだ。莉子はやっぱり私達の莉子だった。

 良かった。本当に良かった。どうしよう、泣きそうだ。まだ動悸は収まらないけれどカーソルを進める指は軽くなった。次の日記を覗いてみる。


《2019年 5月2日》

《マドレーヌを作って持って行ったら皆喜んで食べてくれた》

《七楓以外》

《七楓お嬢はお嬢だから、他人が作ったものが食べれないんですって》

《繊細アピールうざっ》

《鈴前七楓 マイナス1点》


 ……え?


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