五章 永見智恵理と鈴前七楓 6(ながみちえり と すずまえななか)
叫び声も上げずに小屋の中に飛び込んだ。
煉瓦を握った両手を振り上げる。
フルスイング。
「ぐあっ」
乾いた打撃音が辺りに響く。私はのしかかるようにして佐原悟と一緒くたに床に倒れこんだ。祭壇が倒れ、小物が散らばり、右肩を砕かれた佐原悟が悲鳴を上げてゴザの上を転げ回る。
――外した。
右足が何かに躓いて狙いが逸れた。もう一度だ。
「やめろ!」
と、佐原悟の叫び声が響いた。
「殺すな! 本部には出向く! おだいじ様にはちゃんと説明する! だから、殺さないでくれ!」
私を誰と勘違いしているのだろう、佐原悟がゴザの上を這いずりながら必死に弁解の声を上げている。
まだ行ける。こいつはまだ私が女だと気付いていない。
やるなら今だ。立ち上がって再び煉瓦を振り上げるが、今度は左足につっかかりを感じてつんのめってまた倒れた。衝撃で煉瓦がすっぽ抜けて床を滑る。
くそう。さっきからなんだ。足元に何があるんだ? 触った感触はズタ袋。太い大根がズタ袋に入れられて……ああ、違う。
これは足だ。二本の足。
鳥肌が全身に走った。誰の足だ。佐原悟、お前は誰の体をこんな袋に入れて運ぼうとしてるんだ。
「
「……お前、まさか、天文部のやつか?」
佐原悟の声色が変わった。答えてやる義理などない、芝を返せ。ズタ袋を掴もうとして右手を伸ばす、
「――っ」
その瞬間、右足首に激痛を覚えて転倒した。
なんだ、今の痛みは。すぐに体勢を立て直そうとするけれど、さっき以上の痛みを感じて再びゴザに転がった。まさか足を挫いたか。
「そうか、天文部の最後の一人か……驚かせるな」
その間に、余裕を取り戻した佐原悟がゆっくりと立ち上がった。
肩を押さえてはいるけれど、意識も動きもはっきりとしている。
最悪だ。形勢は悲しいほどあっさりと逆転した。
「……まさか、お前の方から来てくれるとはな。好都合だ」
佐原悟が一歩を踏み出した。ブーツの底がゴザに散らばった何かの破片を踏み潰す。嫌な音が鼓膜を突いた。
「来るなっ!」
恐怖が一気に押し寄せた。
闇雲に手を這わせ、掴んだ端からめちゃくちゃに投げつけた。写真立て、徳利、杯、木片、とにかく投げれるだけ投げつける。
「やめろ」
佐原悟は苛立たしげに声を上げ、ズタ袋の後ろに身を隠した。
……ああ、ちくしょう。
お前、誰の体を盾にしてるんだ。
悔し涙が溢れた。許さない、絶対に許さない。このままでは死ねない。せめて、せめて一矢を。武器を求めて伸ばした手がひやりとした金属の感触を捉えた。
なんだ、これ? なぜこんなものがここにある? まさか、芝が……。
「大人しくしろ。そうずればすぐにすむ」
そう言って佐原悟がもう一歩を踏み出した。こっちが動けないことを見透かしているのだろうか。酷く無造作で無防備な一歩だった。
もう、迷っている暇はない。やるしかない。座り込んだ姿勢のまま、左手に握ったスマートフォンを突き出した。
「動くな! 撮ってるぞ!」
本当は撮っていない。左手だけで録画の操作まではとてもできない。ただかざしているだけ。
「やめろ!」
それでも効果は覿面だった。一瞬にして佐原悟が激怒する。ズタ袋を打ち捨てて、スマートフォンを取り押さえるべく突っ込んできた。
そうだ、来い。私はもう動けない。だから、お前の方から飛び込んで来い。
殺してやる、芝から受け継いだ、この殺意で。
佐原悟の伸ばした手がスマートフォンに触れる。
その瞬間、左手を引いて代わりに右手を思い切り突き出した。
「――っ」
ゾッとするような感触が掌に走った。
刺した。人を刺した。
「あ……あ……」
佐原悟が信じられないといったふうに目を見開いた。言葉になりそこなった空気をパクパクと吐き出す。力を入れて腕を押し込むと、佐原悟は何の手応えもなく後退し、尻餅をつくようにしてそのまま後ろに倒れて横たわった。
「ありがとう、芝……」
その胸には芝から受け継いだ殺意が――新品の果物ナイフが深々と突き刺さっていた。
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