五章 永見智恵理と鈴前七楓 5(ながみちえり と すずまえななか)
プラットホームに降り立つと、待ち構えていた熱気に全身を包まれた。
車両とホームの隙間から湧き出す煮立った空気が、触手のようにぬめぬめとショートパンツの中を這い上がってくる。
人影も疎らな夜の
さすがにこの時間ともなれば『歌の樹』も歌っていないらしい。あれが芝の寄った店だろうか。すでに灯を落とした百円均一ショップを横見に見つつ、私はロータリー脇の小道に入った。雑木林と溜め池に挟まれた未舗装路、前にこの道を通ったのは一週間前のことだったか。信じられるか、その時私は五人で歩いていたんだ。
汗を拭いながら先頭を歩いていた
私のちょうど右横を歩いていた
みんなを気遣ってわざと陽気にふるまっていた
「なんで、こんなことに……」
現実が受け入れられない。涙で視界が滲んだ。遠くで雷鳴が轟く。予報通り天気が崩れ始めているのだろう。
砂利道を進みながらスマートフォンを開き、もう何度目になるかわからない動画を再生させた。
虚ろな目をした髭面の男が画面の中から私を見つめている。背中に震えが走った。
「なんなんだよ、お前は」
こいつの目的はいったいなんなんだ。
思えば最初の最初からこいつの行動は意味が不明だった。
なぜ、たった一人の娘を
なぜ、写真を撮ろうとした妻のスマートフォンを執拗に破壊した?
なぜ、天文部のメンバーを片っ端から殺していく?
なぜ、『
呪い返しとは、いったい――。
何一つわからない。いくつものなぜが頭の中を駆け回る。
ややあって、佐原家の広い庭が視界に映った。未舗装路は途切れ、アスファルト敷きに切り替わる。その境目に転がっていた煉瓦を拾い上げると、疑問は一つの意志に集約した。
「……殺せば、全部終わりだ」
佐原家の門は開け放たれていた。
母屋に明かりは灯されていない。体をひっかけないよう注意深く門の隙間から侵入し、庭に抜ける。星明りに照らされて、正面に例の小屋の輪郭が浮かび上がっていた。
近づくと中からゴソゴソと音が聞こえる。人間が動いている音だ。
佐原悟か、それとも芝か。身を低くして鼻から息を吸い込む。湿った草の匂いがするだけで血の匂いはしなかった。開きっぱなしの戸口から中をうかがう。
いた、佐原悟だ。
薄暗くて顔はよく見えないけれど、あのシルエットは間違えない。男にしても大きすぎるあのシルエットは間違えようがない。
全身が総毛立った。煉瓦を握りしめる。いくしかない。佐原悟はまだ私の存在に気付いていない。中腰になって何やらゴソゴソとやっている。
今しかない。みんなの仇だ。死ね、佐原悟。呪い返しも関係ない。お前が死ねば全て終わるんだ。行くしかない、覚悟を決めろ。
「………」
ああ、でも。
動かない。
足が出ない。
一歩を踏み出せと命じた膝は、ただ小刻みに震えるだけ。震えは止めようもなく全身に伝播し、たちまち奥歯をガチガチと鳴らした。
怖くて仕方がなかった。
私は人を殺すのか? 何で私がこんなことを?
女なのに。子供なのに。
息が苦しい。視界が滲んだ。
涙が零れないように天を仰ぐと、どす黒い雨雲が窒息させるように分厚く夜空を覆っていた。
『星々、空の上……』
唐突に声が聞こえた。
『星々、泡の上……星々、花の上……』
星も見えない曇天の下、頭の中に聞こえてきた。
それは、天文部のみんな声。先生の声、蛍の声、智恵理の声、水原の声。
『星々、空の上……みんなを見てる……わたしも見ている……』
莉子の声。
御まじないだ。みんなで唱えた空が晴れる、あの御まじない。
涙が止まった。呼吸が僅かに軽くなる。
お願いみんな、勇気をちょうだい。
「――っ」
叫び声も上げずに小屋の中に飛び込んだ。
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