四章 芝 大悟(しば だいご)6
『もしもし、
いい加減無視もしきれなくなったので電話に出ると、スマートフォンから聞こえてきたのは
「どうした?」
『どうしたじゃないじゃん。何回も電話したのに。今どこにいるの?』
「悪い。母さんからかと思って無視してた。今は
自動ドアで入店してくる主婦とすれ違いながら俺は答えた。
『前畑って……何する気なの、あんた』
駅名で目的地の見当が付いたようだ。鈴前の声に危機感が加わった。俺は一旦スマートフォンを耳から離し、首の骨を鳴らしてから目的の場所へと向かって歩き出した。
「
前畑駅は莉子の家の最寄り駅。
溜池の水臭い匂いが周囲に漂う一見牧歌的な町、全てはここから始まったんだ。
『待って、何考えてるの! やめなよ! 危なすぎるって。ねえ、聞いてんの?』
予想通り鈴前は火のついたように抗議するが、
「
『……え?』
俺の一言で押し黙った。
「佐原悟は俺の家の後に蛍の家に向かったみたいだ。間に合わなかった」
『……嘘』
「
『ついてない。全然電話に出なくて』
「そうか」
『嘘、まさか
「だめだ、警察は」
戸惑う鈴前に、さっきまでの経緯をかいつまんで説明した。蛍の家のアパートで百地さんに出会ったこと、呪い返しのこと、篠崎の話、そして、ついさっき
留守録メッセージを繰り返し聞こうとする百地さんを、野上達は抱え上げるようにしてパトカーに運び込んだ。誰もが百地さんの状況に同情を禁じ得ない様子だったけれど、末端の彼らに命令を覆す権限はないらしい。野上は俺にも家まで送ると申し出てくれたけれど、すぐ近所だからと嘘をついて断った。
走り去るパトカーを見送り、俺はそのまま駅に向かって駆け出した。途中何度も家から電話があったけれど無視して走った。
佐原悟が許せなかった。仲間が殺されたことももちろんだけど、泣き崩れる百地さんを見た後に、自分だけ家に帰って風呂に入って寝るわけにはいかなかった。
『だからって、あんたが一人で行って何する気なのよ』
「決まってんだろ。百地さんの代わりに呪い返しのヒントを探すんだよ」
「無理よ、そんなん」
『無理でもやるんだよ。このままだと俺達皆佐原悟に殺されるんだぞ』
『でも、呪い返しの方法なんて素人が探して見つかるものなの? ヒントが何なのかもわからないんでしょ』
「まあ、そうだけど。わからなかったら、そん時はそん時だ。別の方法でやるしかねえ」
言いながら、俺は百均で買った果物ナイフを買い物袋からポケットに移した。
『芝? あんた何する気なの』
「最終手段だよ。このまま黙って殺されるわけにいかねえだろ」
そうだ、いざとなったら呪いも呪い返しも関係ない。佐原悟の凶行を確実に終わらせる方法が、たった一つだけある。
何も向こうのルールに合わせてやる必要なんてない。極めてシンプルで誰にでもできる有効な方法、元を絶つんだ。
「ようくわかったよ。あいつはさ、この世に生きてていいやつじゃねえんだよ」
『芝……』
スマートフォンから聞こえる鈴前の声が泣きそうに震え出した。
「永見のこと頼むな」
『ねえ、待って、芝。お願いだから落ち着いて』
「落ち着いてるよ。もうやるしかねえんだって」
『わかった。じゃあ、私も行く。そこで待ってて』
「来なくていいよ。これは男の仕事だろ」
『でも、芝だけに任せるわけに行かないじゃん』
「お前はもう十分やってくれたからさ」
『え……?』
「動画見たわ」
『動画?』
「莉子んちの納屋の動画、百地さんに見せてもらった。お前すげーな、あんなもん撮影できて。俺、あん時ビビッて何もできなかったのに」
百地さんにあの動画を見せられた時、すごいと思うと同時に自分が情けなかった。あの時、あの小屋で、俺は何もできなかったのに。ただただ怖くて逃げることしか考えられなかったのに。同い年の鈴前は冷静に動画を撮影して証拠を残していた。鈴前はすごい、俺達にはできないことができてしまう。それがどこか悔しくもある。
「だからさ、今度は俺に頑張らせてくれよ」
『……芝』
「そんな声出すなよ。最終手段はあくまで最終手段だからさ。まずは呪い返しのヒントを探すことから始めるよ」
蛍が殺される前に繋いでくれた『呪い返し』というワード、俺が活かしてみせる。
『わかった。じゃあ、あの動画芝にも送るね。呪い返しのヒントを探す手助けになるかもだし、共有しとこ』
「おお、頼むわ。じゃあな」
『気を付けて。絶対無茶しないでね』
電話を切ると、すぐに鈴前から動画が送られてきた。「共有しとこ」、鈴前の言葉が頭の中で繰り返される。
いい言葉だと思った。小中と地元の少年野球に明け暮れた自分がなぜ天文部に入部したのか思い出した。クラブチームでは味わえない学校だけの経験が欲しかったからだ。仲間と、みんなで。
天文部は他の部活と比べて行事の数は少なかったけれど、それを補うように色々と理由をつけて集まり合った。試験前になると部室は自習室と化し、みんなで喋りながら勉強した。先生役はいつも莉子だった。勉強の苦手な俺と永見のために自分の勉強を後回しにして教えてくれた。莉子が勉強を教えてくれるようになって、俺はちょっとだけ勉強が好きになった。そう伝えたら莉子は本当に嬉しそうに笑ってくれた。
傍らの溜め池で魚が跳ねた。莉子の家はもうすぐだ。
改めて鈴前から送られてきた動画を見返してみる。執拗にスマートフォンを壊そうとする佐原悟とそれを止めようとする母親。
この母親はなぜこんなにも写真を撮ることにこだわっていたのだろう。土下座をし、涙ながらに記念写真を懇願していたことを思い出す。そういえば、みんなで渋々並んだ時にもおかしなことを言っていた。
『そこは莉子の場所だから』
あの母親にはいったい何が見えていたのだろう。
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