四章 芝 大悟(しば だいご)5
「警察?」
「おい、ふざけんなよ、
「呼んでへんわ。いや、呼びはしたけどコイツらやないし、ここにでもない。なんやコイツら」
「今晩は。B町署強行犯係の
「B町署のキョウハン……
「……ちょっと、お話を聞かせてもらってもいいですか?」
「別にいいですけど、こんなところで?」
「話は署の方でうかがいます」
「そうでっか。ほなら先導してください。ついていきます。ついでに古屋さんに合わせてください」
そう言って百地さんが窓を閉めようとした手を強引に野上が捕まえた。
「我々のパトカーでどうぞ」
「は? せやかてここに車置いて行かれへんでしょ。いいですよ、ついていきますから」
「お車は我々の方で移動させますのでパトカーへどうぞ」
「え?」
会話が噛み合っていない。どうやら警察は、百地さんに車を降りてパトカーで署まで来てもらいたいようだ。どういうことだろう。これじゃあ、まるで……。
「どういうこと? ちょっと、古屋さんに連絡してもらえるかな?」
「あんまりゴネないでもらっていいかな。逮捕状取ってもいいんだよ」
野上と名乗った刑事はもう敬語をやめていた。気が付くと助手席側の窓の前にも刑事と思しきスーツ姿の男が回り込んでいる。前にも後ろにもいる。囲まれている。なんだ、これ。
これじゃあ、まるで……百地さんが逮捕されるみたいじゃないか。
「百地淳さん、あなたには二年前の公務執行妨害および器物損壊の容疑がかかっています。大人しくついて来てもらえませんか」
「二年前? いつの話をしとんねん。ねえ、古屋さんは? 古屋さんと話させてくれ」
「できません」
「なんでや」
「管轄が違いますので。古屋はつい先ほど辞令を受け取り、C署の交通課に異動になりました」
「な……」
百地さんの顔色が変わった。古屋という名前には聞き覚えがある。確か有沢先生の葬儀の時に尋ねて刑事の一人だ。あの人が百地さんの言う警察の知り合いだったのか。
でも、何か様子がおかしい。大人の事情はよくわからないけれど、異動ってこんな休日の夜に突然命じられるものなんだろうか。助手席の側に立った刑事はまるで感情を失ったような顔でこちらを見下ろしている。篠崎は蛇に睨まれた蛙のように脂汗を流して固まっていた。
百地さんは俺を親指で差しながら、野上と名乗った刑事に顔を寄せる。
「少し、こっちの子と話さしてもらってええかな」
「百地さん、窓を破ってもいいんだよ、こっちは」
「エンジンは切った。キーも渡す。だから一分だけこの子と喋らせてくれ」
「……一分だぞ」
車のキーを受け取って野上は一歩車から下がった。一応、あさっての方を向いているポーズはしているものの、意識はしっかりとこちらに向けられているのがわかった。百地さんはそんな野上を目線で牽制しつつ後部座席を振り返った。
「芝君、やられた。『
「はい?」
「『歌の樹』がB町署に手を回しおった。もう警察はあてにならん」
「そんな、嘘でしょ!」
「でないと、こんなタイミングでこんなことありえんやろ」
「でも、さっき佐原悟は『歌の樹』に関わらず単独で動いてるって言ったじゃないですか」
「だとしても逮捕されて教団の内情をべらべら喋られたら困るんやろ。恐らくB署に『歌の樹』の信者か依頼人がおる。それもかなり高い位置にな。篠崎、お前つけられたな」
篠崎は何も答えない。ただ青い顔をして「まずいまずいまずい」と呟きながら震えていた。
「そんな……」
信じられなかった。だって、ここは日本だぞ。そんなドラマみたいなことが現実に起こるなんて。
「署長かあるいは県警かもしれん。芝くんやっぱりだめや。君はもう手を引け、逃げろ」
嫌です、そう言おうとしたタイミングで再び運転席のウィンドウがノックされた。もう一分か。百地さんは大人しくドアロックを解除してシートベルトを外すと、
「逃げろ」
最後に口の形だけで念を押して車から降りた。
「ほれ、出てきたど。これで満足か」
そして、野上の前に立って相対する。
「ご協力感謝いたします」
「善良な一般市民虐めてご立派なことやのう。こんなことするために警察学校入ったんか」
「俺は俺の正義に従ってる。あんたみたいなペテン師に説教されるいわれはねえよ」
「お前かて何かおかしいと思ってるんやろ。こんなことが罷り通ってええんか」
「……改めまして、公務執行妨害と器物損壊で任意同行を求めます。行きましょう」
野上は一瞬感情を露わにして百地さんと睨み合うと、すぐに刑事の顔に戻って容疑者をパトカーに誘導した。百地さんと篠崎が並んで引き立てられて行く。その背中に助手席側に立っていた刑事が呼びかけた。
「あの、野上さん。アパートの子供の変死の容疑は言わなくていいんですか?」
「ああ。それはまあ……いいだろう」
びたりと足を止めて野上が答える。
「おう、なんや。子供の変死て」
「何でもない。行きましょう」
「もしかして、蛍のことか。蛍も俺が殺したことになっとんのか、おお?」
「いや、それは……」
百地さんに詰め寄られ、初めて野上が弱気な姿勢を見せた。
「一応、息子さんの百地蛍さんの変死についてもあなたが重要参考人ということになっている。息子さんが最後に電話をかけた相手があなただからだ。ただ、留守録を聞く限りあなたは犯人ではないだろうと……思った」
「留守録?
「聞かない方がいい!」
スマートフォンを取り出そうとした百地さんの腕を、野上が抑えた。
「離せや、おい」
「悪いことは言わん。聞くな」
「なんでそんなこと指示されなあかんねん。そもそも、お前は聞いたんか?」
「……聞いた。俺にも息子がいる。だからわかる。今は聞くな」
「なんやそれ、どんなメッセージが吹き込まれとんねん」
百地さんに問われ、野上の瞼が痛みを堪えるように強く閉じられた。
「恐らく息子さんが亡くなる瞬間の声だ」
「蛍が?」
「……あなたを呼んでた。助けてくれと泣きながら」
「離せ!」
「聞くな!」
野上の制止を振りほどき、百地さんはスマートフォンを引っ張り出した。左の耳を指で塞ぎ、右の耳にスマートフォンを押し当てる。
「―――っ」
次の瞬間、百地さんの叫び声が駐車場に響きわたった。それは、今まさに耳に刃を突き立てられているかのような悲痛な声だった。
「蛍! 蛍! 蛍!」
膝から崩れ落ちながら何度も何度も息子の名前を呼んでいた。
野上も、車を囲んでいた刑事達も、俺も、篠崎でさえも、誰一人として百地さんを直視できなかった。
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