四章 芝 大悟(しば だいご)4
高速道路を降りた
何かをぶつぶつと小声で呟き、信号に捕まるたびにスマートフォンを弄って誰かにメッセージを送っている。
時刻はすでに夜の八時を回っていた。すっかり存在を忘れていた自分のスマートフォンを覗くと、母さんからゾッとする程のメールと電話の着信があった。
どうやって言い訳すればいいんだろう。頭を抱える俺に百地さんは、「変なおっさんに誘拐されましたって言えばいいやろ」大真面目に言って、ホームセンターのだだっ広い駐車場に車を入れ、またしてもポツンと離れた位置に停車した。
「よし、ここでちょっと待つぞ」
「なんですか、ここ。買い物でもするんですか?」
「せえへんよ。待つって言ったやろ。今日ここでネタ元と落ち合う予定やったんや。すまんけどちょっと付き合ってくれ。それから、後部座席に移ってくれるか?」
ドアロックを解除すると百地さんは後部座席を親指で示した。
「ネタ元って……」
「『
「『歌の樹』の情報を買うってことですか?」
「
百地さんの言葉通り、ヘッドライトが暗い駐車場の中を走り抜けてきた。一台の白いセダンが、ポツンと浮いて駐車した百地さんの軽自動車の隣までわざわざやって来てブレーキをかける。
「待たせたな」
そう言って軽自動車の扉を開いたのは、『歌の樹』の道着を着た坊主頭の男だった。年の頃は百地さんと同じくらいだろうか。丸々と太っており、助手席に腰を下ろすと車の重心がグンと左に偏った。
「後つけられたりしてへんやろな、
「……誰だ、こいつは」
百地さんの言葉を無視して、篠崎と呼ばれた男は後部座席の俺に無遠慮な視線を向けてきた。疑念という言葉を具現化するような不快な視線だった。
「まあ、気にすんな。ギャラリーみたいなもんや。ほら、約束の金や。確認しろ」
「おお、いい匂いだ。やっぱ現金の匂いはいいねぇ」
差し出された茶封筒を奪い取り、篠崎は中に鼻を突っ込んだ。そして、シンナーでも吸うように鼻息で封筒を膨らませてはへこませる。
この世にこんな下品な大人がいるなんて。誰だか知らないけれど、出会って五秒で同じ社内にいたくないほど嫌いになった。
「で、何が知りたい?」
「メールで送ったやろ。佐原悟について洗いざらいや」
「佐原ねぇ。今さらなんであんな奴のことが知りてえんだよ。言っとくがあいつはもう長くねえぞ。早晩、教団に始末される。あいつは勝手に動きすぎた」
「いいから教えろ。佐原悟はいつから教団にいる」
「入信したのは十年以上前だ」
「なんで教団の犬になった?」
「借金だよ」
「借金?」
「よくあるパターンなんだよ。教団の汚れ役をやらされるやつはだいたいこのコースだわ。どうしても殺して欲しい人間がいる。でも金がない。そういうやつは依頼料をカタに汚れ仕事をやらされるんだ。あいつは母親のコロシを依頼したものの金がなかったから、代わりに長年教団の手足として――」
「母親? 嘘でしょ?」
黙っていようと決めていたけれど、我慢できずに口走ってしまった。
「……なんだ、お前。誰なんだよ、本当に」
話を邪魔されてイラついたのだろうか、露骨に見下した目で俺を見つめる篠崎。そのたっぷりと肉のついた肩を叩いて百地さんがなだめにかかる。
「気にすんなって言ったやろ。で、母親って、あれか。佐原悟のオカンってことか」
「そうだよ、他にいねえだろ。何でも認知症を患ったとからしくてな。しばらくは佐原が仕事を辞めて介護してたらしいんだけど、まあ素人にはキツイわな。すぐに経済的にも身体的にも限界が来て教団泣きついたんだと」
「じゃあ、佐原悟の呪殺のターゲットはホンマに母親やったんか」
「そう言ってるだろ」
「娘やなくて?」
「娘? ああ、佐原の娘か。いやいや、違う。あいつは全然違うよ、あいつはな」
薄笑いを浮かべて篠崎は答えた。嫌な笑い方だった。もしかして、こいつは
「ほんで、佐原悟は『歌の樹』の裏のシゴトの噂を誰から聞いたんや?」
「そこまでは知らん。とにかく依頼は速やかに実行され、それから奴はずっと教団の手足として都合良く使われてる」
「……そうか」
煙草臭い息を吐き、百地さんは俺の顔に視線を振った。何が言いたいのかはすぐにわかった。
莉子じゃなかった――だ。
百地さんの推理では、佐原悟が殺人の依頼をしたのは娘の莉子。俺もてっきりそうだと思っていた。不登校になった娘の将来を悲観しての殺人依頼。でもそれが違うなら、莉子は誰に殺された? 死に方から考えて
「他に俺に聞きたいことは?」
車内に落ちた沈黙を破るように篠崎が問う。
「コロシの具体的な方法を教えろ。佐原悟は――教団の殺し屋はどうやって依頼されたターゲットを始末する? 尾島貴子を相手に送りつけるっちゅうとこまでは聞いた。問題はそのやり方や」
「へへ、やっぱりな。お前もそれが知りたいのか」
……やっぱり? ……お前も?
妙に気にかかる前置きを発してから、篠崎は短くて太い指をパーの形に開いて見せた。
「クリアする条件は五つだ。殺したい相手に五つのトリガーを踏ませればいい。それで尾島貴子はやってくる」
「尾島貴子にターゲットを認識させるための条件ってことやな」
「正確に言うと、認識させるんじゃなく誤解させるんだ」
――誤解?
「尾島貴子は五つのトリガーを踏んだ人間を
「尾島富士子……貴子の姉貴か」
「そうだ。尾島貴子はな、魂だけの存在になりながら、今でも自分を殺した尾島富士子とその一派を憎んでいる。だからターゲットを富士子派の信者に偽装させて、貴子のすぐ近くに放り込むんだ。貴子はすぐに喰いつくぜ。そのための五つの条件だ」
「近くってどこやねん」
「物理的な距離じゃねえよ。精神的な距離だ。スピリチュアルな側面からターゲットと尾島貴子を近づけるんだ」
「意味わからん。わかるように言え、デブ」
めんと向かってすごいこと言うな、百地さん。篠崎という男に好感を持っていないのは俺だけじゃないようだ。
「理屈はどうでもいいだろう。俄か信者のお前には理解できない領分だ。とにかく、五つのトリガーをターゲットに踏ませるんだ。それで尾島貴子はやってくる。教団はそれをこう教えている」
――鼻に『幸福の香』を。
――耳に『慈愛の唱え』を。
――舌に『宗主の血』を。
――肌に『
――目に『絆の刻印』を。
「待て、録音する。もう一回言ってくれ」
「録音はだめだ。メモしろ」
「面倒くさいのぉ。何て言った? 唄教会がなんやって?」
手帳をパラパラと開きながら百地さんが聞き返す。
「ちゃんと順番通りにメモしろよ。手順が入れ替わったら成立しないからな。順序が大事なんだ、順序が。まず、鼻に『幸福の香』を――だ。これはターゲットの体に『歌の樹』が特別に配合したお香の匂いを染み込ませろって意味だ。次に、耳に『慈愛の唱え』を――。これはターゲットに『歌の樹』の唄を歌わせろって意味で、歌詞は……」
これはもしかして、俺もメモった方がいいのだろうか。そう思ってスマートフォンのメモ機能を開いたそのタイミングで、
――コンコン。
と、運転席のウィンドウがノックされた。
一瞬、ホームセンターの店員に見咎められたのかと思ったけれど、運転席の窓を覗き込んでいたのは銀縁眼鏡をかけたスーツ姿の頬のこけた男。一目で接客業を生業とする人種でないことは察しがついた。
百地さんが不審げに色眼鏡を下して見つめ返すと、男は警察手帳を開いてべたりと窓に張り付けた。
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