四章 芝 大悟(しば だいご)1
「うわ、無理か!」
血飛沫を連想させるエフェクトがテレビの画面一杯に広がり、手の中でコントローラーが振動した。
「ごめん! くそう。頼む、味方」
油断した。勝ちを確信して調子に乗って最悪のタイミングで殺された。自分の操作キャラクターが撃破されると、スタート地点に戻されたうえに数秒間ゲームに復帰できなくなる。
試合終了まであと十秒。こうなると完全に味方頼みだ。状況は自チームに有利、タイムアップまで味方が盤面を維持できればこっちの勝ち。
「頼む、頼む、頼む」
無駄だと知りつつコントローラーのボタンを連打する。試合終了まであと三秒……二秒……一秒……ゼロ。
「っしゃあ! 味方マジ神!」
コントローラーを放り出して拳を握った。
と同時に部屋の扉が開き、外着に着替えた母さんが仏頂面を突き出す。
「
「あ、ごめん」
「ホント何回言っても、あんたはもう。次に大きな声出したらゲーム禁止だからね」
「わかったよ、ごめんって」
「お母さん買い物行ってくるから。静かにゲームすんのよ」
「え、なんで行くの?」
「なんでって。世の母は行くでしょうよ、買い物には。総じて」
「じゃあ、俺も行くよ」
「なんでよ、あんた体調悪いっつって寝てたんじゃないの?」
「いや、それは……」
母さんに疑いの目で見下ろされ、俺は視線をコントローラーに落とす。
「え、違うの? あんたなんで休日に仮病使ってんのよ?」
「そんなんじゃないし、でも……」
「ふーん。まあ、とにかく行ってくるから。静かにね。無言よ、無言。無言ゲームを心がけるのよ」
「母さん!」
「何よ」
「……いってらっしゃい」
行かないで。喉元までせり上がってきたその言葉は、唇を通過した瞬間に真逆の意味になって吐き出された。
玄関の扉が閉まり、外から施錠される音が一軒家にやけに大きく響いた。
「参ったな……」
自転車に乗って走り去っていく母さんの姿を二階の窓から見送って、カーテンの隙間を閉じる。
まさか、母さんまで出て行ってしまうなんて。父さんは登山、姉ちゃんは買い物。一人になりたくないから家に籠っていたのに逆に家で独りぼっちになるとは思わなかった。
たった一人の家の空気はどこかよそよそしくて刺々しい。やっぱり、母さんについていくべきだっただろうか。でも、何と言って? 一人は怖いから? 言えるわけない。
「くそう」
頭がずんと重くなり、ベッドに横たわった。
体調が悪いのは本当だった。
「何が呪いだよ」
そんなものあるはずがないだろう。
溜息をついて枕の下に埋めていたスマートフォンを手に取った。ひっきりなしに届いていた電話やメールの通知は、少し前からすっかり鳴りを潜めている。ようやく諦めてくれたか。改めてアプリを開いてメッセージを読み返す。
《蛍 結論から言うと、永見の予想が当たってた》
「そりゃあ、そう言うだろうよ、あの親父さんは」
そっち側の人なんだから。オカルトでお金を稼いでいる側の人なんだから。職業上の理由から心霊系に寄った意見を吐くに決まっている。
それでも、永見はきっと真に受けるだろう。蛍はもちろんとして葬儀場の様子からして鈴前も怪しい。今頃三人の間では
「バカバカしい! バカバカバカ!」
本当に下らない。百歩譲って呪いというものが実在するとして、何で俺達が狙われるんだ。俺達があの親父からなんの恨みを買ったというんだ。
「……あの部屋に、入ったからか」
吐き気がこみ上げてきた。
認めたくはないけれど、あの部屋を一言で表すなら、呪いの部屋だ。あの部屋のことを思い出すと今でも見えない手に首筋を撫でられている感覚に襲われる。凍えるような空気、気味の悪い模様が描かれた大きな旗、布がかけられた祭壇、大小様々な食器、額に入った白黒写真。なんでこんなに詳細に覚えてしまっているのだろう。忘れたいのに忘れられない、呪いの部屋。
「だめだ、行こう」
ベッドから飛び起きた。やっぱり、母さんの後を追おう。理由なんてどうでもいい。とにかく早くスーパーへ……。
――ガチャリ。
自室の扉を開こうと手を伸ばしたその瞬間、一階から玄関扉を引く音がした。
開く音じゃない。外から引かれた扉が鍵に弾かれて止まった音だ。家族の誰かが返ってきたのだろうか。
……おかしい。
すぐに違和感に気付いた。
……じゃあ、誰だ?
耳を澄ましてみても、それ以上の物音は聞こえてこなかった。なぜだ。誰が、なんのために玄関扉を一回だけ引いたんだ。
まるで、鍵がかかっているか確認するかのように。
息を殺して部屋を出た。足音を忍ばせて階段を降りる。そんなことがあるはずがないとわかっているけれど、頭の中に
玄関の扉は閉まったままだった。開かれた形跡もない。踵を返して廊下を渡り、リビングルームの扉に触れる。息を止めて一気に引いた。
「うわぁっ!」
佐原悟がそこにいた。
頭の中に思い描いたそのままの姿で立っていた。
「何? 何? なんで! なんでここにいるんだよ!」
後ずさろうとして腰が抜けて尻餅をついた。立ち上がることができず、必死に足や肘で床を掻いて後退する。
「…………」
佐原悟はそんな俺を黙って見下ろしていた。俺が跳ね飛ばしたスリッパを鬱陶しそうに足蹴にしながら。
「芝……大悟だな」
低く抑えた声で佐原悟がそう言った。
鼓膜から恐怖が入り込んでくる。
現実だ、現実に佐原悟がいる。
ヤバいヤバいヤバい。ありえない、なんでこいつがここにいるんだ。
そもそもなんで家を知っている? なんでいきなりリビングにいる? 玄関扉は閉まっていたはずなのに。
「死にたくなかったら答えろ。芝大悟だな……天文部の」
唇に人差し指を押し当てて、佐原悟がもう一度言った。
同時に悪寒が背中を駆け抜ける。唐突に確信した。
こいつは人殺しだ。それも一人、二人の話じゃない。何人もの人間に死を送りつけてきた、そういう人間だ。そういう目をしている。莉子も先生もこいつが殺したんだ。俺もきっと殺される。思考が動揺で散り散りになる。佐原悟はそんな俺を冷静に見つめて三度尋ねた。
「芝大悟だな……顧問と付き合っていたな」
「は? 顧問と?」
なんだ、急に何を言い出した?
「違うのか?」
その時、初めて佐原悟の冷静さが崩れた。眉間に大きく皺を寄せ、膝を折って俺の顔を覗き込む。
「おい、お前しかいないだろ。天文部に男はお前だけだ。お前が顧問と付き合っていたんだろ」
何のことを言ってるんだ、こいつ。意味はわからないけれど激しく動揺していることだけは窺えた。そう思った途端に、ふっと体が軽くなった。硬直していた手に感覚が戻る。
「動くな! 撮ってるぞ!」
咄嗟にスマートフォンのカメラを佐原悟に向けた。なぜそんなことをしたのかわからない。こんなものが何かの脅しになると思えないけれど、何かをしないわけにはいかなかった。これで少しでも状況が変わってくれれば……
「ちくしょうっ」
しかし、変化は思っていた以上の大きさで訪れた。
佐原悟はまるで発砲でも受けたように身を翻すと、大慌てで開けっ放しの窓に突進した。
「……え?」
そして、庭に転がり出てそのまま全速力で駆けていく。
「……え、ええ?」
声をかける隙間もなかった。
佐原悟は瞬間移動と見紛うほどに、一瞬にして我が家から消失した。
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