三章 百地 蛍 (ももち ほたる)7
《蛍 今日、父さんに会ってきた》
《蛍 色々聞けたよ。ヤバい話がいっぱいあった》
《蛍 結論から言うと、永見の予想が当たってた》
《蛍 直接会って話したい。今日みんな集まれるかな? いつもの虫眼鏡のベンチで》
《蛍 みんなが思ってるよりずっと、佐原悟はヤバいやつだった》
『
《七楓 お疲れ様、ありがと。今家族でおばあちゃんの家だから夕方からでもいいかな》
返信があったのは鈴前だけで、実際に待ち合わせ場所に現れたのも鈴前一人だけだった。
「来ないね、
学校近くの小川の土手、人気もなくポツンと一つだけ設置されたベンチ――僕達が『虫眼鏡のベンチ』と名付けた木製ベンチに腰かけた鈴前は、流れに小石をほうり込みながら呟いた。
「来ないな、あいつら……どうしたんだろう」
送ったメッセージには即座に既読がつくけれど、二人とも何度電話をかけても一向に出る気配がない。あと十分だけ待とう、もう十分だけ、最後に十分だけ、を繰り返して太陽はもう西のマンションの屋上にかかっている。
「ねえ、
「……わかった」
二度手間になることは多分ない。そんな確信にも似た予感があったので、僕は父さんから聞いた話を可能な限り詳しく鈴前に伝えた。
自分でもにわかに信じられないような話を他人に話すのは難しい。我ながらまったく上手に伝えられた気がしないけれど、鈴前は笑うこともなく、疑義を挟むことなく最後まで話を黙って聞き、
「……なんなのよ、それ」
最後に溜息を言葉に変えるようにしてそう言った。
「『
「僕も初めて聞いた時はとても信じられなかった」
「今は信じてるってこと?」
「少なくとも父さんは嘘をついていないと思う。つく理由もないからね」
「でも、そうなると
「とても信じられないけど、そうなる。父さんが言うには身内が依頼している可能性が高いって。あの二人の場合は多分、親……かな」
「そんな」
涙を堪えようとしているのだろうか。鈴前は唇を噛みしめて懸命に眉間に力を込める。しかし、試みはすぐに失敗して頬を伝った滴が地面を濡らした。
「まあ何にしろ、これでもう心配する必要はなくなったよ。佐原悟は『歌の樹』に依頼がない限り動かないことがわかったし、まともに生きていればそんな依頼をされることもない。万一あったとしても入信しなければ呪われない。もうこれ以上の被害が出ることもないよ」
「そう……だね。安心した……ありがとう」
鈴前はそう言ったけれど、とてもその声はとても平穏を取り戻しているようには聞こえなかった。
「鈴前、大丈夫?」
「ごめん、大丈夫。大丈夫……なんだけど。でもやっぱり許せないよ。佐原悟、なんなん、あいつ。なんで親が娘を殺すの? あんないい子どこにもいないのに。お前が死ねよ」
珍しく鈴前の口から吐き出された暴言はしかし、弱弱しく涙に湿って川のせせらぎにかき消された。
「
「莉子が授業に出なくなったから? それで莉子が邪魔になったの? あんまりだよ」
「…………」
不登校になった莉子の将来を悲観して――最初は僕もそう思っていた。でも、父さんの話を改めて反芻した今、僕の中にはもう一つの可能性が浮上していた。
「なあ、鈴前。莉子ってさあ、佐原悟の仕事のこと知ってたのかな?」
「え?」
「佐原悟が呪殺を請け負っていたこと、知ってたと思う?」
「それは……多分、知ってたと思う」
自信なさげに鈴前の顎が下げられる。
「僕もそう思うんだよ。家の庭にあんな気味の悪い祭壇作っちゃうくらいだし、莉子は賢いからきっと気付いていたはずなんだよ。で、気付いた莉子はどうすると思う?」
「止めようとするよ。莉子は絶対」
今度の質問は即答だった。
「だよな。莉子ってそういうやつだよな。莉子は佐原悟を止めようとしたはずなんだ。でも、佐原悟が聞く耳を持たなかったとしたら――」
人を呪い殺すことを生業とする父親。思い悩み、追い詰められた莉子はどうしたか。
「鈴前は、呪い返しって知ってる?」
「呪い返し……?」
例え知らなくても字面からおおよその意味は汲み取れるだろう。
放たれた呪いを破り、呪詛を術者に返す儀式。呪いを扱う物語には必ずセットで取り扱われる呪術のリスク。
「莉子のお母さんが言ってただろ、莉子は例の呪いの祭壇で死んでたって。ずっと不思議だったんだよ。莉子はなんであんな場所で死んだんだろうって。あんな気持ちの悪い場所で何をしていたんだろうって。もしかして、莉子は佐原悟の呪いを破ろうとしてたんじゃないかな」
「莉子はあそこで呪い返しをしようとしてたってこと?」
「そう。そして、佐原悟に見つかって……」
「殺された……」
鈴前が唸るように呟いた。
「想像だよ。なんの根拠も証拠もない。でも、それなら色々と筋は通りそうな気がする」
「それはそうかもだけど、でも、呪い返しなんて普通の高校生にできるもんなの?」
「できるできないじゃなくて、やらなくちゃいけなかったんだと思う。莉子の中で」
「莉子……」
「僕、もう一回父さんに会って聞いてみるよ、呪い返しについて」
「いいの?」
「乗りかかった舟だしね。そうだ、鈴前。あの呪いの部屋のこと覚えてる? どんな作りだったのかとか、どんな物が置いてあったのかとか、父さんに説明したいんだ。僕、結構記憶が曖昧で」
「覚えてる。あと、これもある」
そう言うと、鈴前はスマートフォンを取り出して画面を指で擦った。
『やめて、悟さん!』
途端にスピーカーから女性の悲鳴が迸った。
「何これ? 動画? 莉子の家のあの小屋じゃん。撮影してたの?」
「うん。あの家なんかヤバかったでしょ。何かあったらすぐ撮影できるように準備してた」
「すごっ。めっちゃ、冷静じゃん」
「そんなことないよ。手震えてるし、心臓バクバクだったし。ね、どう? 役に立ちそう?」
鈴前がずいとスマートフォンを押し出してくる。僕はその画面をじっと見つめ、
「立つと思う、めっちゃ。父さん、写真すごく欲しがってたし。動画があれば最強だよ」
「じゃあ、蛍に動画送るね。よかった、役に立って。これ最初有沢先生に見せたんだけど、消せって言われちゃって」
「消さなかったんだ?」
「ううん、消した。でも、SDカードにコピー取ってたから」
やっぱり、冷静じゃないか。スマートフォンを操作する鈴前の横顔を見つめながらしみじみとそう思った。
出会ってからもう何度も思ったことだけど、鈴前は本当にすごい。同級生の中でも頭一つ抜きに出ていると思う。いつも冷静で洞察力があって計画性もあってそれを実行できる力もあって。知れば知るほど良いところが湧いてくる。
だから、僕は……。
「はい、送ったよ」
「サンキュー。これでもう一回父さんに会って詳しく聞いてみる。それで……安心できるよな?」
「え?」
驚いたように顔を上げ鈴前が僕を見つめる。
「鈴前、ほら最近ずっと不安そうだったからさ」
「………もしかして、私のために?」
「まあまあ、ね」
「ありがと、嬉しいよ。てっきり、有沢先生のためにやってるんだと思ってた」
「有沢先生? な、なんで」
予想もしなかった名前を出され盛大に声が裏返った。
「なんでって……蛍って有沢先生と付き合ってたじゃん」
「は? は?」
まさかこのタイミングでその指摘が飛んでくるとは思わなかった。いや、それよりも何よりも、
「だ、誰に聞いたの?」
「別に誰にも。二人を見てたらわかるし」
何を当たり前のことを、そんな顔で鈴前は答える。
「そうなの?」
「あ、誰にも言ってないからね」
「ああ、うん……サンキュ」
で、いいのかな?
「一応言っとくけど、大分前に別れてるから。僕ら」
「うん、それもわかってた。多分、三学期の終わりくらいだよね」
何でそんなことまでわかるんだ。もしかして、鈴前も霊能者か何かなのか。空恐ろしい思いで同級生の顔を見つめてみる。
「何よ。めっちゃ見るじゃん」
顔を見られるのが苦手なのだろうか、視線に気付いた鈴前が顎を引いて目を伏せた。下を向くと両目の隈がひどく目立つ。そんな顔を見てしまったからだろうか、僕の口が自分でも思いもよらない滑り方をした。
「……ちなみにさ、なんで僕達が別れたかわかる?」
「いや、さすがにそこまでは」
「他に好きな人が出来たんだよ」
「誰に?」
「僕に」
「ふーん」
誰だろう、そんなことを考えるように鈴前の瞳がくるくると動いた。
「鈴前だから」
「え?」
「じゃあ、帰るわ」
「は? は? ちょっと、待って。どういうことよ!」
どういうことなんだろうな、僕にもわからない。ただ不安で辛そうな鈴前に、何か別の感情を生み出したかっただけだ。
「またなー」
「待ってって! ねえ! それを言われてどうすればいいのよ!」
だから僕にもわかんないよ。
追いすがる声を無視して土手の道を走りに走った。
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