三章 百地 蛍 (ももち ほたる)6

「長い話になるぞ。あんまりゆっくりはしてられん。出来るだけ手短に話すから集中して聞け」


 そう言うと、父さんは時間がないはずなのにポケットから煙草を引っ張り出し悠々と火をつけた。


そして、空に煙を吐き出しながら例の白いお守りを掌で弄ぶ。

「このお守りの蛇はな、『うた』の神様みたいなもんや。実際にはこの教団の創始者を表しとるらしい」

「創始者が神様なんだ?」

「そうや。創始者の名前は尾島おじま富士子ふじこ。信者はみんな敬意をこめて『お大事様』って呼んどるわ」

 お大事様……そうか。『歌の樹』の教祖のことなのか。

「尾島富士子はな、最初は家の寺で修行しとったらしいけど、時代の流れに乗って仏教から離れて『歌の樹』を創ったらしいわ。大事を成したからお大事。廃仏毀釈って聞いたことあるやろ? 明治時代の始めくらいの話や」

 まさか父さんの口から廃仏毀釈なんて言葉が出てくると思わなかった。百年以上前の話じゃないか。そんな昔から『歌の樹』ってあったのか。それって新興宗教のくくりでいいのだろうか。

「仏教とかキリスト教とかイスラム教とか、大昔からある老舗以外は全部新興宗教扱いやからな。まあ、大雑把な区分ではあるわな」

「そうなんだ。でも、そんな時代に新宗教を立ち上げたってことは結構すごい人だったの? 尾島富士子って」

「べしゃりはな」

「べしゃり?」

 喋りってことか。

「この話はな、『歌の樹』の幹部しかしらんことやけど、尾島富士子にいわゆる霊力みたいなもんはなかったらしい。彼女にあったんは喋りの才能と外面のよさとカリスマ性。要するに芸能人やわな。実際に宗教家として力があったのは双子の妹の貴子たかこの方やったらしい」

「貴子……」

 初めて名前を聞いた人のさらに妹が出てきた。これ以上話が広がったらメモを取る必要がありそうだ。

「富士子と違って貴子の力は本物やったらしい。信者の前で天候を変えて見せたり、病気を治してみたり、色んな奇跡を起こしてみせたんやとよ」

「嘘でしょ、天候って。本当にできたの? そんなこと」

「もちろん、盛ってはいるやろな。噂なんてそんなもんや。でも、貴子に常人にはない力があったことはホンマらしい。ただ、天は二物を与えずってな。貴子はそんだけの力を持ちながら極度の人間嫌いでよ、常に富士子の後ろに隠れて生きとったらしいわ。霊能力双子って触れ込みでニコイチで色んな奇跡を起こして信者を集めて回るけど、手柄は全部べしゃりの立つ富士子のものってわけや。そうやって組織が大きくなるとどんなことが起きるかわかるか?」

 わかるはずがない。父さんの吐き出す煙を見つめて話の続きを待つ。

「地味な貴子を担ぎ上げる人間が出てくるんや。人間嫌いの貴子に上手く取り入って影から操ろうとする。そういうことをするのはだいたい組織の主流から外れた奴や。ほんで、『歌の樹』の内部で富士子派と貴子派の対立が始まる。実際に力があるんは貴子やからな、貴子派はかなり無茶なこともしたらしい」

「無茶って……」

「富士子派の幹部をよ、呪い殺したそうや。何人もな」

「何人も……嘘なんだよね。それも話を盛ってるんだよね」

「裏は取っとる。富士子派の人間は確かに現実に殺されてる」

「いや、そこじゃなくて」

「ん?」

「呪い殺されたってとこ。そこは盛ってるんだよね? 本当は違う方法で殺したんでしょ」

 そうに決まっている。そんなことがあるはずがない。しかし、父さんは僕の目をしっかりと見て、

「ホンマや。貴子には人を呪殺できる力があった」

「待ってよ、いくらなんでも呪殺なんて。荒唐無稽過ぎるって」

「おいおい、心霊ライターの息子がそんなこと言うてくれるなよ。実際呪いに関する文献やら伝承やらってのは学問が成立するくらい溢れてるんやぞ。『日本書紀』の時点すでに記録があるくらいやからな。他にも『日本霊異記』やら『大乗院寺社雑事記』やら……」

「待って待って、そんな大昔の話をされても」

「ピンとこんか。まあ、しゃないわ。とにかく、貴子の力はホンマもんやねん。後の話から考えてもここは間違いない」

「だからって、呪殺って。そんなん何でもありじゃん」

「そう、なんでもありや。だから貴子を恐れた富士子派の連中は奇襲をかけて貴子派の人間を皆殺しにした」

「皆殺し……?」

「皆殺しや。貴子も含めてな」

「そんなことして大丈夫なの?」

「大丈夫なわけあるかいや。化けモンみたいな力を持った女やぞ。そんなんがこの世に強烈な恨みを持って死んだんや。成仏できるわけない。貴子は今でこの世とあの世の狭間に留まって富士子派の人間を恨み続けてるんやとよ。その証拠に貴子の恨みが積もり積もると、数年に一人富士子派の人間が尋常じゃない死に方をするらしい」

「尋常じゃない、死に方……」

 って、どんな死に方だろう。『あんなと遺体を俺は今まで見たことがない』、昨日の刑事の言葉が頭に蘇った。

「貴子の呪いに引きずり込まれるんやろうな。憑り殺されるっちゅやつや。貴子を恐れた『歌の樹』は以来、定期的に信者の中から生贄を出すことで貴子の呪いを沈めてきた。それは今でも続いとる」

「今でもって……今でも?」

 我ながらバカみたいな質問だったけれど、父さんは笑わずに頷いた。

「今でもや。明治時代から令和の今までや。なあ、引くやろ」

「意味わかんないよ。なんなの、それ。なんで、そんな教団が今まで存続できたの?」 

 入信したら殺されるかもしれない教団、みんななんでそんな宗教に加入できるんだ。自殺志願者でもあるまいし。

「もちろん、貴子の呪いについて知ってるのはトップに近いごく一部だけや。新しく入ってくる信者は何も知らん。何も知らずに生贄にされて、何も知らずに殺される。生贄の頻度もギリギリまで引っ張れば数年に一度やしな。そうやって『歌の樹』は細々と生き長らえてきたんや」

「細々と?」

 改めて鉄筋四階建てのビルディングを見上げてみた。

「言いたいことはわかる。でも、実際細々とやっとったんや。『歌の樹』が急成長したのはせいぜいここ十年の話やからな。それまではマジで息も絶え絶えやったらしい」

「余計わからないんだけど。なんで定期的に信者を殺さなきゃいけないリスクを抱えた宗教が急成長できるの?」

「それがホンマにリスクなんかっちゅう話や」

「え?」

 色眼鏡の奥の父さんの瞳がギラリと光った気がした。

「定期的に信者が呪い殺される教団、それは言い換えれば定期的に信者を呪い殺すことができる教団ってことにならへんか?」

 ……え?

「呪殺はな、便利やぞ。呪殺では警察は動けん。つまり『歌の樹』は法に触れない殺人ができるっちゅーわけよ。それに気付いたのが今の教祖、四代目尾島富士子や」

「法に触れない殺人……」

「いや、気付いてた奴は何人かおったんやろうな。それを実行に移すやつがついに現れたっちゅーことや。世の中には大金を払ってでも人を殺して欲しいと思うやつは掃いて捨てるほどおる。これで『歌の樹』が急成長した原因がわかったやろ」

 そう言うと、父さんは根元まで吸った煙草を路地に落として踵でつぶした。

 僕は言葉を発することも忘れて、父さんの汚いスニーカーを見つめていた。

 信じられなかった。『歌の樹』は、僕の町と生活に深く馴染んで根を張っていた『歌の樹』は、呪いの力を利用して非合法の殺し屋を請け負っているってことなのか。

 でも――。

「さっきの話だと呪い殺せるのは信者だけなんだよね? 普通の、一般の人は無理なんでしょ?」

「おう、そうや。だから、『歌の樹』に呪殺を依頼するためにはターゲットを入信させる必要がある。赤の他人が相手やとまあ無理やわな。だから、『歌の樹』が請け負う殺人のほとんどは依頼者の身内殺しに限られる。身内やったら騙してこっそり入信させるハードルはぐんと下がるからな」

「身内って家族だよね? 家族を殺して欲しがる人なんていないでしょ」

「……蛍。お前はええ子やな、涙出るわ」

 不意に父さんが頬を緩ませた。

「何、急に」

「やっぱり典子に好きなだけアイドルの追っかけやれって言うといてくれ。蛍がこんないい子に育ったのは典子のおかげや。わしみたいなもんがアイツに言うことなんかなんもないわ」

「何なんマジで、やめてよ」

 父さんにそう言われると褒められているのか、おちょくられているのかわからなくなる。

「すまんすまん、褒めてるんや。堪忍な。蛍はさっき家族が家族を殺すんかみたいに聞いたけどな、日本の場合殺人で一番多いのが家族の犯行やねん」

「嘘でしょ」

「ほんまや。『歌の樹』に依頼を持ってくる依頼者も同じや。みんな家族親類を殺してくれって入信してくんねん。旦那デスノートって知ってるか?」 

「知らない、何それ?」

「余裕があったら検索してみい、けったくそ悪いぞ。浮気夫、DV夫、モラハラ夫、嫁はんからすれば殺したくない夫の方が少ないんかもしれんな」

「そんな……」

「夫だけやないぞ。引きこもりの子供を殺してくれやら、介護老人を殺してくれやら、もちろん浮気嫁を殺してくれって依頼もある。ほんまに、ここの教団にいると世界中の家族が憎み合ってるんかと思うわ。お前もテレビとかで見たことあるやろ、家庭内殺人のニュースとか」

 確かに、ある。

 ネットでもテレビでも家族殺しの事件は枚挙に暇がないほどだ。でも、正直どこか遠い世界の気がしていた。血を分けた自分の親や子供を殺すなんて。しかも大金を払ってまで。そんなのとても現実の話だとは思えない。

「俺の知り合いにもな、ヤバそうなやつがおるわ」

 二本目の煙草に火を着けながら父さん言った。

「そいつは両親の介護費用のために実家を売ったって言っててな。子供にも進学も諦めてもらったんやと。それでも介護費用を払ってられるのは十年が限界らしい。頼むからあと十年で死んでくれって酒飲む度にくだ巻いてるわ。何て言ってやったらいいねん、わし」

「わ、わかんないよ、そんなの」

「治るんやったら頑張れるらしいわ。五年十年介護して回復するんならなんぼでも頑張れるんやと。でも、まあそうはいかんやろ。どんだけ頑張ってもゴールは死や。やったらそのゴールを早めたいとふと思っても責められんやろ。何も今に始まった話やない、姥捨て山って聞いたことあるやろ? 生産力のない食い潰すだけの存在は速やかな退場が望まれるんや。間違っとるよ。完全に間違った考えやけどな。でも、何も言えんわ」

 僕だって何も言えない。高校生の子供に何て話をするんだ、この人は。

「まあ、話はそれたけど、とにかく『歌の樹』はそういう手法で大きくなってきたんや。信者に高いお布施を払わせて殺しを請け負う。ほんで、実際に手を汚すのは決して表には出ない実行部隊、佐原さはらさとるはその一人や」

 ここにきて、よくやく佐原悟の名前が出てきた。不意にその名前を聞くと心臓を掴まれたような気持ちになる。

「『歌の樹』はな、手足みたいに操れる忠実な実行部隊を何人も飼っとる。いわゆる、教団の犬っちゅやつやな。つい最近掴んだ情報やけどな、佐原悟はその中でもダントツに歴の長い大ベテランらしい。何人殺したのかなんて想像もつかん。悪魔みたいな男や」

「教団の犬……。じゃあ、天文部の二人が殺されたのは……」

「佐原悟の犯行であるなら、教団に殺害の依頼があったと考えるのが普通やろうな」

「そんな! 莉子りこを殺したいやつなんているわけないよ」

「言ったやろ、依頼のほとんどは身内からやって。おそらく依頼者は佐原悟本人や。佐原の娘、何か問題あったんちゃうんか?」

「それは……」

 あった。莉子はずっと不登校気味だった。でも、せいぜいここ一年の話だ。それだけで殺すなんて。

「家族なんて魔境みたいなもんや。どんな家にも闇はある。狭くて閉じられてて、独自のルールに縛られた誰の目も届かん独立した世界。そういうところにこそ飛び切り濃い闇が生まれるんや。顧問の先生の件も誰か身内に依頼者がおるはずや、普通に考えればな」

「普通って……」

 どこの世界の普通なんだ。父親が? 娘の殺しを依頼する? そんなことがありうるのだろうか。

「ただまあ……タイミングが良すぎる気はするけどな」

「タイミング?」

「こんな短いスパンで、しかも同じ学校の同じ部活内で、二人の殺しの依頼を引き受けるやろうかって話よ。『歌の樹』かて変な目立ち方はしたないはずやからな。呪殺一つとっても簡単やないし、もちろん呪い返しのリスクもある」

 ――呪い返し。

 何気なく発された父さんの言葉が、僕の脳内に特別な波紋を描いて留まった。

 何かが繋がろうとしている。極めて重要な何かが。

 それを追いかけようと瞬間に、父さんの道着のポケットの中で電話が鳴った。父さんは一瞬眉を顰めると、鳴るに任せて煙草を吹かした。

「喋りすぎたか。もう行け。佐原悟の件はもうちょっと詳しく調べとく。蛍はもうこの事件に関わるな」

「待ってよ、父さん」

「大丈夫や、普通に考えればもうこれ以上の殺しは起きひん。そうやって嗅ぎ回っとる方がよっぽど危険やねん。少なくとも、俺も典子も蛍を殺してくれなんて依頼はしてないから心配すんな。まあ、典子は俺を殺してくれと思ってるかもしれんけどな」

「やめてよ、笑えないって」

「かまへんわ。別に長生きなんかしたくないねん。将来蛍に早よ死んでくれなんて思われたくないからな」

「そんなこと思わないよ、僕は!」

「でかい声出すな言うたやろ。いいからほら、もう行け。早よ」

 笑いながら父さんは火の着いた煙草を持つ手でしっしと僕を追い払った。匂いのキツい煙が目に染みる。父さんは、多分一生禁煙することはないのだろう。


 長生きなんかしたくない。口癖のように父さんが繰り返すセリフがただの言い訳なのか、本音なのかわからなくなった。

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