三章 百地 蛍 (ももち ほたる)4

「マスター、こんちは。冷コー一つね」

 

 僕が席に着いてから一時間後に喫茶店の扉が開いた。

 父さんは二か月ぶりに会う息子より先に店主に声をかけてから、向かいの席に腰を下ろした。

「あー、あっちいなぁ。この時期の外回りは地獄やわ」

 そして、Tシャツの首元を開いてメニューでバサバサと風を入れる。

「久しぶり、父さん。服、着替えたんだね」

「おう、あんな道着でサテンなんか入られへんからな。で、どうや、学校は? 調子ようやっとるか」

「まあまあかな」

「そうか。典子のりこは? お母さんは元気か? まだ、あれかジャニーズのおっかけやっとんのか?」

「ジャニーズじゃなくてK―POPアイドルね」

「何や知らんけど、ええ加減にせぇって言うとけよ。ええ年したおばはんがホンマに……あ、すんません」

 運ばれてきたアイスコーヒーをブラックのまま啜ると、父さんは煙草に火を着けて不味そうにむせながら煙を吐き出した。煙草の銘柄はよくわからないけれど、今時なかなか出くわさない強烈な匂いが辺りに香る。

「煙草まだ止めないの? 体に悪いよ」

ほたるまで典子みたいなこと言うようになったな」

「だって、咳が……」

「別に長生きなんかしたないねん。そんなこと言うためにわざわざ来たんちゃうやろ。用件はなんや。はよ言えよ。長くは抜けられへんからな」 

「……父さん、『うた』に入信したの?」

「するかいや。潜入ルポっちゅうやっちゃ。ヤバい新興宗教入信してみたってな」

 言いながら、父さんは人差し指に引っかけた白いお守り袋をクルクルと回して見せた。

「これでもスポンサーついてるからな、当たったらデカいぞ。一段落したら母さんと一緒に旅行でも行こ。グアムやグアム」

「行くなら髪と髭何とかしてよ。今回の変装ヤバいね、一瞬誰かわからなかった」

「おう、そうやろ! 自分でもびっくりしたわ。俺ってこんな不審者感のある顔してたんやな」

 煙を吐き出しながら父さんは満足そうに笑った。

 長い髪の毛も、無精ひげも、色の入った眼鏡も違和感しかないけれど、笑った時の目じりの皴だけは僕の知っている父さんで安心した。

 父さんは仕事の度に顔を変える。髪を伸ばしてみたり切ってみたり、髭を生やしてみたり整えてみたり。高級なスーツを着ることもあれば、ホームレス同然の格好をすることもある。霊感がなく創作も先人達に敵わないと悟った父さんは、心霊ライターとしての活路を潜入取材という手法に見出したのだ。

『事故物件住んでみた』、『心霊スポットに一週間泊まってみた』、『自殺の名所で自殺志願者が来るまで待ってみた』、おどろおどろしい動画をせっせと制作してはユーチューブにアップし、仕事の依頼が来れば海外の心霊スポットにだって飛んでいく。結果、ほとんど家に帰らなくなった父さんは、その方が何かと都合がいいという理由からあっさりと離婚を決めてしまった。

 父さんは家族を養うために心霊ライターになり、心霊ライターの仕事を軌道に乗せるために家族を解散させたことになる。


 二本目の煙草に火を着けた直後に父さんのスマートフォンの通知音が鳴った。

「お、来た! 篠崎しのざきからや。すまん、もう行くわ」

 煙草を咥えたままメールを一読して父さんは、用件も聞くことなく慌てて椅子を引いた。

「え、行っちゃうの? 待ってよ」

「いやー、無理無理。散々餌まいてやっと喰いついたネタ元やねん。これは逃がされへん。ほれ、小遣いや。持ってけ。典子には言うなよ」

「いらないよ。小遣いせびりにきたんじゃないから」

「やいやい言うな。貰えるもんは貰っとったらええねん。これで何か美味いもんでも食うて帰れや。あ、この店でちゃうぞ。ここには美味いもんなんかないからな。別の店で食え」

「ねえ、父さん。おだいじ様って、何?」

 ――ガンっ。

 と、手から零れたスマートフォンがテーブルを打って床に転がった。椅子から立ち上がろうとした姿勢のまま固まって父さんが僕を見つめる。

「……どこで聞いた?」

「え?」

「今の言葉、どこで聞いた? 誰から聞いた?」

 落ちたスマートフォンを気にも留めず父さんが顔を寄せてきた。明らかに目つきが変わっている。

「何? おだいじ様のこと?」

「口に出すな!」

 人差し指を唇にあてがい、父さんは辺りを見まわしてから声のトーン落とす。

「誰に聞いたんや?」

「先生からだけど」

「先生? 授業で習ったってことか?」

「いや、そっちの先生じゃなくて部活の顧問の方」

「何やお前、オカルト研究会かなんか入ったんか?」

「ううん、天文部だけど」

「天文部の顧問がなんでそんなこと言うねん」

「わかんないけど聞かれたんだよ、その……ソレがどういう意味の言葉か知ってるかって」

「なんやねん、それ……どういうことやねん」

 誰に言うでもなく呟いて、父さんがどさりと椅子に腰を落とした。それ以上立っていられなくなったかのように。

「どうしたの、父さん」

「その部活にはもう行くな」

「は? なんで?」

「なんでもええ。もう、そのおオカ研は辞めろ。顧問とも喋るな」

「オカ研じゃなくて――」

「なんでもいいから辞めろ」

「意味わかんないよ、どういうことなの」

「いいから約束しろ! 絶対にその顧問とはもう会うな!」

 怒鳴り声が狭い店内に反響してマスターが振り返った。父さんがこんな声を出すのを初めて聞いた。お世辞にも上品とは言えないけれど、声を荒げるような人では決してなかったのにはずなのに。怒鳴られた事そのものよりも、父さんが怒鳴らざるを得なくなった状況が怖かった。

「わかったか、蛍」

「……会えないよ、死んじゃったし」

「死んだ?」

「うん」

「殺されたんか?」

 なぜ、すぐそう思ったのだろう。病死でもなく事故死でもなく、なぜすぐ殺しに直結したのだろう。

「蛍、どうやねん!」

「病死だよ、原因不明の」

「病死……マジか。マジかよ」

 殺人よりも遥かに穏やかであるはずのその死因に、父さんは酷くショックを受けているように見えた。

「そ、そ、それってアレか。先週典子が言ってたやつか。学校で葬式があるって」

「いや、そっちは莉子りこの方だと思う。佐原さはら莉子、天文部の部長。莉子も最近同じ病気で死んだから」

「ちょ、ちょ、ちょう待て。佐原って言ったか、今」

「う、うん」

「おい、マジか。それってまさか佐原悟さとるの娘か?」

「知ってるの、父さん?」

 そうだ、悟だ。莉子のお母さんが何度も呼んでいた名前。でも、何で父さんが佐原のお父さんの名前を知っているんだ。

「くっそ、どうなってんねん! 何でこうなんねん! くそっくそっ!」

「どうしたの、父さん? 大丈夫?」

 あからさまに動揺する父さんのスマートフォンが催促するようにまた震えた。舌打ち一つで返事をすると父さんは今度こそ席を立つ。

「もう行かんと。蛍、わかったな。もう天文部には行くなよ」

「待って、父さん」

「絶対やぞ!」

 扉を突き破るようにして父さんは店から出て行った。扉のカウベルがカラコロと何かの警告のように鳴り響く。

 窓から見送ると、通りに出た父さんは待ち構えていた一人の中年男性と合流した。あの人が父さんの言うネタ元だろうか。『歌の樹』の道着を着た太った丸刈りの男。どこか不穏な顔をした人物だった。長髪、髭面、色眼鏡の父さんよりも遥かに胡散臭い。

 父さんは男と何言かの会話を交わし、連れ立って道場の方角へ歩き出した。その後ろ姿を見送って、

 

「――あ」

 

 テーブルに目を落とした瞬間、電撃のような鳥肌が背中に走った。

 唐突に記憶と記憶が繋がった。

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