三章 百地 蛍 (ももち ほたる)1
遺影の中の
何かの記念写真から切り取ったのだろうか。作り笑顔であることは一目でわかった。
常に心のどこかに緊張感を携えている人だった。ホームルームや部活の雑談中などにパフォーマンスとして高笑いをすることはあっても、心の底まで緩ませることはない。この学校の関係者で有沢先生の本当の笑顔を知っているのは、多分僕だけだろう。
『ねえ、
二人きりになると先生は僕のことをそう呼んだ『蛍』じゃなく、『ねえ、蛍くん』だ。
――さよなら、みお。
心の中でそう呼びかけて遺影に手を合わせた。魂が抜け去ったような様子で立つ遺族に頭を下げ足早に斎場のホールを出ると、
「それじゃあ、一階のロビーでお話しいいですか?」
出口で待ち構えていた二人の刑事に左右から挟まれた。
「改めましてB町署強行犯係の
古屋と名乗った眼鏡の男は僕をロビーの端に連れ出すと、慣れた手つきで手帳を提示し、隣の背の高い坊主頭の相棒の分までまとめて一息で紹介を済ませた。
生まれて初めて生で見る警察手帳は、ピカピカし過ぎいて作り物のように見えた。そんな安っぽいおもちゃのような物よりも、二人の醸す圧迫感の方が遥かに強烈に己の生業を主張している。気が付くと、無意識に奥歯を強く噛み締めている自分がいた。
「そんなに緊張しなくても大丈夫だから。それじゃあ、亡くなった有沢先生について、少しお話を聞かせてもらえますか?」
「その前に、その、強行犯係っていうのは……」
「あー、ドラマとかで聞いたことありませんかね。一般的に凶悪犯と呼ばれる事件を捜査する係りです。強盗誘拐放火、あとは殺人とか」
「殺人って――」
思いもよらない物騒な言葉を古屋はもののついでにように発した。
「先生は病死なんですよね?」
「そうですね。監察医もそう結論付けています。しかし、不審な点も多くてね。こうして独自に調査しています。で、立ち入ったことを聞きますが、あなたと有沢先生は生徒と教師以上の間柄だと思って間違いないですか?」
「いや、それは……」
「大丈夫だよ。うちら少年課じゃないんだから。君と先生が付き合っていようがどうもでもいいし」
僕の反応から何かを察したのか、古屋は打って変わって砕けた態度で口の端を持ち上げてみせた。
「で、付き合ってたんだよな?」
「……はい」
どうやらそれなりに証拠はつかんでいるようだ。頷く以外になかった。
「いつからいつまで?」
「一年の一学期から三学期の終わりくらいまでです」
「肉体関係はあった?」
「……はい」
「それは複数回以上ってことでいい?」
「…………」
「必要なことだから」
「……はい」
「じゃあ、君の目から見て有沢先生が健康面に問題を抱えていたってことはある?」
「健康ですか? いえ、感じたことはないです」
「本当に? 特に喉とかは?」
「ないです」
「なるほど」
頷きながらペンを走らせる古屋、坂本と紹介された坊主頭の刑事は手帳も開かずじっと僕の顔を見つめていた。
「あの、僕からも質問していいですか?」
坂本の視線を潜り抜けるようにして僕は言う。
「いいよ。何?」
「僕達、先生の病名を聞かされてないんです。なんか未知の病気だって。原因もわからないって。それって、その……」
「本当に病死なのか、ってこと?」
パンっと音を立てて古屋は手帳を閉じた。
「我々が気になっていることもまさにそこでね。どう考えてもおかしいんだよ。健康な二十代の女性が夜中の二時に公園で突然病死する。そんなことがありえるかね?」
「待ってください。先生って公園で亡くなったんですか? 病院じゃなくて?」
「病死の診断が下されたのはもちろん病院でだよ。でも、倒れていたのは公園だ。ほら、君んとこの学校の隣にスポーツ公園があるだろ、あそこだよ」
あんなところで病死? どういうことだ。
「発見された時点ですでに息はなかった。念のために通話記録を調べたら公園から何人かに電話をかけていてね。最後の通話の相手が君ってわけだ。電話の内容を教えてもらえるかな。まさか深夜にデートのお誘いってわけでもないだろう」
「…………」
「すまん、不謹慎なジョークだったかな」
「いえ、そうじゃなくて。先生から電話がかかってきたのは夜の十二時前なんです。先生はそこから二時間も一人で公園にいたってことになるんですけど」
そんなことがありえるのか? 有沢先生は気丈な性格だったけれど、唯一暗いのが苦手な人だった。寝る時も決して部屋を真っ暗にはしない。そんな先生が夜の公園に二時間も一人で?
「二時間じゃない」
「え?」
古屋の眼鏡の奥の目が、刃物のように研ぎ澄まされた気がした。
「周りの証言によると有沢先生が学校を出たのが午後四時半。それから隣のスポーツ公園に直行しているから、死亡推定時刻までの約九時間半、有沢先生はそこにいたことになる」
「九時間って! 先生は何をしてたんですか、そんなに」
「歩いてたんだ」
は?
「あの公園にはいくつか防犯カメラが設置されていてね、しっかりと写ってたんだよ。有沢先生は四時半から九時間半、ジョギングコースをただただ歩いてたんだ。そして、午前二時。突然苦しみだして突然死んだ」
「そんなバカな」
「俺もそう思う。だからこうして調べてるんだ。さっきも言ったが有沢先生が最後に電話をかけたのは君だ。どんな内容の話をしたか教えてもらえるかな」
「聞きたいことがあるって言われました」
「どんな?」
「おだいじ様を知っているかって」
「――っ」
それまでずっと無反応だった坂本が目を見開いた。古屋はそんな坂本に目配せを送って質問を続ける。
「おだいじ様、先生は間違いなくそう言ったんだね?」
「はい」
「それで君はなんと?」
「知らないって」
「本当に知らない?」
「……どういう意味ですか?」
「そのまんまの意味だよ。本当に知らないのか、それとも元カノからの電話をさっさと切りたくて嘘をついたのか」
「本当に知りません」
「なるほど。ただ、メールで済まさずわざわざ深夜に電話してきたってことは、有沢先生は君がその言葉を知っている可能性が高いと思っていたってことだよね?」
「あ、いや、僕というより僕の父さんに聞いて欲しかったんだと思います」
「君のお父さん? ああ、そうか」
苗字からピンと来たのだろう。納得がいったというふうに古屋は頷いた。
「なるほど、ご協力ありがとうございました。また何か思い出したら私に連絡ください。署の方じゃなく私に直接」
「あの……」
「何? さっそく何か思い出した?」
「いえ、そうじゃなくて。喉の病気なんですか?」
「ん? 何が?」
「刑事さんさっき先生の健康状態について尋ねた時、特に喉って言いましたよね? 先生、もしかして喉の病気で死んだんですか?」
「…………」
古屋が初めて自分から目を逸らした。そして、しばし逡巡するような間を空けると、
「ご遺体を見たんだよ」
再び目を合わせてそう言った。
「古屋さん」
教えるんですか? そう訴えるように坂本が割って入ってくるが、古屋は任せろとばかりに言葉を続ける。
「監察医にね、有沢先生のご遺体を見せてもらったんだよ。見る前に覚悟しろよって言われたよ。俺もこいつも昨日今日刑事になった新人じゃないのにだ。一目見てその意味がわかった」
そこで言葉を切り、古屋は唾を飲み込んだ。
「喉がな、異常なほど膨れ上がってたんだ。バスケットボールでも飲み込んだのかってくらいぱんぱんにね」
「バスケットボール……ですか?」
「ああ」
その光景を思い出したのだろうか、古屋は吐き気を堪えるように眉間に皺を寄せながら言った。
「あんなご遺体を俺は今まで見たことがない」
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