一章 鈴前 七楓 (すずまえ ななか)3
「この携帯電話のね、暗誦番号を教えて欲しいの」
「え?」
……今、何て言った?
「見て、この携帯電話。ロックがかかってね、動かせないの。ほら」
莉子のスマートフォンのロック画面を私に向かって突き出す
「ああ、はい。今のスマホは……はい、だいたいそうですね」
「まったく最近の機械は余計な機能ばっかりついてて使いにくいったらありゃしない。暗証番号を入れないと中が開けないんだって。ケータイショップで教えて貰おうかと思ったけどわからないって言われるし、適当な番号試そうかなとも思ったけど何回も間違うと二度と開けなくなるって言うじゃない?」
「ああ、まあ……そうかもしれないですね」
「だから、ね、番号教えてちょうだい」
「いやあ、ロック番号はちょっと……知らないです」
「そうなの?」
「はい……すみません」
責められているような気がして反射的に謝ってしまった。
「じゃあ、
「え、いや、俺も知らないです」
「じゃあ
……どうしよう。
そんな視線が部員達の間を交錯した。
参ったな、この人そういうことを聞いちゃうタイプの親だったのか。スマホのロックの解除番号なんて知ってたって教えられるはずがないじゃないか。
「どうしたの? 誰でもいいから早く教えてちょうだいよ、早く」
「あの、お母様。お気持ちはわかるのですが、莉子さんのスマホを覗こうとするのはどうでしょうか」
堪らずといったふうに
「駄目なんですか?」
「うーん、そうですね、莉子さんもお年頃でしたし。そこまで踏み込むはさすがにちょっととは思います」
「ああ、そうですか。そうなんですね、わかりました。はい、わかりました……………でも、本当はみんな知ってるのよね?」
ゾッとするような目がこちらを向いた。
「あの、お母様」
「ああ、ごめんなさいごめんなさい。でもねぇ、先生。私にはわかるんですよぉ。あの子はぁ、莉子は私に携帯電話を見て欲しいと思ってます。私達親子に隠し事なんてありませんから」
「お母様そういうことではなくですね」
「ねえ、教えてよ。なんでみんな黙ってるの。
「嘘なんかついてません」
娘を亡くしたばかりの母親にそんな言い方をするべきじゃないとわかってはいたけれど、突然嘘つき呼ばわりされてついつい言葉に感情が乗った。
「本当に知らないんです。それに知ってたって言えないです」
「は? どうしてよ」
どうしてって。本気で言ってるのか、この人は。
「だって、莉子は自分でスマホにロックをかけたんですよね?」
「そうよ。そうに決まってるじゃない」
「自分の意志でロックをかけたわけじゃないですか。それってつまり、誰にもスマホを見られたくなかったからだと思うんです」
「違うわよ。あなたたちに見られたくなかったからよ」
おっと……この人ちょっと、本格的にヤバいのかもしれない。
「私達親子に隠し事はないのよ、さっきも言ったでしょ? 聞いてなかったの、しっかり者さん」
「や、でも、どうだろうな。やっぱり家族でもプライバシーってあると思うんです」
「プライ……バシー?」
初めて聞いた言葉なの?
眩暈がしそうだ。さっきまでの話の通じていた莉子のお母さんが、急に異世界の人種のように思えてきた。この人をどうやって説得したらいいんだろう。
「と、とにかく、私が莉子なら死んだ後でも親にスマホは覗かれたくないです。スマホって聖域っていうか、日記みたいなものっていえばいいのかな。とにかく、誰にも見られたくないものなんです。特に親には。友達に見られるよりも嫌かも。だから絶対見ない方がいいと思います。それが絶対莉子のためです」
「莉子のため……?」
「すみません、お母さんに生意気なこと言って」
でも、本当にそうだから。親に秘密のない子供なんていないから。思い出して、あなただって昔はそうだったでしょ。
「――ちっ」
え?
「あんたに何がわかんのよ」
今、舌打ちした?
「何がわかるのよっ!」
リビングルームに怒号が爆発した。
一瞬、鼓膜を直接殴られたのかと錯覚した。
それ程の音の暴力だった。
「あんたに何がわかんのよ! 私は母親なのよ。子供も産んだことないくせに何がわかんの! 黙って聞いていたら薄っぺらいことをごちゃごちゃ! それで頭がいいつもりなの? 馬鹿にすんな! 馬鹿にすんな! 馬鹿にすんな!」
精気の枯れたように見えた体のどこにこんな力を秘めていたのだろう。テーブルに何度も何度も平手を打ち下しながら、鼓膜にねじ込むようにしてお母さんは金切り声を張り上げた。目を血走らせ、唾を飛ばし、
「おい、聞いてんのか。あんたに言ってんだぞ、ブス!」
勢いのまま膝でテーブルに乗り上がり私の前に顔を寄せる。
「いや、やめて!」
「お母様、落ち着いてください!」
「謝れ! 謝れ! 謝れぇぇ!」
待って。怖い。何これ、何が始まったの? さっきまであんなに穏やかだったのに。やめて、喉が詰まる。息ができない。
――ピリリリ。
「ひいっ」
テーブルを乗り越えてこんばかりのお母さんの勢いを遮ったのは、スマートフォンの着信音だった。私のではない。莉子のお母さんのスマートフォンの着信音だ。
「もしもし、あなた。どうしたの?」
最初の一音で、文字通りお母さんは跳ね上がり血相を変えて電話に飛びついた。
「うん、うん、何? こっちは別に何もないけど……お客様? ああ、そう! そうなの。突然やって来て困ってて……うん、わかってる。わかってるのよ。うんうん……そうしようと思ってたところ。うんうん……もちろん。もちろん、そうするよ。そうするから怒らないで」
いったい誰と話しているのだろう。お母さんは打って変わって酷く怯えているように見える。電波の向こうの相手に向かって取り繕うような笑顔を浮かべ、身振り手振りまで交えて懸命に宥めようとしている。
「それじゃあね、気を付けて帰ってきてね、
お母さん震える指で通話を切ると、すっかり青ざめて強張った顔を懸命に笑みの形に作り替え、
「忘れ物を取りにいらしたんですよね」
……は?
「莉子の忘れ物……取りにいらしたんでしょ?」
今、それを言うの?
切り替えが唐突過ぎて、誰も何も言えなかった。
確かに、そうだ。私達が今日ここに来た目的は二つあった。一つは莉子の仏壇に手を合わせるため、もう一つは莉子が持ち帰ったままになっていた天文部のタブレット、通称天文ブックを返してもらうためだ。事前に先生が電話で伝えていたことではあるけれど。
今このタイミングでそれを言うの? あんなに怒鳴り散らした後で?
「どうぞ、こっちの部屋です。部屋に案内しますのでみなさんで探してくださる? 皆で来てね。さあ、どうぞ。何分歳なもので機械のことはさっぱりなのよ、いやよねぇ」
なんで笑ってるの? さっきのことはもうなかったことになってるの? 私はまだ心臓が痛いのに。まだ耳に怒鳴り声の反響が残っているのに。
……この人、ヤバい。
本能的に直感した。この人は、今まで会ったことのない本当にヤバいタイプの人だ。
「何をしてるの? 早くいらして」
廊下から少し苛立った声が届いた。どうしよう、正直もうこれ以上この家にいたくはないけれど。
「……じゃあ、行こっか」
先生が促すように席を立てば、生徒の私達も立ち上がるしかない。
「大丈夫、七楓? 行ける?」
智恵理が肩に手をかけてくれた。体温が嬉しい。一応、「大丈夫だよ」と答えはしたけれど、表情までは取り繕う余裕はなかった。
次に何かあったらすぐに帰らせてもらおう。
そう決めて導かれるままリビングルームを出る。そのまま廊下を渡り、玄関で靴を履いて、庭に回ってまた歩き…………待って待って、どこに連れて行かれるの? 部屋って言ったじゃん。なんで外に連れ出されるの?
ようやく、莉子のお母さんが足を止めたのは広い庭の端の端、雑木林に隠れるように建っている掘立小屋の前。
――ガンガンガン。
「ここです。ここの離れにあると思いますので、どうぞ」
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